日常非日常

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170330 朝鮮名のままでなんら不利はなかった 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

 朝鮮名のままでなんら不利はなかった


「そうは言っても、日本名を名乗らなければ目に見えない不利を被ったはずだ。これも強制の一種ではないか」と、また韓国は主張するでしょう。

しかし、帝国陸軍には洪思翊こうしよく中将という立派な軍人がいました。終戦時まで朝鮮名を通し、陸軍中将にまで上り詰めています。

陸軍士官学校をでて帝国軍人になった朝鮮人もかなりいて、彼らの多くは朝鮮名で通しました。
もし強制的な雰囲気があったなら、とても軍隊内部で朝鮮名を通すことなどできなかったはずです。



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さらに当時、日本国内では朴春琴が朝鮮名のまま衆議院議員として活躍していました。

朝鮮名を通したのが有名人だけなら「それらは特別な人々であり、日本は広告塔として利用するためにわざと見逃した」と韓国は反論するかもしれません。

しかし「創氏改名」の翌年に朝鮮各地で行われた選挙で、多くの朝鮮名候補者が当選しています。

スポーツ記事でも朝鮮名選手の活躍を賞賛しており、1941年6月20日付京城日報中鮮版一面の「祝 陜川防空飛行大会記念」祝賀広告に至っては、面長(村長)や木工所、酒造会社の社長など、名を連ねている14名全員が朝鮮名です。



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総督府の上級官吏などトップクラスに上り詰めた人々にも、朝鮮名を「氏」とする人が数多くいました。

一般人でも朝鮮名で不利を招くことはなく、むしろ堂々と朝鮮名で通す朝鮮人を頼もしいと歓迎する日本人も多かったのです。




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170320 日本が朝鮮人に日本名を強制した事実はない 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

  日本が朝鮮人に日本名を強制した事実はない


韓国側は、自由意志とは言いながら結果的に80%が日本名の「氏」を創設したのは実質的な強制があったからだと主張しています。
しかし、なぜ強制しなければならないのでしょう。

朝鮮人が日本名を名乗ることで日本人には何のメリットもないのは前に書いたとおりです。
たしかに、同じ日本の統治下にあった台湾では日本名に変えた人は2%以下でした。

ただし台湾の場合は、日本語が堪能なこと、親戚に犯罪者がいないことなど、数々の厳しいハードルが設けられており、その結果2%以下しか日本名を名乗れなかったのが実情でした。

これに対し、韓国の場合は「一視同仁」の理念の下、朝鮮人も天皇陛下の臣民とみなされて一切の制限が設けられませんでした。

「創氏改名」は朝鮮人のみに与えられた「皇恩」だったのです。



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この法律が施行されるや、「朝鮮人の願いを聞き入れていただいたご恩に報いるために住民全員が日本名にしよう」という運動が朝鮮のあちこちで起こり、町や村の議会で「全員日本名とする」ことを決議するケースも続出しました。

朝鮮人官吏が「点数稼ぎ」のために日本名を勧めたこともあったようです。

このような雰囲気のなかで、日本名を名乗らないものが朝鮮人の間で非難されることはあったでしょう。
日本名に変えることを拒否して自殺したという話も残っています。

しかし、それはあくまで朝鮮人社会の内部での問題であり、日本側が強制したわけではありません。



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当時の南次郎朝鮮総督はこの朝鮮人の間で起こった「日本名創氏運動」を深く憂慮し、「創氏改名」の主旨が誤解され日本名強制がなされることを危惧して、期間中三度も「強制してはならない」という通達を出しています。
これについては、1940年3月6日付大阪朝日・中鮮版に次の通り報道されています。

「南 総督は5日の局長会議で(略)左のように関係各方面に注意した。氏創設のことに関してややもすれば誤解している向きもあるように聞くが、これは絶対に強制ではなく、一視同仁の大御心から朝鮮同胞に内地人同様の氏創設の道が開かれたのであって、内鮮一体の具現化であり、この点一般にも誤解なきやう主旨の徹底を図って欲しい」

これほど「強制がなかった」ことを証明する証拠はないでしょう。

総督に逆らったら日本人官吏の出世はありません。
逆立ちしても、日本人官吏が朝鮮人に日本名を強制するわけがないのです。




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170311 差別撤廃の一環だった「創氏改名」 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

  差別撤廃の一環だった「創氏改名」


満州ばかりではなく、半島の朝鮮人からも日本名への要求が出てきました。

「日本人になって30年近く経っても、日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」との不満が朝鮮人の間に高まってきたのです。
無理もないことでした。

たとえば、日本とアメリカが合邦したと仮定して、30年近く経っても日本人が米国式の名前を名乗ることを禁じた法律があれば「差別」となるでしょう。
「アントニオ猪木」も「アームストロング」もダメということになります。

内鮮(内地人と朝鮮人)差別撤廃に腐心していた朝鮮総督府としても朝鮮人の声を無視できなくなり、なんとか良い方法がないか検討を始めました。



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しかし、簡単にはいきません。

朝鮮総督府内部でも日本への密航増加や治安上の問題を憂慮した警務部(警察庁に相当)が反対、これに対して文部部(文部省に相当)は内地人も朝鮮人も天皇陛下の臣民として平等であるという「一視同仁」の考えから賛成し、、侃侃諤諤すったもんだの議論の末に、ようやく1939年(昭和14年)に朝鮮戸籍法の改正にこぎつけたのです。



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では、その改正内容はどのようなものだったでしょう。

朝鮮総督府ではあくまで朝鮮の文化伝統を尊重する立場から「姓」をそのまま戸籍簿上に残し、新たにファミリーネームとしての「氏」を創設することにしました。

「姓」とはあくまで一族の名前であり、朝鮮では男女ともに一族の姓を一生名乗るものとされ、女性は結婚しても姓は変わりませんでした。

したがって、日本のような家族単位の苗字(「氏」)を「姓」以外に設けることにしたのです。



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これにより日本名を希望する朝鮮人は、戸籍上の「氏」を日本名にすることで日本式の苗字を名乗れるようになりました。

これで戸籍簿上には「姓」と「氏」の二つが記載されることになり、これは朝鮮人が「姓」を変えることなく合法的に日本式の苗字を持つことができる妙案でした。

もし「姓」を変えるのであれば「改姓」であり、「創氏」とは言わないはずです。



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「氏」の創設は期間が限られていました。

1940年2月11日より半年間に希望する「氏」を登録することにしました。
日本名を必要としない人は特に登録の必要はなく、その場合は家長の朝鮮式姓がそのまま「氏」に充当されました。

これを「法定創氏」と言い、約20%の人が「法定創氏」を選択しました。



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さらに「せっかく日本人の苗字が名乗れるようになっても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がない。名前も変えさせてほしい」という要望が多く、これに応えるために朝鮮戸籍法を改正する際に、裁判所に申請し裁判所が正当な事由と認めた場合に限り、手数料を支払って名前を変えることも可能としました。

これによって「創氏改名」が実現したのです。



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これらの事実は、朝鮮総督府発行『朝鮮総督府施政年報 昭和15年版』(国立国会図書館蔵)に、次のように明記されています。

「朝鮮戸籍令の改正ありたるも従来の姓及び本貫(一族始祖の発祥地)は依然としてこれを戸籍簿上に存置することとなしたり」

「一家創立の場合のほか自己の姓以外の姓を氏として用うることを得ざるものと為すと共に氏名は原則としてこれを変更することを得ざるものとし唯正当の事由ある場合に限り裁判所の許可を得て之を変更し得ることとなしたり」




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