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160429 イラクの人間狩り 4-5 


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戦争を知っていてよかった

イラクの人間狩り
 4-5

今やアメリカはイラクに住む人たちにとって、勝手に自国に乗り込んできた敵、体の中の異物となった。
それに加えて社会は貧しい。
仕事はなく、水も電気も充分ではないという。
昔から外務省には「イラン天国、イラク地獄」という表現があった。
隣り合わせの任地でもイラクは暑さも厳しく、住環境に天と地ほどの違いがあるということだ。
酷暑の中でさらに水も電気も途絶えがちとなったら人の心は荒れて当然だ。


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イラクに住む人々は動く標的を撃つ遊びを発明した。
的はアメリカ兵である。
何しろ武器は出回っている。
部族社会だからアメリカ兵を狙いうちしたって警察に突き出されるわけがない。
サダム・フセインだって未だに捕まらない。
サダムの息子、ウダイとクサイの居所を密告して大金を得た男は、地球の果てまで追跡されて殺されるだろう。
イラク統治評議会がアメリカの傀儡かいらいであることは一目瞭然である。
アフガニスタンのカルザイもアメリカ人に身辺警護をしてもらわなければ命を保てない。
日本の知識人たちは、この段階で今度は、一刻も早く国連主導型の戦後処理を、と言い出した。
それが解決だ、と思ったのだ。


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国連など、イラクに住む部族たちにとっては「なにほどのものか」である。
アメリカも国連も、彼らから見たら一つ穴のむじなである。
何しろイスラム教徒ではないのだから、誰にせよ同じことだ。
国連関係の事務所も国際赤十字の関係の事務所もすべて狙いうちする。
赤十字まで! と日本人は非難を強めるが、赤十字はキリスト教系の医療施設のサインだとは気がつかない。
中東地区の救急車は、青いダビデの星をつけたイスラエルの救急車か、赤新月と呼ばれる赤い三日月をつけたアラブの救急車か、赤十字の印をつけた西欧社会に所属する救急車か、怪我人と病人の人種や信仰によってどれかを選ぶのだ。
だからイラクの部族民は、平気で赤十字と国連の旗の元にあるものを狙いうちする。
同じ「イラク人」の働く警察署も爆破する。
これら「イラク人」はアメリカの計画によって西側で訓練された人たちだから、言わば裏切り者で、少しも容赦する必要はないのである。


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日本の自衛隊が、いくら自分たちは日本人だ、目的は人道支援だと言っても、そんなことが一般に理解されると思うほうが甘い。
仮に理解できたとしても、砂嵐の中や走る車の中で国連のマークをつけ、あの戦闘服を着ている限り、何国人かなど区別できるものではない。
日本の平和維持部隊は、浄水、給水、発電、給電、医療などの人道支援だけだ、と言っても、その恩恵を受ける部族と敵対関係にある部族は、そのためだけにでも、水道栓や水道管を破壊し「国連の兵士」をやっつけるために水道水に毒を入れることも辞さないだろう。


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電線はその行き先によって利益を受ける部族と対立関係にあれば、やたらに線を切るか、それとも違法に電線から電気を盗む「盗電」を繰り返すだろう。
当分の間、アメリカ人や国連兵士狩りの連鎖反応は、おもしろ半分、自棄半分で続くと見なければならない。
殊にそれが自爆など伴わず、ミサイルやロケット砲で済むようになれば、狩りはいっそう気楽で
おもしろいものになるわけだ。
しかも処罰される恐れなしにである。
そしてその間に、戦後統治の新親分たちは、復興費の分け前を自分のポケットに入れられるだけ入れることに狂奔する。





曽野綾子著  「戦争を知っていてよかった 」 から抜萃




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160426 イラクの人間狩り 3-5 

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戦争を知っていてよかった

イラクの人間狩り
 3-5

ブッシュという人は、自分の望む事は人も望むだろう、と言ってはばからない。
これは幼児性以外のなにものでもない。
その点、アラブ人の方がずっと大人で、彼らはその格言の中で言っている。
「他人を信じるな。自分も信じるな」
アメリカが戦闘そのものには勝つだろう、ということは初めからわかっていた。
「包囲された町は、結果的に陥落する」
とアラブ人たちも古い格言の中で教えているのである。
しかしブッシュ政権は勝利の後のことを考えなかった。
一枚岩ではない、親分たちの寄り集まりのような社会で、「皆を満足させること」などできるわけがないことを計算に入れて戦後処理に臨まなかったのである。


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サダムに数千人を殺されたクルド人でさえ、戦争が始まる前に言っていた。
「サダムは憎むべき敵だが、それでもアラブだ。しかしアメリカ人はイスラム社会の外の人だから、サダムより信じられない」
彼らは、サダムに抑えられていた時代を、納得はしなくても理解していたのだ。
それは極めてアラブ的な情況であった。
格言がそれを示している。
「一夜の無政府主義より、数百年にわたる圧制の方がましだ」
「天使に支配されるより、悪魔を支配する方がいい」
「ネズミの正義より、猫の暴政の方がましだ」
まだまだこの手の格言はあるはずである。


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自由だの、解放だの、民主主義だの、自分たちが好きなものは、他人や他国も評価するはずだ、と考えるアメリカ人はまことに人のいい尊大な人たちである。
その原因は日本人だったかもしれない。
アメリカが戦後の日本に民主主義を移植して、こんなにも簡単にうまく根づいたことは、唯一の例外、奇蹟であったのだが、それを認識できなかったのだろう。
しかもアメリカが押しつけた憲法を、後生大事に守り、絶対に変えてはならないと言い張っているのが左翼だ、などという奇想天外なシナリオは、誰1人として考えつかなかったろう。


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アラブは従兄弟社会だということを、アメリカ人も日本人もなかなか理解しない。
彼らにとって信じられるのは、同部族・同宗教だけである。
観念的な国民などというものは、彼らの社会にはない。
サダム・フセインの親衛隊の大部分は、血の繋がった人たちであったということも、それを示している。
だから本当は父子、兄弟だけが身を守るのに信用できる範囲内だが、それでも足りないから、つまりは従兄弟を信じて生きることになる。
格言にもそれが如実に出ている。
「私は弟と組んで、従兄に対抗した。従兄と私はよそ者に対抗した」
「お前の一族は、お前の肉を食べるかもしれないが骨まではぶち折らない」
「正しくったって間違えたってどっちでもいいのだ。お前の兄弟を支持しろ」


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もちろんアラブ人も兄弟や従兄弟にろくでもない人物がいるのは知っている。
だから、「弟は信じるな」とも内に向かっては言うのだ。
しかし現実に心を許すのは同族だけである。
これと関連してよく理解できるのが、聖書の『マタイによる福音書』である。
「あなた方も聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(5・43〜44)
そそっかしい人が、「聖書でも敵を憎めと言っているのよ」という箇所である。
よく読めば、当時の文化的な心情に反して、敵をも愛さなければならない、と命じている。
この文章の中にある「隣人」という言葉が、なかなかおもしろいニュアンスを持つ。
この言葉はヘブライ語の原典では「レア」という語が使われているが、この言葉は「同胞、同部族、同宗教」という極めて限定された意味である。
つまり世間では、「同胞、同部族、同宗教」を愛するようにと言っているが、しかしそれ以外の敵対部族も愛さなければならない、と聖書は命令したのである。
これはイエス時代からセム族にとって「隣人」というのは、単に隣近所に住んでいる人ではなくもっと厳密なもので、同部族で同宗教、つまり親類のことだったことを示している。
サダム・フセインは憎い奴だが、サダムを倒すとしても、それは同じイスラム教徒でなければ顔が立たないのである。





曽野綾子著  「戦争を知っていてよかった 」 から抜萃




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160425 イラクの人間狩り 2-5 

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戦争を知っていてよかった

イラクの人間狩り
 2-5

しかしその頃、私の心に違和感が生じたとすれば、それはアメリカに対する姿勢ではなく、アメリカ政府と日本の識者たちが、イラクを「イラク国」として捉えた視点であった。
確かにオリンピックやサッカー、国連における一票を行使する場合、などではイラクというのは一つの国としてまとまっているように見えるだろ。
しかし国内的に見ればイラクはアフガニスタンと同様、決して近代的な意味での国家とは言えない。
むしろそれはその地域が、部族の力関係が常にせめぎ合っているという意味で、清水次郎長の時代とよく似ていると言った方がいい。


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「イラクを解放し、イラクの戦後に民主主義をもたらす」ことが、アメリカの目標だという意味のことを、ブッシュは何度も、今に至るまで繰り返している。
確かにアメリカにとっても私たち日本人にとっても、民主主義は願わしい情況である。
私のような年齢の人間でさえ、育ったのは民主主義社会の中だったのだから、それに馴染んでいる。
しかしイラクの解放というものは微妙だ。
確かにサダム・フセイン時代、サダムと対立する立場にある部族の人々にとっては、サダムが失脚することは解放であり勝利であったはずだ。
しかしその後に来る社会形態が、ブッシュとその側近、日本の知識人が考えるような「イラク国民の総意が反映した社会」になどなりうるわけはなかったのである。


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まず解放という点から考えよう。
サダムの失脚は願わしいことだが、イスラム社会が全く自由になることなど、多くの人たちは望んでいない、と思われる。
なぜなら、イラクという土地は、イスラム教の信仰に基づく族長支配にこそ馴れているが、民主主義など味わったこともない。
理由は簡単で(いつも私が言っているように)電気が全くないか、充分に供給されていない土地では、民主主義は全く発生し得ないからである。


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たとえばアラブ女性のヴェールは私たちから見ると閉鎖的だし、ヴェールをかぶるように仕向けられるのは、女性に対する性差別の表れだと感じる人もいるだろうが、「ヴェールを取ってもいいのだよ」と言われても、かぶっていることがアラブ女性の信仰の証であり誇りであり感覚的美なのだから、取りたくないという人がほとんどだろう。
「さあ、今日から、パーティでは男性と同席よ」と言われても、アラブ社会では、そのようなはしたないことはしたくないと思う女性が当分の間は大多数だろうと思う。


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1人で旅行しなさい、1人の考えで投票しなさい、夫以外の男性とでも食事に行きなさい、と言われても、そんなことをするのは緊張を強いられるばかりでちっとも楽しくない、と思う女性が多いはずだ。
それがイスラム社会の実態なのである。
彼女たちは男性に守られて暮して来た。
妻は買い物さえ自分ではせず、ずっと貞淑に家の中にいることに満足を覚えて暮らしてきた土地も多い。
少なくとも、それが彼女たちの今日までの選択だったのである。



曽野綾子著  「戦争を知っていてよかった 」 から抜萃




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160423 イラクの人間狩り 1-5 

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戦争を知っていてよかった

イラクの人間狩り
1-5

私は2003年4月5日という日付を入れた原稿でイラク問題を書いているが(「戦争を知っていてよかった」)、再びこの問題について書いておきたいような気になってしまった。
人生で少しでも予言や予測めいたことをするくらい愚かな行為はないと知りながらーなぜなら人生で予測というものは当たったことがないのだからー自衛隊の派遣が目前に迫りつつある情況の中で、アメリカという強国の発する考え方が広まるのは迷惑なものだ、と考えるからである。
11月2日にイラクのバグダッド国際空港に向かおうとしたアメリカの輸送ヘリが地対空ミサイルで撃ち落とされてから、イラクの反米抗争の方法は、新たな局面に入ったと思われる。


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それまで国連、赤十字、警察署などを狙った攻撃は、すべて自爆テロであった。
自爆テロの背景には、イスラムの敵を叩く事は聖戦に参加することであり、死者はあの世で必ず報いられる、という信仰があったのだろうが、人間はやはり死にたくはない。
しかしミサイルやロケット砲を使えば、すべての航空機、車輛、人間の入る陣地などを、遠隔の地から自分は傷つかずに攻撃できるようになる。
前にも書いたことだが、この戦いは、ブッシュとその政権の、軍事、政治双方の読みの浅さにあるのである。


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戦争には本来公正な理由などないのだが、アメリカとイギリスは、サダム・フセインが化学兵器や核兵器を隠し持ちいつそれを使うかわからないから叩くのだ、という大義名分を掲げた。
アメリカは国際原子力機関(IAEA)の査察が完全に終わるまで開戦を待てなかった。
いかに9月11日のニューヨークの世界貿易センタービルのテロ事件があろうとも、少なくとも「正義の戦争」を仕掛けるには、そのれっきとした証拠を提出できなくてはならなかったのである。
それが国際世論を軽薄に納得させる「手順」というものだったろう。


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一方、アラブの格言は、アメリカのこうしたやり方を予見していたとも言える。
「証人を出せない男は嘘つきだ」
「性急は悪魔から来る」
「物事の本当の欠陥はことが終わって露になる」


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日本のインテリたちの多くがこぞって、日本は今こそアメリカと同調するのが筋だ、得策だ、という論陣を張ったことを、私は「産経新聞」の長年の読者兼書き手としてよく記憶し保存してもいる。
私は国際政治に無知だから、そうした識者たちの記事で、日本の安全保障を全うするには、それ以外にないとも教えられたのである。


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曽野綾子著  「戦争を知っていてよかった 」 から抜萃







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160419 戦争を知っていてよかった 5-5 

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戦争を知っていてよかった 5-5

アメリカにとって、日本に民主主義が定着したということは、判断を大きく狂わせる元になったと私は思うことがある。
それはアメリカが自分流の民主主義を、ほとんど実験的に他の国家に植えつけた外交政策の奇蹟的成功例だったのだ。
理由は二つある。
第一に、日本には国民全体にもう数百年間にわたる基礎教育があった。
幕末の頃の日本人の識字率は恐らく世界最高であったろう。
第二に、戦後の日本は、初めに火力、次に水力で、国中に安定した良質の電力を供給することに成功した。
既に達成されていた初等教育のおかげで、日本では電力整備を達成することが、制度的にも技術的にも意識的にも可能になっていたのである。


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1930年代には既に多くの家にラジオがあった。
ラジオを持っている人は御自慢で大きな音でそれを鳴らしたから、木と紙でできた日本の家屋からは容易にその音が漏れ、隣近所でラジオを持っていない人もそれを聞いてラジオの恩恵に浴した。
当時のねじ式の時計は1日で5分くらいは平気で狂ったが、ラジオが正午の時報をポーンと鳴らせば、人々は律儀に時計の針をなおせた。
こうした電力の普及が、戦後の日本の工業化、近代化、民主化を底辺から可能にした。


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一方、いつも私が言うことだが、安定した良質の電気が供給されていない土地には民主主義はあり得ないから、彼らは昔ながらの族長支配の下で暮らすことを守られていると感じて来たのである。
イラクには国の隅々にまでは電気がないから、人々は民主主義というものを知らないに等しいし、またその欲求もないだろう。
民主主義がなければ、自動的に族長支配が機能し、族長によって人々は安全に守られている。
歴代の族長たちと比べて、サダムがどれほど「悪い支配者」だったか、私には充分な知識がない。
しかしそもそも慈愛に満ち、部族民に温情で接し、自分も部族民と苦楽を共にした族長などというものの存在はなかったはずだ。
程度の差こそあれ、族長は常に収奪的圧政と時々わずかなお慈悲とを見せて支配して来たのだ。
基本的にそうした社会形態以外、人々は馴染んでいないから、それ以外の政治形態は恐いし、嫌悪するのである。


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私はそのことをインドで学んだ。
30年来私が働くことになった小さなNGOは、インドのイエズス会の神父たちにも経済的な支援をし、神父たちが不可触民ダーリットの子供や青年たちの教育をする仕事を見て来た。
神父たちはカトリック、不可触民はヒンドゥである。
神父たちはしかしヒンドゥの生徒たちに、決してキリスト教をおしつけることはしなかった。
彼らはただ子供たちをかわいがり、人間の尊厳を教えた。
しかし私が驚いたのは、一番差別を受けている多くの不可触民が、特別な教育を受けている人は別として、決定的に差別が好きだということであった。
これは不思議な情熱であった。
彼らは、自分が最下層であると差別されることを、更に下の階層を設定し意識することで安定させていたのである。
不可触民より下の部族というのは、私が見た限りでは、ヒンドゥ社会の外にある部族―例えばランバーディと呼ばれるジプシー、かつてアフリカからゴアに奴隷として連れて来られた肌の黒いシーディー、今でも森の奥深くに隠れて人を見ると逃げるゴーラ、遊牧して牛飼いをするガウリ、などという部族である。
不可触民が、こうした人々を差別するのは、差別社会以外の形態を知らないので、同じような社会形態の中で同じようなやり方で矛盾を解消しようとするからである。


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アフガニスタンもイラクも、民主主義などというものを知らないから、さし当りそんなものは要らない。
サダムよりましな部族の支配者がくれば、それは望ましいが、どっちみち強力な支配者などというものは、多かれ少なかれ権力と財力をほしいままにして来たものだ。
サダムを憎む人は多い。
しかしその残忍さは理解し得るものだ。
部族統治以外の政治形態を押しつける者はーブッシュであろうと誰であろうとーもっと不愉快な存在なのである。
自分にとっていいものを他人にもいいものとして押しつける。
アメリカという国が、自国の行動の原理としてそれを口にする時、その説明の幼さに、私は辟易している。


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曽野綾子著  「戦争を知っていてよかった 」 から抜萃







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160415 戦争を知っていてよかった 4-5 

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戦争を知っていてよかった 4-5

アフガニスタンの時に私が初めて知ったのは、あちこちに群雄割拠していた部族の長たちのことを英字新聞が「ワーロード」と表現したことだった。
ワーロードは「揶揄的な意味での将軍」だということになっている。
つまり一番適切な日本語の訳は清水次郎長のような「親分」である。


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民主主義が存在しえない土地ではーーその理由は後に述べるーー部族支配がその代行をするのは、全世界でみられる自然な成り行きである。
アラブ国家の中でも、例外的にエジプトなどのように地中海文化圏に属し、長い年月の間に西欧的国家経営の理念と現実とに触れた国は別として、多くのアラブ国家の民衆は、現在も民主主義ではないし、またそれを本気で目指してもいない。
百年、二百年先の遠い未来はわからないが、数十年で民主的国家が形成されるとは到底思えない。
彼らにその能力がないというのではない。
日常生活の中でそうした政治形態は全くそぐわないからである。


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戦後のアフガニスタンに、西側は多額の金を出したが、あの金は一体どういう形でどこへ行ったか。
忘れっぽいマスコミはこの頃アフガニスタンの状況をほとんど報道してくれないから、私たちにはわからないのだが、アフガニスタンで俄にインフラの整備もよくなり、放牧民的生活の中に、日本やアメリカ型の文化生活が進んだという話は、私たちの耳にはあまり入って来ていない。
もちろん一部の金は、学校建設、道路の復旧、医療設備の改善に使われたであろう。
しかし大部分の金は、部族の族長たちに配られて儲けになったはずだ。
誰もが配分には決して満足してはいないだろうが、何しろいい儲けにはなったのだから、今のところはじっとしている。


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当時アメリカからカルザイという不思議な人物が突如として出て来た。
恐らく彼はアメリカの利権の代表者としてひっぱり出されたのだろうと皆思っているが、とにかくあの時アメリカから最も多くの金を引き出せるのは、グッチのデザインによる「民族どてら」をこざかしく着ているという噂のカルザイ以外にいなかったのだから、と、現実主義者の親分たちは仕方なく呑んだのだと識者たちは見ている。
親分たちの関心は、つまり自分たちの部族にいくら分け前が廻って来るか、ということだけだ。
彼らは常に分け前を多くくれる人に付くから、その同盟の構図は流動的である。
そして多くのヨーロッパの国々とアメリカとソ連は、そうした力関係の中で「旦那」になり続けることに、多かれ少なかれ失敗して来ているのである。


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曽野綾子著  「戦争を知っていてよかった 」 から抜萃






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160411 戦争を知っていてよかった 3-5 

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戦争を知っていてよかった 3-5

アメリカがバグダッドに侵攻する前に、民兵の服(私服)を着た初老に見える男が、銃を片手にテレビのカメラマンに向かって、「バグダッドは死守する、アメリカは必ず負ける」と根拠のない明るさで決意を述べていたが、私たちはまさに同じ顔をして日本には神風が吹くから必ず勝つのだ、と確信し、割烹着を着て愛国婦人会のたすきを掛けたおばさんたちも、イラクの民兵と同じことを喋っていたのだと思う。


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しかし私はごく最近にいたるまで、アメリカには(日本と違って)優秀なアラビストがたくさんいて、かなり現実を知って開戦に持ち込んだ、と考えていたのである。
もちろん知っていたから、その通りにするということではない。
しかし少なくとも「自由社会の指導理念」「公的見解」「表面上の理由」としてアメリカが述べた侵攻の理由、サダム政権後のイラク、のイメージが、あまりにも単純で現実離れしたものであり、恐らくアラブ通の間では全く通用しないものだろうと思われることに、私は煩悶している。


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アメリカは、最初から繰り返しイラク国民を残虐なサダム政権から解放し、イラク国民を民主化し、真の自由の尊さを教えるために戦っているのだ、としている。
しかしもしまともなアラビストがこの計画に噛んでいたなら、このような見解が、イラクに住む人々の「習慣と体質」「好みと安定」を反映するものではないことを強調しただろうと思う。
2003年4月5日には、アメリカはバグダッド国際空港を一応制し、ジャーナリストたちの質問は急にサダム以後の人道支援・暫定政権をどうするか、ということに移行した。
アメリカはクルドと結んで、クルド地区への侵攻をたやすくしたから、クルド人たちがアメリカ軍を歓迎して笑ったり踊ったりする光景も放映されたのである。


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しかしクルドもしたたかな人々だ。
クルドはサダムに1988年に化学兵器で約5千人とも言われる人々が虐殺された歴史を持っている。
アメリカに近づいて来たのは、「敵の敵は味方」という最も普遍的で単純な力の原則に則っているだけだ。
アメリカが必要なくなれば、「金の切れ目が縁の切れ目」である。
これはアフガニスタンでもイラクでも同じことだ。


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曽野綾子著  「戦争を知っていてよかった 」 から抜萃





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160406 戦争を知っていてよかった 2-5 

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戦争を知っていてよかった 2-5

1945年当時でも、戦争はあらゆる民間人を巻き込んだ。
広島・長崎は非戦闘員を当然傷つけることを予測した攻撃ではなかったか。
先日、当時10歳前後だった「往年の子供たち」(今はかなり年をくったおじさん・おばさんたち)が数人集まって空襲の話をしたのだが、アメリカの油脂焼夷弾は、火のついた油の飛沫が建物や人間にべたりと貼りつくもので、人間は生きながら火達磨になったという。


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私の知人は1945年の3月9日夜の東京大空襲で焼け出された翌朝、隅田川にかかる橋の一つを渡る時、無数の小さな雪のようなものが、風に乗ってさらさらと足元に流れて来るのを見た。
初めは気がつかなかったが、やがてそれは人間の骨片であることがわかった。
その夜を含めて、東京では10万人以上もの民間人が焼死したのである。
そうした結果をアメリカが予想できなかったはずはない。
つまり今とは比べものにならないほどの素朴な構造の武器しかなかった時代から、戦争は常に巻き添えになって殺される人も出ることを意味していた。


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もし戦争がピンポイントで、敵の大統領官邸や作戦司令部だけを完全に制圧できるものなら、そして民間人には少しも被害なしで済むなら、戦争はお互いに納得した「戦争のプロ」同士の、西部劇の一騎討ちと同じで、少しも悪いものではないではないか。
戦争が悲惨なのは、闘う意志も方途も持たない民間人が必ず巻き込まれるからなのだ。
だからイラクで子供が負傷するのも女性が殺されるのも、それは第一にその国の長であるサダムの責任であり、次に他国に侵攻したアメリカの責任である。


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大東亜戦争の時、国民はすべて大本営発表という報道管制下に置かれていた。
そこで知らされたのは、すべて敗北を隠した偽りの発表であったが、それは程度の差こそあれ宣伝戦というものとしては当然のことだと私は今でも思う。
もし戦時の発表が冷静で自制的で正直に真実だけを伝えるものなら、この点でも戦争は悪くないものであろう。


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戦争は戦いなのだから、欺瞞と威嚇が基礎なのだ。
エリマキトカゲだって、敵を打ち負かそうとして、エリマキの部分(あれは本当は何の部分なのだろう)を広げる。
現実以上に自分の力を大きく錯覚させるのが戦いの常道だ。
戦いだけでなく、政治も外交も、この欺瞞なしにやれることではないだろう。
だから戦争における欺瞞にいちいち怒ることはないのである。


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それにしても大東亜戦争の頃、私たちは(子供だったせいもあるが)相手の国について何も知らなかった。
私の夫は開戦の時、中学4年生だったが、同級生に船会社の経営者の息子がいた。
宣戦布告の翌日、夫はこの友人からアメリカと日本の船舶保有量の統計を見せられて、この戦いは負けると思った、という。
しかしそんな客観的判断の資料を与えられていた日本人は当時例外中の例外であった。


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曽野綾子著  「戦争を知っていてよかった 」 から抜萃



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160401 戦争を知っていてよかった 1-5 

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戦争を知っていてよかった 1-5

世の中のすべてのことはーー時には病苦でさえーー知らないより知っていた方が重厚な人間を創るものだが、戦後の日本には、あくまで知らない方がいい、という信念に囚われたものがたくさんあった。
病気はその一つで、これだけは確かに、人間を創るから病気にかかる方がいいという発想はどこにもない。
しかしそれ以外のことは、求めて悪い状態を体験することはないが、自然にそうなってしまった場合は、充分にその意味を評価する道が残されている。
貧乏、親との死別、失恋、勤め先の倒産。
どれもない方がいいが、そうなればなったで、その体験が別の人間を完成するきっかけになることが期待できる。


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知らない方がいい、という信念の元に扱われた第一のものが戦争である。
戦後、日本にはまともな軍事学も発達しなかた。
孫子の言う「彼を知り己を知れば、百戦してあやうからず」という知恵も定着しなかった。
しかし今度アメリカのイラク侵攻を見ながら、私個人は戦争を体験として知っていてどんなによかったか、としみじみ感謝したのである。


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私は13歳の時に大東亜戦争の終戦を迎えた。
その前に、アメリカの爆撃を受けて、東京が焦土になる姿を見た。
知人の青年たちが、戦場から二度と帰らなかった現実の無残さを知識としてではなく体験として知った。
空腹、栄養失調、個人的・社会的貧困、女子工員の生活、アメリカ軍の進駐、戦後復興の姿も私小説的に見た。
体験が明確な記憶に組み込まれる年頃になっていて幸いであった。


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ここ数カ月の間に私はあらゆるマスコミやいわゆる「その道の通」の友人たちから、イラク侵攻に予想される裏話を聞かせてもらい、読み続けて来た。
どれも政治や経済にうとい私にとっては、目の覚めるような貴重な知識であった。
しかし同時に私は戦争を体験したおかげで、戦争について言われるさまざまな話に迷わされなくて済んでいる面もあることを感じた。


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たとえば民間人を巻き込まない戦争などというものがあり得るという言い方ほどおかしなものはない。
アメリカが敵とするのはサダム・フセインとその息子たちの政権であって、戦争は一般人を巻き込むものではないとアメリカ側は開戦前から言い、民間人の犠牲者が出たことは国際世論でも大きな非難の理由になっている。
その時私は密かに思ったものだ。
それならアメリカはCIAの名において、サダムに対して向こう何十年でも執拗に刺客を放つ宣言をし、それを実行に移す方が、確実に民間人を巻き込まなくて済むというものではないか?


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曽野綾子著  「戦争を知っていてよかった 」 から抜萃






 
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