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160825 ロシアを新たな宗主国にしようと目論んだ閔妃 

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第2章 韓国が糾弾する「七奪」を論破!

 2︎⃣「主権を奪った」への反論

ロシアを新たな宗主国にしようと目論んだ閔妃


日清戦争がはじまってまもなく、朝鮮南部から清軍が撤退した時点で改革派の金弘集が政権につき、日本は彼の近代化のための改革を全面的にバックアップしました。
金弘集は身分制度の廃止、貨幣制度改革など、あらゆる分野にわたって近代化の土台を作るために奮闘しました。
これを甲午こうご改革と言います。
これが成功していれば、その後の朝鮮の歴史は変わっていたかもしれません。


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ところが、大変なことがおきました。
下関条約締結直後に、同条約で日本の領土となった遼東半島を清に返せと、ロシア、ドイツ、フランスの三国が横槍を入れてきたのです。
いわゆる三国干渉であり、首謀者はロシアです。
日本にはこの三国を相手に戦う力はありませんので、大きな犠牲を払い国際法上正当な交渉で獲得した遼東半島を、軍事大国の理不尽な要求によって放棄せざるを得ませんでした。


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日本が三国の要求を飲んで遼東半島を清に返すと、すかさず遼東半島の主要部分をロシアが清より租借しました。
最初からそれがロシアの狙いだったのです。
甲午改革によって国王の専制的権力を奪われつつあった国王・高宗とその妃である閔妃びんぴは、「日本は弱い」と見てロシアと組んで巻き返しに出ました。
彼らはロシア公使ウェーベルとはかって改革政府を散々妨害し、1895年(明治28年)半ば、ついに金弘集は失脚。
日本の支援で近代化を進めた甲午改革の成果は、すべて水泡に帰してしまいました。


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高宗と閔妃は、専制的な権力を維持するためにロシアに全面的に頼っており、、このままでは宗主国がロシアに変わるだけで李朝時代に逆戻りです。
そうなれば、日清戦争で日本が戦った意味がなくなるどころか、日本の独立も危うくなり一大事です。
高宗は恐妻の誉れ高い閔妃のほとんど言いなりで、閔妃は贅沢な生活に明け暮れ、当然のことながら、閔妃に対する朝鮮の民衆の怨嗟えんさの声は高まりました。


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閔妃と絶えず対立してきた大院君(高宗の父)と、閔妃のロシア接近に危機感を募らせていた日本の三浦梧楼ごろう公使は「閔妃排除」で一致、1895年10月、大院君は三浦公使の助けを借りて、数十人の刺客団を王宮である景福宮に送り込み、閔妃を暗殺しました。
閔妃殺害の報に接した当時のソウルの住民たちは「万歳」を叫んで歓呼したのです(金完燮キムワンソブ)『親日派のための弁明2』扶桑社)。


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刺客は改革派の有志と訓練隊(日本軍が訓練した朝鮮兵士)からなり、これに日本人も含まれていたため、国際社会は日本政府自体が暗殺に関与したのではないかと、疑惑の目を向けました。
驚いた日本政府は疑惑を払拭すべく、三浦公使以下日本人関係者を広島地裁で裁判にかけましたが、朝鮮で元軍部協弁(次官)李周海将軍が責任を取って自首し、彼とその配下2名を死刑に処して事件は決着したため、三浦公使たちは免訴となりました。

一方、このとき現場にいた純宗(高宗の子でのちの皇帝)は、「朕が目撃せし国母の仇は禹範善なり」と別の証言をしており、訓練隊動員の責任者であった禹範善もこれを認めています。


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閔妃暗殺に大院君が深く関与していたことも事実であり、韓国の主張する「日本公使が日本軍と日本人のごろつきを動員して殺害した」という歴史観(『韓国の中学校歴史教科書 中学校国定国史』三橋広夫訳 明石書店)には全く根拠がなく、真相ははっきりしていません。

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しかし誰がやったにせよ、閔妃がそのまま実権を持っていれば、朝鮮がロシアの属国に転落した可能性は極めて高く、内政では閔妃一派による専横政治が続いていたはずです。

閔妃暗殺をめぐる対日非難に対しては「では、何も起こらなかった方が良かったのか」と問えば、心ある韓国人なら答えようがないのではないでしょうか。




松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃





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160815 属国だった朝鮮を独立させたのは誰か? 

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第2章 韓国が糾弾する「七奪」を論破!

 2︎⃣「主権を奪った」への反論

属国だった朝鮮を独立させたのは誰か


李氏朝鮮は最初「みん」の属国であり、後には「しん」の属国でした。
高麗軍の指揮官であった李成桂りせいけいが明軍に寝返って高麗王朝を倒した後、1393年、明の皇帝より「権知朝鮮国事」(実質的朝鮮王)に認定され、明を宗主国とする冊封さくほう体制に組み込まれました。
「朝鮮」という国号そのものも「明」に決めてもらったものです。


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その後、1637年に今度は「清」の軍門に下り、「清」との間で次のような和約を結び、完璧に「清」の属国となりました。

1・朝鮮は清に対し臣としての礼を尽くすこと。
2・朝鮮は明の元号を廃し、明との交通を禁じ、明から送られた誥命こうめい(勅命と冊印)と明から与えられた朝鮮王の印璽いんじを清へ引き渡すこと。
3・王の長子と次男及び大臣の子女を人質として送ること。
4・清が明を征伐する時には、求められた期日までに遅滞なく援軍を派遣すること。
5・内外(清)の諸臣と婚姻を結びよしみを固くすること。
6・城郭の増築や修理については清に事前に許諾を受けること。
7・清に対して毎年黄金百両、白銀一千両と二十余種の物品を歳幣さいへい(毎年納める金と物品)として上納すること。
8・皇帝の誕生日である聖節、正朔せいさくである正月一日、冬至と、慶事の使臣は明との旧例に従って送ること。

(崔基鎬『韓国堕落の2000年史』祥伝社黄金文庫より)



どうですか、朝鮮のどこに国家主権があったと言うのでしょうか。
清の属国以外のなにものでもありません。
この朝鮮を清から独立させたのが日本なのです。


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19世紀後半、欧米列強のアジア侵略が進み、清は欧米諸国の半植民地と化しました。
次は朝鮮、そして日本の番です。
日本としては、お隣の朝鮮に一刻も早く清から独立してもらい、日本と同じ近代国家として、ともに協力して列強の侵略を防ごうと考えましたが、朝鮮は相変わらず清の属国の立場を堅持し、清も朝鮮の独立を許しませんでした。
このままでは朝鮮も日本も共倒れとなり、欧米列強の植民地になってしまいます。


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1894年(明治27年)7月、あくまで朝鮮を属国として支配下に置こうとする清と、朝鮮に近代国家を建設してもらいたい日本が朝鮮の独立を巡って衝突し、日清戦争が起こりました。
その結果、日本が勝利し、清との講和条約(下関条約)を締結しました。

一般的に、戦争終了後の講和条約の第1条は戦勝国側の戦争目的達成内容が謳われます。
下関条約第1条には、朝鮮が「完全無欠なる独立自主の国であることを確認する」と謳われており、日本の践祚目的が朝鮮の独立であったことが明確になっています。

この講和条約締結によって、朝鮮の独立は立派に達成されました。



下関条約 第1條
淸國ハ朝鮮國ノ完全無缼ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ


松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃





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160807 李王家を廃止したのは韓国自身だった 

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第2章 韓国が糾弾する「七奪」を論破

 1︎⃣ 「国王を奪った」への反論

李王家を廃止したのは韓国自身だった


終戦時、李垠殿下、方子妃殿下ご夫妻は東京に滞在しておられました。
27代李王の純宗は既に亡くなられ、李朝を継ぐべき人は李垠殿下だけでした。
当時、日韓に国交はなく、李垠殿下は密航してでも国へ帰るという意志をお持ちでしたが、李承晩大統領が帰国を許さず、李王朝の復活はなりませんでした。


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このように、李王朝を賦活させず、共和制国家を作ったのは韓国自身です。
「国王を奪われた」と非難するのだったら、なぜ戦後独立時に李王朝を復活させなかったのでしょう。


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160803 皇室の一員として手厚く遇された李王家 

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第2章 韓国が糾弾する「七奪」を論破

 1︎⃣ 「国王を奪った」への反論

皇室の一員として手厚く遇された李王家


韓国や中国には「過去を水に流す」という文化はありません。
国も個人も過去から逃れることはできず、両者間に起きた過去の出来事が現在、さらに未来までも互いの人間関係や国家関係を縛ることになります。
このような社会では、人々にとって、あるいは国にとって必要なのは「ありのままの過去」ではなく、「あるべき過去」なのかもしれません。


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戦後、韓国政府が国民をまとめ、建国の正当性を主張するために躊躇なく「あるべき過去」を作ったのも、このような文化風土に基づいているのではないでしょうか。
日本が韓国で悪行の限りを尽くしたという認識が日韓両国民の意識に定着すれば、日本人から誇りを奪い取り、日本に対して道徳的に有利な立場に立つことができます。
反日を持ち出せば国論はたちまち統一します。
また、外交上の切り札として事あるごとに「過去の歴史」を持ち出すこともできます。
まさに「あるべき過去」は、韓国政府にとって一石二鳥から三鳥以上の武器にもなるのです。


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「あるべき過去」において、「日本は韓国で悪行をなした」という非難だけでは具体性に欠けます。
そこで、これに具体性を持たせるために、反日学者を集めて「日本は統治時代に朝鮮から7つの大切なものを強奪した」という具体的で壮大な歴史物語を作り上げました。


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物語のテーマは「七奪」です。
日本は「国王」「主権」「土地」「国語」「姓名」「命」「資源」を奪い、朝鮮に地獄の苦しみを与えたというもので、これを「真実」として学校で教えるとともに、世界に発信してきました。
本章では、歪曲と捏造に満ちた「七奪」について一つ一つ反論し、その虚構性を明らかにしてまいります。







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韓国では「七奪」の最初に「国王」を挙げています。
しかし、日本は決して李王家をなくしたのではありません。
それどころか、李王家を日本の皇族の一員として温かくお迎えしたのです。
時の韓国皇帝・純宗は、李王として皇族の高い位につかれ、日韓の皇室が融合したのが真実でした。


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併合後、日本は李王家を手厚く保護し、「李王家歳費」として毎年150万円(後に180万円に増額)が朝鮮総督府財政から支出されています。
1935年(昭和10年)度から1940年(昭和15年)度までの朝鮮総督府歳出項目の最上段に「李王家歳費」とあり、毎年180万円が計上されています。(朝鮮総督府『施政30年史』国立国会図書館蔵)
1円が現在の1万円強とすれば、現在の価値で約200億円となります(1円の価値が数倍高かった韓国併合時点では、さらに巨額になります)。
日本の他の宮家に支給される皇族費とは格段に差のある巨額が、李王家に支給されました。


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さらに、「日韓融和のいしずえ」という使命をもって、日本の皇族であられた梨本宮方子なしもとのみやまさこ女王が李王家の王世子(王の後継)李垠りぎん殿下に嫁がれました。
当時15歳の若さで一人朝鮮に渡られた梨本宮方子女王は、その後、李方子妃殿下として立派にそのお役目を果たされたのです。


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日本の「朝鮮統治」は、植民地の王室をことごとく廃止した欧米列強の「植民地支配」とは根本的に違っていることが、李王家への日本の皇族が嫁がれたことだけを見ても明らかです。
欧米列強が朝鮮をその植民地として統治したならば、おそらく李王家の存続すらなかったでしょう。
その意味では、日本は国王を奪うどころか国王を助けたのです。


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