日常非日常

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161130 「植民地」であれば日本語を教える必要はなかった 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 4︎⃣「国語を奪った」への反論 

「植民地」であれば日本語を教える必要はなかった



朝鮮総督府は、朝鮮標準語とともに半島における日本語の普及にも力を入れました。
韓国ではこれを取り上げて、「日本は朝鮮人から朝鮮語を奪い日本語を押し付けた」と日本を責め立てます。
しかし、当時は日本と朝鮮は一つの国をなしていました。
同じ国民同士で言葉が通じなければ大問題です。

たとえば、お隣の中国でも同じ中国語と言いながら、大きく分けて「北京語」「上海語」「広東語」「福建語」「重慶語」の5種類の言語があります。
これらは方言の域を超えており、それぞれが外国語と同じくらい違っています。


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このような場合、共通した言葉がなければ国は成り立ちません。
このため、中国政府は北京語を共通語として全国に普及させていますが、北京語以外の中国語を禁止しているわけではありません。
朝鮮での日本語教育もこれと全く同じように「共通語の普及」が目的であり、朝鮮語廃止など毛頭考えていませんでした。

朝鮮語を廃止するつもりなら、朝鮮総督府がハングルの教科書を発行して朝鮮標準語の普及に努めたり、朝鮮語事典を編纂したりするわけがないでしょう。


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日本が朝鮮を「植民地」と考え、朝鮮人から搾取しようとするなら、わざわざ彼らに日本語を教える必要はありません。
むしろ、意思疎通ができない方が「植民地の民」を使いやすいはずです。
イギリス人が植民地のマレー人や中国人を家畜のように鞭で叩きながらこき使っている実写フイルムを見たことがありますが、なまじ言葉が通じたら彼らを人間として扱わざるを得ず、このような牛馬のような使い方はできにくいでしょう。

何よりも「植民地の民」に宗主国の言葉を教えれば、植民地自体の文化レベルが向上し、人々の意識が高まって宗主国からの独立運動につながります。
朝鮮が搾取対象の「植民地」であれば、ここで日本語を教える必要など全くありませんでした。
日本は欧米の植民地と違い、朝鮮に1日も早く日本と同レベルになってもらうことを願って、日本語を共通語として教えたのです。


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普通学校の修身教科書(『普通学校修身書 巻一』国立国会図書館蔵)に、日本語のカナと朝鮮のハングルが併記されており、挿絵には日本の大人が韓国の子供に帽子を取って道を聞いている場面が描かれています。
「人類史上最悪の植民地統治」と韓国は非難しますが、朝鮮が植民地ならこのような教科書が存在するはずがありません。

当時、日本人も韓国人も人間として平等であり、そのことを学校教育でもきっちり教えていた事実が、この一枚の挿絵を見るだけでもよくわかります。


松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




撮影機材
Nikon F801



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161119 初めての本格的な朝鮮語辞典は朝鮮総督府が編纂した 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 4︎⃣「国語を奪った」への反論 

初めての本格的な朝鮮語辞典は朝鮮総督府が編纂した



李朝末のハングルは規則性もなく、文字種も様々で「文字」としての体系をなしていませんでした。
このため、朝鮮総督府は日本と朝鮮の学者を集めて「諺文綴字法研究会」を作り、ハングルを整理研究して近代的文字体系にまで高め、「普通学校用諺文綴法」を決定して教科書に採用しました。


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その後、ハングルは普通学校の全国的大増設に伴い、朝鮮半島全土へ普及していきました。
さらに、朝鮮総督府は文字のみならず朝鮮語の標準化も行いました。
併合当時、朝鮮語は地方によって色々な方言があり、北と南では津軽弁と鹿児島弁ほどの差があって国民の間の意思疎通すらままなりませんでした。
全国共通の標準語設定は国家の近代化に不可欠であると考えた朝鮮総督府は、ソウル及びその近郊で話されている言葉を標準語と定め、学校教育を通し全土にこれを広めました。
現在の韓国語は、この時に成立したのです。


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また、1912年(明治45年))に朝鮮総督府は「朝鮮語辞典」の編纂に着手し、1920年に完成。
本格的朝鮮語辞典が朝鮮総督府によって初めて刊行されました。
1924年(大正13年)には京城帝国大学に朝鮮語・朝鮮文学の講座を開設しています。
ハングルと朝鮮標準語の普及は、朝鮮総督府の近代化施策の賜物だったのです。



松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




撮影機材
Nikon F801



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161107 福沢諭吉が再発見したハングル 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 4︎⃣「国語を奪った」への反論

福沢諭吉が再発見したハングル


小学校教科書には「日本は我らの誇り高いハングルを使わせなかった」と書かれ、「朝鮮語でしゃべれば一語一銭で罰するぞ」という風刺漫画が載せられています。

さらに、前出の国定中学校教科書には次のように書いてあります。
「我々の言葉(韓国語)を禁止し日本語だけを使うようにして、我々の歴史の教育も禁じた。ハングルで刊行された新聞も廃刊させ、我々の言葉と歴史に対する研究も禁止させた」


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韓国だけでなく、中学校用歴史教科書として日本で最も多く使われている『新しい社会歴史』(東京書籍、平成13年検定済)にも「学校では朝鮮史を教えることを禁じ、日本史や日本語を教えて、日本人に同化させる教育を行いました」とあります。

はたして、そんなことが本当にあったのでしょうか。


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そもそも、ハングルは15世紀に李朝第4代世宗が学者を集めて作らせたと言われていますが、当初より諺文オンモン(漢字より低い文字)として忌み嫌われ、公文書では一切使われませんでした。

李朝時代の学者は、ハングルで書かれた文章を読むことさえ恥辱だと思っていたのです。


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さらに、朝鮮が独自の文字を作ることは宗主国への反乱を意味するという危惧もあり、第10代燕山君の時代にはこの使用を禁止しています。

誰かが使用しているのを知っていながら告発しない者まで罰せられました(黄文雄『韓国は日本人がつくった』ワック)。


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そのような捨てられた文字を、日本人である福沢諭吉が再発見したのです。
明治維新後朝鮮との交流が始まるや、福沢は朝鮮の近代化に情熱を燃やし、慶応義塾に多くの留学生を受け入れるとともに、自ら朝鮮の歴史と文化を学びました。

そこで彼はハングルに着目し、「日本の漢字仮名まじり文同様、ハングルを駆使すれば難解な漢文を朝鮮語式に自由に読み下すことが可能となり、大衆啓発のために大いに役立つはずだ」と考え、漢字ハングル混合文を提唱しました。


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さらに、福沢はハングル活字を私費で作り、福沢の弟子で後に衆議院議員となった井上角五郎は、この活字を用いて朝鮮最初の漢字ハングル混合文による新聞「漢城週報」を1886年(明治19年)に発行しました。

福沢がハングルを再発見し、朝鮮に広めるきっかけを作ったことは紛れもない事実なのです。



松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




撮影機材
Nikon F801




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