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161227 当時は日本人の官吏が必死に朝鮮語を勉強していた 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 4︎⃣「国語を奪った」への反論

当時は日本人の官吏が必死に朝鮮語を勉強していた



『朝鮮総督府施政年報 昭和16年版』に、「内地人職員に対する朝鮮語の奨励」なる項目があります。
重要な内容なので、若干長くなりますが主要部分を引用します。

「警察取り締まり・産業奨励・租税徴収等に於いてややもすれば人民の誤解を招くおそれありしがごときはその局に当たる者が朝鮮語に通ぜざるに基因するところ多きに鑑み本府は朝鮮総督府及び所属官署在勤の内地人職員に特に常に民衆に接する地方庁の職員に対し、朝鮮語の学習を奨励する必要を認め(中略)朝鮮語奨励規程を発布し(中略)内地人職員にして朝鮮語に熟達せる者に対し奨励手当を給与するととなせり。(中略)朝鮮語の習得を一層広く奨励し以って本規程の趣旨を徹底せしめ将来普通の用務を處辨しょべんするに差し支えなき程度の朝鮮語を解し得る合格者を多数輩出せしむることに重点を置き、鋭意之が奨励に努めつつあり」(原文は漢字カタカナ文)

昭和16年末の実態は上の通りでした。


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朝鮮語ができなければ仕事にならず、日本人官吏が朝鮮語を必死で学んでいたのです。
熟達したものには奨励金まで支払われていました。

韓国の「朝鮮語を奪われた」という主張がいかに荒唐無稽こうとうむけいであるか、この資料を見れば誰の目にも明らかでしょう。



松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




撮影機材 Nikon F801




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161221 「朝鮮語廃止」を唱えた朝鮮知識人 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 4︎⃣「国語を奪った」への反論

 「朝鮮語廃止」を唱えた朝鮮知識人


逆に、朝鮮の知識人のなかには「朝鮮語の廃止」を唱える人々が大勢いました。
『朝鮮人の進むべき道』の著者、玄水燮は、朝鮮の民族主義も社会主義も否定して「学校で朝鮮語を教える必要はいささかもない」と主張し、「朝鮮語廃止」と「日本語常用」を唱えました。

彼は、朝鮮の独立運動と言われる三・一運動の主導者の一人、朴熙道ボクキドウとともに、国民精神総動員朝鮮連盟の常務理事として南次郎総督に会い、「朝鮮人が完全な日本人となるためには、無意識的融合、つまり完全な内戦一元化からなされなければならないのであるから、神道を通じて、また朝鮮語全廃によらなければならない」と朝鮮語の全廃を提案しました。

しかし、南総督は「朝鮮語を廃止するのは良くない。可及的に国語(日本語)を普及するのはいいのだが、この国語(日本語)普及運動も朝鮮語廃止運動に誤解されることがあるくらいであるから、それは出来ない相談である」といってこれを拒否しています(杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』展転社)。


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そのほかにも、日本語推進を主張する朝鮮の文筆家団体がいくつも結成されました。
1942年(昭和17年)には朝鮮文人協会がその他の団体と合併して朝鮮文人報国会を結成し、200名の文人が名を連ねて日本語による作品づくりを提唱しました(黄文雄『韓国は日本人がつくった』ワック)。

このように、朝鮮人の知識人の間で朝鮮語全廃の主張がなされ、反対に日本がこれを押しとどめていたのが歴史的事実なのです。

もし韓国が主張するように「日本が朝鮮語を奪った」のが事実なら、当時の朝鮮人は全員日本語を話せたはずです。


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朝鮮総督府施政年報昭和16年版に朝鮮での国語(日本語)の普及状況が記載されています。
昭和16年(1941年)末現在、「やや解しえるもの」および「普通会話に差し支えなき者」合わせて約390万人であり、これは当時の朝鮮の人口の16%にすぎません(しかも彼らは全てバイリンガルでした)。

朝鮮語を奪われ、しかも日本語を話せない残りの84%は一体、何語を話したのでしょう。


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戦前および戦中、朝鮮総督府警察官僚を務めた坪井幸生は著書『ある朝鮮総督府警察官僚の回想』(草思社)のなかで、次のように述べています。

「当時の朝鮮人の日常の市民生活では、当然のこととして朝鮮語が常用されていた。
日本人が稀にしかいない田舎はもちろん、都会でも庶民の生活では朝鮮語が普通に使われた。
汽車、電車の切符もタバコも朝鮮語で買えた。
朝鮮内ではどこの郵便局でもカナ以外にハングルを使って電報を打つことができた。

”朝鮮語の使用禁止”があったというのは、当時の事情を知らないものの虚報か、タメにする作り話である」



松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




撮影機材 Nikon F801





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161212 Windows10 インターネットに繋がらなくなった 

Windows10 インターネットに繋がらない


12月11日夜、ノートパソコンが突然インターネットに繋がらなくなった。
分かったのはウイルス対策ソフトの日々の更新ができなくなったからである。

付属の診断機能によると
”イーサネットに有効なIP構成がありません”〜と表示された。

再起動してもダメ、ケーブルの損傷を疑って交換してもダメ、ルーターの電源を落としてしばらくしてから電源を入れてもダメ、ウイルス対策ソフトを無効にしてもダメ。
同じルーターから繋いでいるiMacには異常はないので、ない頭を高回転して考えた結果ノートパソコンに原因があると、判断した。

今夜はもう遅いので、明日IPなんたらを再構成する手順を調べることにして寝た。



12月12日、今まで何のトラブルもなく動いていたのでその時点の状態に復元すれば良いのではないかーと考えた。
このシステム復元は、復元ポイント作成も直近のものしかなかったので、’16/12/02 9:05:02 の自動復元ポイントに復元することにした。


DSCT0216 (1 / 1)

ややあって終了したのだが、
“システムの復元は正しく完了できませんでした。”
”コンピューターのシステムファイルと設定は変更されませんでした。”
ーと、メッセージが表示された。


DSCT0219 (1 / 1)

でも、パソコンの状態を表すアイコンがインターネットにつながっていることを示していて、ウイルス対策ソフトもデータを取り込んでいたのでこれでよしとした。



撮影機材 FUJIFILM X-T1 XF18-55mmF2.8-4R




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161209 朝鮮語が学習科目から外れたことが、なぜ「朝鮮語禁止」となるのか 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 4︎⃣「国語を奪った」への反論

朝鮮語が学習科目から外れたことが、なぜ「朝鮮語禁止」となるのか



併合後、普通学校では朝鮮語を必修とし、小学校では選択科目になっていましたが、1938年(昭和13年)に教育法が改正され、日本と同じ学校制度となりました。
これにともなって、朝鮮語が必修科目から選択科目となり、1941年(昭和16年)からは朝鮮語の科目そのものがなくなりました。

これをもって、「朝鮮人から国語を奪ったプロセスである」と韓国は日本を非難しています。
しかし、1938年は日中戦争(支那事変)が本格化した年であり、1941年には米英との戦いが始まりました。
内地の日本人が死にもの狂いで戦っている時に、朝鮮総督府としても朝鮮語教育に力を入れる余裕が一時的になくなったのもしかたのないことです。

しかしそれだけではありませんでした。


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戦争という非常事態にあって、朝鮮人もオールジャパンの一員として日本人と一致団結して国難を乗り越えようという雰囲気が、朝鮮半島に充満していました。
朝鮮の人は、そうすることが日本人と朝鮮人が完全に平等になる道だと信じていたのです(第4章にて詳述)。

そのためには、一刻も早く日本語を習得する必要があり、学校での朝鮮語の授業が選択性となり、さらに廃止されたのはむしろ自然であると多くの朝鮮の人々が受け取っていました。

朝鮮語の授業が選択性となった時、朝鮮人校長の学校はすぐに朝鮮語教育を止めたのもこのためでした。
一方、日本人校長の学校では朝鮮語を民族の言葉として重要視しており、1941年に授業科目から外されるまで朝鮮語教育を続けました(杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』展転社より)。


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ここで大切なことは、朝鮮語が授業科目から外されたことが「朝鮮語禁止」を意味する者では全くないということです。

当時の朝鮮にいる日本人の人口は、半島の全人口の2%程度でした。
彼等は主に年や港湾の近くに住んでおり、農村部に入れば一つの村に、駐在所の巡査、小学校の先生、水利組合と金融組合の職員を合わせても日本人の数が5、6人を超えることがありませんでした。

その数の日本人が残り98%の朝鮮人に朝鮮語を禁じるなどできるはずがないことは、まともな常識のある人なら誰でもわかるでしょう。


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韓国の教科書には「ハングルで刊行された新聞が廃刊させられた」と書いてありますが、実際には京城では終戦まで朝鮮語の新聞が二紙も発行されており(中村粲『韓国併合とは何だったのか』日本政策研究センター)、「朝鮮語禁止」など全くありませんでした。


松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




撮影機材 Nikon F801



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