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151027 戦時体制下の内鮮一体化政策 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

戦時体制下の内鮮一体化政策


従来からの時間をかけての同化という方針の前に、大きく立ちはだかったのが戦争である。
1937年(昭和12)の日中戦争勃発以降に朝鮮で推進された急進的な同化政策、一般に「内鮮一体化政策」といわれる主なものは次のようである。


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・一面(村)一神社計画が立てられ、神社参拝が奨励された。
・37年10月に「皇国臣民ノ誓詞」が朝鮮で発布され、学校でこれを毎朝斉唱させるようにした。


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※ 児童用
一 私共は 大日本帝國の臣民であります
二 私共は 心を合はせて 天皇陛下に忠義を尽くします
三 私共は 忍苦鍛錬して 立派な強い国民となります


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※ 大人用
一 我等は皇国臣民なり 忠誠以て君国に報ぜん
二 我等皇国臣民は 互に信愛協力し 以て団結を固くせん
三 我等皇国臣民は 忍苦鍛錬力を養ひ 以て皇道を宣揚せん


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・38年3月の第三次朝鮮教育令の公布で「内鮮共学」が強調され、日本と同じ教科書が使用されるようになり、朝鮮語が正課からなくなった。
・38年4月から陸軍特別志願兵制が実施され、43年10月から海軍特別志願兵制と学徒兵徴募が実施され、44年4月から徴兵制が実施された。
・39年9月から国家総動員法にかかわる労働力提供者の募集がはじまり、42年3月から官斡旋(役人による勧め)が行なわれ、44年9月から日本人同様の徴用となった。
・40年に創氏改名が施行された。


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この時期に同化政策が急速に推進されたのは、いうまでもなく戦時体制下だったことが最大の理由である。
この数年間だけをもって、日本統治の全体を評価することはできない。


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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’15/08/15 戦後70年 安倍首相談話 全文 (3-3) 2015年8月14日閣議決定 

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’15/08/15の朝刊記事から

戦後70年 安倍首相談話 全文 (3-3) 2015年8月14日閣議決定

わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。
その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々だ歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々のつらい記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、600万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。
中国に置き去りにされた3千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。
米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争の苦痛をなめ尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。
戦後70年のこの機にあたり、わが国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。




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日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。
謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。
そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。
それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈しれつに戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐おんしゅうを越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。
歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り開いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。
その大きな責任があります。

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、わが国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。
この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。
唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。




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私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉を深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、わが国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。
21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、わが国は、いかなる国の恣意しいにも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界のさらなる繁栄をけん引してまいります。
繁栄こそ、平和の礎です。
暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、わが国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆さまと共に創り上げていく。
その決意であります。



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’15/08/15 戦後70年 安倍首相談話 全文 (2-3) 2015年8月14日閣議決定 

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’15/08/15の朝刊記事から

戦後70年 安倍首相談話 全文 (2-3) 2015年8月14日閣議決定

戦後70年にあたり、国内外にたおれたすべての人々の命の前に、深くこうべを垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫えいごうの、哀悼の誠をささげます。


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先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。
終戦後、酷寒の、あるいは灼熱しゃくねつの、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。
広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。


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戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。
中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜むこの民が苦しみ、犠牲となりました。
戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。


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何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、わが国が与えた事実。
歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。
一人一人に、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。
この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。
これが、戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。


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事変、侵略、戦争。
いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。


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先の大戦への深い悔悟の念と共に、わが国はそう誓いました。
自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。


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151014 ◎創氏改名 3-3 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

差別と格差をなくそうとした同化政策

◎創氏改名
3-3

日本が創氏改名を進めた理由は二つあった。
一つは、日本や欧米と同じように、夫婦別姓ではなく妻も夫と同じ一つの姓を名乗るという、一つの家族名のもとでの家族シスシムへ移行することが、同化の方針から望ましいと考えたからである。
もう一つは、朝鮮人自身(とくに中国人などと接触の多い満州居住者)から、「朝鮮式の姓名とは別に、日本式の姓名を名乗らせて欲しい」という要求が多くあったことである。


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4月末までに創氏改名を届け出た者はわずか3.9パーセントにすぎなかった。
そのため、総督府を中心に大々的な創氏改名推奨キャンペーンが展開された。
そうした社会ムードの中で「暗黙の圧力」を感じた者が多かったといわれるが、期限の8月10日までの届け出は次のような結果であった。
 ・創氏の率
  全体(約2500万人)80.34パーセント
   うち日本居住者(昭和14年時で約100万人)14.2パーセント
 ・改名の率
  朝鮮居住者 9.6パーセント


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創氏を届け出たということは、基本的に日本式の氏を新たに設定したことを意味している。
届け出なかった約20パーセントの者には、自動的に従来の朝鮮式の姓が氏として設定されたのである。
創氏の率が全体では80パーセント以上と高い数字を示してるのに対して、日本に居住す者では14.2パーセントと著しく低い。
創氏改名をめぐる政治的・社会的な環境が、朝鮮と本土では大きく異なったことを物語っている。


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改名率がきわめて低いのは、一つには改名には期限がなかったからだろう。
また、「日本式の氏を定めた場合には、必ずしも名を変更する必要はなく、むしろ個人の個性を現す意味合いからも、なるべく従来の名を使用した方が適当である」(総督府法務局民事課長の談話)といった指導の影響も大きかったと思う。


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右のことからも、創氏改名は明らかに法的強制ではなく、ましてや朝鮮式の姓名を奪うことなどではなかったことが理解できるだろう。

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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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’15/08/15 戦後70年 安倍首相談話 全文 (1-3) 2015年8月14日閣議決定 

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’15/08/15の朝刊記事から

戦後70年 安倍首相談話 全文 (1-3) 2015年8月14日閣議決定

終戦70年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。
圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。
その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。
アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。
日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。


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世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。
この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。
人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。
戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。


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当初は、日本も足並みをそろえました。
しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。
その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。
国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。
こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。


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満州事変、そして国際連盟からの脱退。
日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。
進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして70年前。
日本は、敗戦しました。


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151002 ◎創氏改名 2-3 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

差別と格差をなくそうとした同化政策

◎創氏改名
2-3

法が定めているのは、氏の設定と改名の自由である。
強制ではないことが、時間をかけての同化の意志を示しているといえるだろう。
それまでの総督府は、「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」(1911年11月1日の総督府令第124号)などの通達によって、「内地人に紛らわしい姓名」は許可せず、出生届などでも日本式の姓名を届けることに厳しい制限をつけていた。
大韓帝国末期の戸籍法改正の際に、日本式の姓名を届け出ようとする者が多数あり、その禁止や制限をめぐる混乱が少なからずあったことから、総督府は大韓帝国の方針をそのまま引き継いでいたのである。


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自由に改名できる前提で発したのが「昭和14年制令第20号」である。
「御歴代御諱又は御名」は、天皇や皇族の名のことである。
「自己の姓以外の姓は、氏として之を用ふることを得ず」というのは、姓(朝鮮式の金や李や
朴など)を「氏」として設定する場合は、自分以外の姓を用いることはできない、ということである。
朝鮮の姓には本貫というものがある。
本貫は「この姓をもって最初に血縁集団を形成した地」と族譜(系図)に記された地名で表される。
慶州がその地の李氏ならば慶州李氏と称し、金海がその地の金氏ならば金海金氏と称する。
氏とはいっても、これは日本や欧米のような家族名とは異なり、宗族と呼ばれる父系血縁集団の血統名である。
妻は結婚しても実家の父系血縁集団に属する者であることは変わらず、夫の姓を名乗ることなく実家の姓を名乗り続ける。
韓国や中国では今なお、そういう夫婦別姓のシステムをとっている。


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現在の日本では、姓も氏も同じ扱いになっているが、古くは姓と氏は別のものであった。
たとえば、古代末期から千葉県一帯に勢力をふるった千葉氏という氏がある。
この千葉氏は平将門などにつながる平氏の子孫(血統)とされるため、平が千葉氏の姓となる。
朝鮮の金、李、朴などはこの姓にあたり、日本の氏に相当する名乗りがなかったのである。


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃




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