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161107 福沢諭吉が再発見したハングル 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 4︎⃣「国語を奪った」への反論

福沢諭吉が再発見したハングル


小学校教科書には「日本は我らの誇り高いハングルを使わせなかった」と書かれ、「朝鮮語でしゃべれば一語一銭で罰するぞ」という風刺漫画が載せられています。

さらに、前出の国定中学校教科書には次のように書いてあります。
「我々の言葉(韓国語)を禁止し日本語だけを使うようにして、我々の歴史の教育も禁じた。ハングルで刊行された新聞も廃刊させ、我々の言葉と歴史に対する研究も禁止させた」


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韓国だけでなく、中学校用歴史教科書として日本で最も多く使われている『新しい社会歴史』(東京書籍、平成13年検定済)にも「学校では朝鮮史を教えることを禁じ、日本史や日本語を教えて、日本人に同化させる教育を行いました」とあります。

はたして、そんなことが本当にあったのでしょうか。


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そもそも、ハングルは15世紀に李朝第4代世宗が学者を集めて作らせたと言われていますが、当初より諺文オンモン(漢字より低い文字)として忌み嫌われ、公文書では一切使われませんでした。

李朝時代の学者は、ハングルで書かれた文章を読むことさえ恥辱だと思っていたのです。


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さらに、朝鮮が独自の文字を作ることは宗主国への反乱を意味するという危惧もあり、第10代燕山君の時代にはこの使用を禁止しています。

誰かが使用しているのを知っていながら告発しない者まで罰せられました(黄文雄『韓国は日本人がつくった』ワック)。


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そのような捨てられた文字を、日本人である福沢諭吉が再発見したのです。
明治維新後朝鮮との交流が始まるや、福沢は朝鮮の近代化に情熱を燃やし、慶応義塾に多くの留学生を受け入れるとともに、自ら朝鮮の歴史と文化を学びました。

そこで彼はハングルに着目し、「日本の漢字仮名まじり文同様、ハングルを駆使すれば難解な漢文を朝鮮語式に自由に読み下すことが可能となり、大衆啓発のために大いに役立つはずだ」と考え、漢字ハングル混合文を提唱しました。


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さらに、福沢はハングル活字を私費で作り、福沢の弟子で後に衆議院議員となった井上角五郎は、この活字を用いて朝鮮最初の漢字ハングル混合文による新聞「漢城週報」を1886年(明治19年)に発行しました。

福沢がハングルを再発見し、朝鮮に広めるきっかけを作ったことは紛れもない事実なのです。



松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




撮影機材
Nikon F801




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