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151231 親日派一掃のための「過去清算」2-3 

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第12章 反日政策と従軍慰安婦

親日派一掃のための「過去清算」
2-3

しかしながら、盧武鉉が最大の政治テーマとしたのは、金大中の「太陽政策」を引き継いでいっそう推し進め、南北統一へ向けた南北連合国家を形成していくことであった。
この政治テーマを軸に、盧武鉉は国内改革の中心を「企業よりも労働重視、成長よりも分配重視」「国家保安法廃止などを通しての民主国家の実現」に置いた。
そして旧世代批判による戦後韓国の自己内省の中心を、「かつての左翼反政府運動家を民主主義に貢献した愛国者とすること」と「日本統治時代に親日行為をした者を徹底して批判し社会的に排除すること」に置いたのである。


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こうして盧武鉉は、柱としての親北政策の内部に、「国内改革」と「旧世代批判・戦後韓国の自己内省」の問題を取り込んでいったのである。
盧武鉉はこれらをもって「新しい韓国を建設する」と主張し、それを「民族旌旗(精気との表現も見られる)を立て直す」と表現した。
そうして国民の民族主義的な感性に訴え、親北「民族統一」への動きを盛り上げていこうとしたのである。


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結局のところ盧武鉉政権は、韓国にようやく生まれた「戦後韓国の政治・経済・社会のあり方への根本的な批判と自己内省」の気運を、反日を内部に向けて親日派を国内から一掃し、同時に容共を内部に広めて反共派を国内から一掃することへとすり替えたのである。

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先にも述べたように、通貨危機以降「韓国人自身の過去の清算」が主張されるようになっていた。当初の趣旨は、植民地統治を招いた自らの原因を明らかにしようとか、一方的な反日政策を見直そうというものだったのだが、盧武鉉政権は言葉だけを持ってきて中身を正反対の方向へ向けて置き直したのである。

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親日派を国内から一掃するために制定されたのが、2004年3月に成立した「日帝強占下親日反民族行為真相糾明に関する特別法」、いわゆる「親日反民族法」である。
盧武鉉政権はこの法律に基づき、大統領直属の「親日反民族行為真相究明委員会」を設置し、「植民地統治下の親日嫌疑者の選定や調査、報告書作成、史料編纂の遂行など」を推し進めていったのである。


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親日反民族行為には、「日本軍の幹部として協力した行為、創氏改名を主唱したか勧めた行為、日帝統治を称え内戦融合・皇民化運動を率先した行為、日帝軍事品を生産し資源を提供した行為、道・府の諮問・決議機関の議員となった行為」など、25の行為が規定されている。
後に、反民族行為者と判定された者(故人を含む)のリストが公表されている。
この法律の実施経緯は次のようである。

・日帝強占化親日反民族行為真相糾明に関する特別法
2004年3月22日 同法公布。
2005年1月27日 同法改正(法律名から「親日」を除く)。
    5月31日 親日反民族行為真相糾明委員会発足。
2006年12月6日 2006年度調査報告書を公開。親日反民族行為者106人を最終決定。
2007年12月6日 2007年度調査報告書を公開。親日反民族行為者195人を最終決定。
2009年11月27日 2009年度調査報告書を公開。親日反民族行為者704人を最終決定。
2009年11月30日 調査・認定活動を終了。


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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151230 親日派一掃のための「過去清算」1-3 

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第12章 反日政策と従軍慰安婦

親日派一掃のための「過去清算」
1-3

1997年11月の韓国通貨危機は、韓国建国以来はじめて「自己責任」を痛感させられた事態であった。
その「敗北」の辛酸をなめていく過程から、「自己内省」への方向が少しずつみられるようになっていった。


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韓国が通貨危機に陥る少し前に、韓国のデパートの建物が崩壊する、戦後に漢江に架けた橋が崩落するという事態が起きた。
そのときに、日本統治時代に日本が建てた建物や橋がきわめて頑丈に造られていること、それに対して戦後の韓国の建築物には脆弱なものが多く、いつ崩落してもおかしくない橋が多数あることが大きな問題となった。


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自己反省と日本評価が顔を出しはじめ、それから間もなく通貨危機に陥った。
通貨危機の真っ最中に、おそらく戦後はじめて登場した言葉が「韓国人自身の過去の清算」である。
日本の過去ばかりを問うのではなく、自らの過去を問い返そうというものである。
しかしながら、この言葉が実際的な展開へとつながることはなかった。


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通貨危機の直後に大統領に就任した金大中は、1998年10月に日本を訪問した際、「もはや過去について論及することはない」と明言した。
大統領発言としてははじめてのものである。
にもかかわらず、金大中はそれから間もなく起きた歴史教科書問題では、日本に対して大々的な抗議の姿勢をとったのである。
日韓文化交流の制限に至るまでの激しいものだった。
次の盧武鉉(ノムヒョン)政権もまた、当初は日本政府に対して「過去は問わない、未来を見つめよう」といういい方をしていた。


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通貨危機以後の韓国は、経済・社会・政治に至るまでの全般的な危機の深みにますますはまっていった。
金大中は国民の目を北朝鮮へ向けさせることには成功したが、それによって政権批判をかわすことはできず、極端に低い支持率のまま政権を交代するしかなかった。
その頃から、「政府が取り組むべきは外政ではなく今の国内の懸案問題だ」ということが盛んに主張されるようになった。
そして「何よりも国内の政治・経済・社会全般にわたる改革を」という声が高まり、「韓国は国をあげての内省の時期に入った」という言論が大きく盛り上がっていった。


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そうした国民の声が若い世代の「世代交代」の要請と呼応して、盧武鉉を大統領に就任させたといってよいだろう。
盧武鉉の政治姿勢は、「戦後韓国の政治・経済・社会のあり方への根本的な批判と自己内省を通して、新しい韓国を建設する」というものだった。
具体的には韓国の国内改革の推進と旧世代批判を通しての世代交代である。


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃








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151217 国民に知らされない日本の経済援助 3-3 

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第12章 反日政策と従軍慰安婦

国民に知らされない日本の経済援助
3-3

以後の日韓経済協力は年間190億円ベースの借款を中心に実施された。
1983年には全斗煥政権の要求を受けて、新たに7年間で18.5億ドル(4186億円)の円借款と、市中銀行との協調融資を含めた輸銀融資枠21.5億ドル(4864億円)が表明され、円借款では累計3281億円(約18億4900万ドル)が供与されている。


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これを1998年度までの韓国への日本のODA援助の実績でみると、無償資金援助が47億2400万円、無償技術援助が239億9400万円、有償資金援助(円借款)が6455億2700万円、合計で6742億4500万円である。
無償資金・有償資金の援助は90年で打ち切りとなったが、無償技術援助は以後も続けられ、99〜2002年で3億1361万ドル、円換算で300億円を優に超える。
したがって日本の対韓ODA援助は総計で7000億円超ということになる(外務省『ODA白書』各年版より)。


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1970年代〜90年代までに韓国が活用した借款は、外国援助の80パーセントを占めていたが、借款の60パーセント(25億ドル)は日本から供与された円借款である。
円借款は、1977年の鉄道設備改良事業に始まり、産業基盤整備のためのインフラや医療・教育分野等、91件のプロジェクトについて活用されている。


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1970年代〜80年代でみると、円借款は重化学工業化に必要な総合製鉄業・工業団地建設・農業近代化・中小企業育成資金等に約2000億円が活用されている。
また1980年からは追加資金の約3300億円が、地下鉄建設、昭陽江ダム・大清ダム等の多目的ダム、下水処理場等に活用されている。
韓国が世界に誇る浦項製鉄所(日韓経済協力協定に基づいた援助資金の25パーセントが投入された)や地下鉄1号線をはじめ、日本の資金援助と技術協力によって完成してものは数多い。


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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