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150729 原料収奪をもっばらとした西洋諸国 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

原料収奪をもっばらとした西洋諸国


西洋列強によるインドや東南アジアの植民地経営は、東インド会社などの株式会社の経営を通して進められたところに特色がある。
この方式は、イギリス、オランダ、フランス、デンマーク、スウェーデンに共通している。
いずれも国王によって東洋貿易の独占権が与えられ、植民地経営を中心的に担ってきた。
国策株式会社であるから国益の追求が最大目的であり、日本のように現地人の生活向上や福祉などを図る政策はとられることがなかった。


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イギリスをはじめとする西洋列強は、日本のように大量の資本を直接投入して工場を建設し、各種の製品を輸出して現地の産業を起こすことをしなかった。
西洋列強のやり方は、基本的に現地からの原料収奪であった。
イギリスの投資は、国策会社東インド会社に投資するという、いつでも引き上げることができる商業的投資だった。


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西洋列強が植民地で主として展開したのは、土地の集約的耕作による輸出用換金作物の大規模栽培である。
プランテーションと呼ばれる前近代的な大農場で、ほとんど無料の土地で極端に安価な労働力(奴隷労働)を大量に使い、莫大な収益をあげていったのである。
これによって現地の経済は、ゴムや綿花など特定の一次産品を宗主国に輸出し、宗主国から完成された消費財を輸入するという構造へと大変質をとげた。
これによって、インドでは飢饉のたびに数百万人規模の死者を出すようになった。


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イギリスは産業革命後、インドの綿製品に課税する一方でイギリスの綿製品を免税するというやり方で、インドに綿製品を逆輸入させた。
これでインドの紡績業は大打撃を受けた。
またイギリスは、茶の輸入で清国(中国)へ大量に流出した銀を取り戻すため、インドにケシ栽培を強制して大量のアヘンを中国に密輸し、膨大な利益を得た。
さらにイギリスは、アヘンの密輸を取り締まる清国に対して戦争(アヘン戦争)を仕掛け、その結果香港を割譲・租借したのである。


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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150727 巨額投資による産業経済の発展 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

巨額投資による産業経済の発展


朝鮮統治では、最後まで投資過剰の赤字経営が続けられた。
朝鮮総督府の統計年報(各年度版)によれば、朝鮮の財政赤字は総額17億6,657万円(1911〜41年)で、赤字分は本国からの交付金(年間約1,200万円)・借入金・公債でまかなわれた。
また貿易収支では総額6億4,700万円(1910〜39年)の赤字である。
1900年前後以降、日本から投入された資本は総額で80億ドルにのぼった。


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こうして北部には大規模な工業地帯が築かれ、南部では資本主義的な商業が大きく発達し、米産は飛躍的な伸長を遂げた。
開墾・干拓・灌漑などの大規模な土地改良、鉄道・道路・架橋・航路・港湾等の交通設備や電信・電話等の通信設備の敷設、近代工場や大規模水力発電所の建設などが全土に渡って展開された。


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植林が毎年行なわれ、1922年までに植林された苗木は総計約10億本にのぼった。
併合当時に米の生産高は年1,000万石だったが、1932年には1,700万石、40年には2,200万石超と大幅に増産された。


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工業生産額は1927〜33年に3億円台、35年に6億円台超、40年に18億円台超。
工業成長率は1914〜27年に年平均5.3パーセント、28〜40年には年平均12.4パーセントと急速な成長を続けた。
1931年には軽工業が工業生産額の62パーセント、重化学工業(化学、金属、機械)が25.6パーセントだったが、39年には重化学工業が逆転している。


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一人当たりGDPも生活物資の消費量も飛躍的に増大し、1920〜30年代のGDPは年間平均4パーセントほど上昇した(当時の世界の諸国では高くて2パーセント程度の成長率だった)。

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特筆すべきは人口が増えたことである。
併合時の朝鮮半島の人口は1,312万名(1910年)だったが、併合後には最終的に2,512万名(1944年)と二倍近くにまでに増加している。
それほど経済力が成長したのである。


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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150723 英仏蘭が行なった一方的な領土宣言 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

英仏蘭が行なった一方的な領土宣言

西洋列強は16世紀以降、さまざまな形で植民地の土地収奪を行ってきた。
20世紀に入ってからの日本の朝鮮統治と比較するのは適切ではないかもしれないが、彼らのとった植民地における土地政策は、20世紀以降の植民地生活に多大な影響を与え続けたのである。
それは後で述べる経済政策や政治政策でも同じことがいえる。
少しばかり述べておきたい。


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北米大陸に侵入したイギリス(アメリカ独立後は米政府)は、先住民との間に激しい土地争奪戦を展開し、条約や協定を交わしては一方的に破ることを繰り返した。
こうして東部一帯を占拠すると、1840年までにすべての先住民をミシシッピー川より西へ強制移住させた。
しかし西部に豊富な資源が眠ることを知ると、再び協定を破って本格的な西部移住・開拓へ乗り出していった。
そして1890年に先住民勢力を完全に制圧すると、先住民を狭小な居留地(リザベーション)へ閉じこめたのである。
またイギリスは、オーストラリアに対して一方的な領土宣言を行ない自国の領土としている。


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17世紀中頃からインドネシアを植民地支配していたオランダは、19世紀にインドネシアの耕地の半分をコーヒー、サトウキビ、藍など換金作物の強制栽培地とし、ヨーロッパ市場へ大量に輸出していった。
これによる収益は当時のオランダの国家予算の3分の1を占めたといわれる。


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インドシナ半島東部を植民地化したフランスは、土地所有の観念などほとんどなく、所有権の意味すらわからない現地住民に対して、所有者のいない土地は没収するという命令を出し、事実上大量の土地を収奪した。
これらの土地はフランス人などの白人に無償で与えられた。


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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150722 韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘 4 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘 4

先に述べたことからも、「40%にあたる膨大な土地」を総督府が没収したなど、とても史実に則った記述とはいえない。
しかし、こうした理解が現在の韓国では常識化されている。
それでも近年では、教科書の記述など国家公認の歴史認識は間違っていると批判し、実際の史料に即した研究成果を示す専門家が、少数ながら出てくるようになっている。


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その代表的な人物ともいえるソウル大学経済学科教授・李榮薫イヨンフン氏は、総督府の土地調査事業について次のように語っている。
「1990年に、日帝の土地調査事業の共同研究に取り掛かった。全国を回って土地台帳など現資料を収集した。慶南金海地域には大量の現資料が残っていた。資料を見て、教科書とはあまりに違う内容にびっくりし驚いた。土地申告をするようにして
[それに反発した]粗暴な農民たちの未申告地をでたらめに奪ったという教科書の記述と違い、[総督府は]未申告地が発生しないように綿密な行政指導をしたし、土地詐欺を防止するための啓導・啓蒙を繰り返した。農民たちも、自分の土地が測量されて地籍に上がるのを見て、喜んで積極的に協調した。その結果、墳墓、雑種地を中心に0.05%位が未申告地で残った。あの時、私たちが持っていた植民地朝鮮のイメージが架空の創作物なのを悟った」

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「日帝の殖民統治史料を詳らかにのぞき見れば、朝鮮の永久併合が植民地統治の目的だったことを分かる。収奪・掠奪ではなく、日本本土と等しい制度と社会基盤を取り揃えた国に作って、永久編入しようとする野心的な支配計画を持っていた。近代的土地・財産制度などは、このための過程だった」(『韓国日報』2004年4月22日掲載インタビュー記事より。[  ]内は筆者)

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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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150715 韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘 3 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘 3


土地調査は次の手順で行われた。
①土地所有者が臨時土地調査局長に申告する。
②申告を受けた同局長が各地の地方土地調査委員会に諮問する。
③地方土地調査委員会が土地調査を行ない、その結果を臨時土地調査局長に報告する。
④報告に従って臨時土地調査局長が土地の所有者や土地の境界を査定する。


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実際に土地調査を遂行したのは地方土地調査委員会であり、これは「面長、洞里長、地主総代、主なる地主」と「地方庁当局者、警察官、当該地方担当の土地調査局準備員」などで構成された。
所有権で係争のある土地については、高等土地調査委員会が訴えを取り上げ、一種の裁判を行って判定している。
土地測量の実務には、土地測量学校を設置して、そこで技術を身につけた朝鮮人が当たり、地主立ち会いのもとで杭打ちを行った。



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この土地調査事業について、韓国の中学校国史の教科書(国定教科書)は次のように書いている。

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「日帝は土地を奪うために、土地所有関係を近代的に整理するという口実を立てて、農民たちの土地を登録するようにした。しかし、我が農民たちは登録手続きがわずらわしいものであり、日帝がやることに反発して、登録しない場合が多かった。そうして、登録していない土地は、すべて主がない土地とみなされて朝鮮総督府の所有になった。
また、従来の王室や公共機関に属していた多くの土地も、朝鮮総督府の所有になり、そのほか、門中や村の共有地も大部分没収された。そして、全国農地の約40%にあたる膨大な土地が朝鮮総督府に占有され、朝鮮総督府はこの土地を東洋拓殖株式会社など、日本人の土地会社に払い下げるか、我が国に移住してくる日本人たちに安い値段で売り渡した」

(2002年度の教科書から引用。現在でも内容に基本的な変わりはない)

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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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150714 韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘 2 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘 2


総督府は併合翌月の1910年9月に臨時土地調査局を設置し、1912年に高等土地調査委員会を設置して土地調査令を公布し、本格的な土地調査事業を開始した。
そして1918年11月に全事業を完了し、林野を除いてすべての土地の所有権が確定した(林野の調査事業は1922年に完了した)。


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確定された朝鮮全土の土地は1918年末で442万町歩、
うち朝鮮人所有地391万町歩、
国有地27万町歩、
日本人所有地24万町歩 だった。


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このうち、所有権者不明で官所有地と判定された12万町歩、
所有権の申告がなかったり所有権者不明の土地2万7千町歩を総督府が接収した。
この総督府が接収した土地は全体の約3パーセントにあたる。


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最大の日本人地主は農地開拓を目的に設立された東洋拓殖株式会社であり、1920年代初頭に約7万3千町歩の農地を地主経営していた。
同社は土地買収を推し進め、終戦時には25万町歩の土地を所有していた。


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土地調査事業によって、課税対象となった土地は以下の通りである。
水田   149万6千町歩
畑    271万2千町歩
垈地    12万町歩
その他    4万7千町歩
 合計  437万6千町歩
 (垈地は家屋敷を含む土地)


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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150711 韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘 1 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘 1


現在、韓国で使われている地籍公簿(土地台帳・地積図)は、
1910年(明治43)9月から1918年(大正7)11月までの間に総経費2456万円を投じて朝鮮総督府により行なわれた朝鮮土地調査事業によって作られたものである。
朝鮮土地調査事業は日本で明治初年に行なわれた地租改正と同様の土地制度政策といってよい。


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土地調査事業で行われたのは、土地の所有権、価値、地形、地貌などについての調査と土地の測量である。
その主な目的は以下の四つであった。
①土地所有権の公認を前提とする近代的土地制度の確立
②土地の所有をめぐる伝統的な紛争の一掃
③土地の生産力にふさわしい租税制度の確立
④税負担の公正化


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こうした近代的な土地調査によってはじめて、鉄道敷設等のインフラ整備や農地拡張などを推進することができるようになったのである。


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近代国家体制の確立していなかった朝鮮では、土地の所有制度がきわめて不明瞭な状態にあった。両班階層の暴力的な土地収奪などが日常的に起きていた。
また農民の間でも土地の所有をめぐる紛争が絶えなかった。
そもそも大韓帝国政府自身、国の地勢を正確に把握していなかったのである。


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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃




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150710 西洋列強による植民地統治との違い 

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第11章 日本の統治は悪だったのか?

西洋列強による植民地統治との違い
 

1910年(明治43)8月22日の日韓併合条約調印によって、大韓帝国という国家は消滅し、朝鮮半島は日本の統治下に入った。
これをもって一般に、朝鮮半島は日本の植民地になったといわれる。
しかし、日本による朝鮮統治は、西洋列強の植民地統治とは大きく性格の異なるものであった。
それは主として次の4点で示すことができる。


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第一に収奪によって内地を潤すという政策が執られなかったこと。
第二に武力的な威圧をもっての統治政策を全般的に執らなかったこと。
第三に文化・社会・教育の近代化を強力に推し進めたこと。
第四に本土人への同化(一体化)を目指したこと。


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以上について、以下に概要を眺めておきたい。

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呉善花著 「韓国併合への道 完全版」から抜萃



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150704 おわりに 「反日」を捨てる韓国  呉 善花 

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150704 おわりに

韓国ではようやく、朝鮮戦争時の韓国軍による民間人大量虐殺事件の一部が公にされました。
朝鮮戦争をめぐっては、他にも公にされていない非人道的な事件がたくさんあるのですが、まもなくそれらもすべて明るみに出されることになるでしょう。


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また金大中大統領は先ごろ、1948年に韓国済州島で起きた8万人にものぼるといわれる民間人の大量虐殺事件について議会の調査を認める法案に署名しました。

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第二次世界大戦後55年を経過してやっとここまでーーーこれだけ遅れたのは、北朝鮮の脅威がいまとは比較にならないほど大きかった事情と無縁ではありませんが、それにしてもなんという長い時間がかかったことでしょう。

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ともあれ、自らの内部に隠すだけ隠し続けてきた罪過や汚点を白日の下にさらけ出し、溜まるだけ溜まってきた膿を絞れるだけ絞り出していく作業が、ようやくその途についたことを喜びたいと思います。
ほんとうの反省はそこからしかはじまることはないのですから。


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「反日」を捨てる韓国という流れは、庶民の心のなかではとっくに主流を形成していたものでした。
それがやっと知識人たちのあいだにも浸透するようになってきたというのが、いまの新しい流れだといってよいでしょう。


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この流れが今後、急流を形成していくのか、あるいは静かな流れとして進むのか、さらにはよどんだり停滞したりしながら遅々たる流れをみせていくのかは、社会の各層、各諸相でさまざまな現れ方をしていくと思います。
しかし、もはや全体としての大きな流れは止めようがありません。
けっして逆流することはないでしょう。


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私はけっして未来予測をしているのではありません。
韓国に「反日」を克服する意識の水準がはじめて生まれたということ、それがいいたいことにほかなりません。
そして、現在進行中のこの体験が、必ずや日本と韓国の関係をよりよいものとしていくことを信じるものです。


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本書に収録された論考に掲載の機会を与えて下さった各誌編集者の方々と、本書への再録を快く承諾された各社に感謝いたします。

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それら諸論考を丹念に読み拾って下さり、加筆・新稿を加えて一冊の本に仕上げることを勧めて下さったのは、PHP研究所第一出版部の白石泰稔氏です。
本にまとめられる労をとられた同氏とPHP研究所のみなさんに感謝の意を述べたいと思います。

     2000年2月吉日

呉 善花     



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呉 善花 著 「反日」を捨てる韓国 より抜粋


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