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150624 重たい扉が開かれつつある 2-2 

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150624 日本なくして韓国なし

重たい扉が開かれつつある
 2-2

韓国が反日感情、反日思想、反日教育を乗り越えることができるかどうかも、こうした機運の今後の動きにかかっている。
自らの歴史、文化、民族性の内側を真摯に深い反省意識を持って見つめていくならば、日本とのいきさつについても、これまでとはまったく異なった見え方がしてくるはずだ。


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私自身の体験からいっても、身の内にしみこんだ反日感情も、頭に強く刷り込まれた誤った日本認識も、実際の日本人、実際の日本社会、実際の日本文化との、時間をかけた深い接触体験のなかで、必ず乗り越えていくことができる。
あるところまで行けば、韓国人が最も日本を理解できるのではないかとすら思う。


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かつての、日本人と生活をともにした植民地時代について、いい時代だったと懐かしむご老人は、実は韓国に少なくないのである。
それなのに、そんなことはまるでなかったかのように、「差別された体験」「差別的な制度や法」だけをもって、すべてを「おぞましき体験」と決めつけてきた戦後の歴史。
この歴史にまで真摯で深い反省意識の視線が入り込むことが可能になったとき、あらゆる反日は超えられていくだろう。
そうなるのかどうかはわからない。
ただ、そうした可能性へ向けての重たい扉がいま、少しだけ開かれつつあることを感じている。


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呉 善花 著 「反日」を捨てる韓国 より抜粋


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150623 重たい扉が開かれつつある 1-2 

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150623 日本なくして韓国なし

重たい扉が開かれつつある
 1-2

アメリカとの全面戦争の結果の敗戦を体験している日本からすれば、その程度のことで意気消沈するほどのショックを受けるなんて、ちょっと情けないじゃないか、ということになるかもしれない。
客観的にいえばそのとおりだと思う。
しかし、朝鮮王朝の滅亡については「日帝の横暴」と、朝鮮戦争については「共産主義の横暴」と、いずれについても被害者意識を持って自己肯定していくことが可能だった。
そこで戦後韓国は、反日と反共を愛国精神の要として国をまとめてきた。
「自らに被害を加えた敵」があってこそ、韓国が力を発揮しえてきたところが多分にあったといってよいだろう。


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それが今回の「敗戦」では外部に加害者を求められない。
自らの意思で戦って自らの力が不足していたために敗れたのだと認めざるをえない。
韓国人がこんなふうに敗北を体験したのは、歴史的にもはじめてのことだった。
そのための大ショックなのである。


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外に敗因を求められなければ内に求めるしかない。
そこに、韓国が大きく変身をとげていける可能性がある。
いまだ本格的な追及に入ったとはいえないが、先に述べたように、いまの韓国に起きている、これまでに見られなかったさまざまな現象から、そのような機運が広がっていることだけはたしかだといえる。


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呉 善花 著 「反日」を捨てる韓国 より抜粋


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150616 韓国人の自己反省 3-3 

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150616 日本なくして韓国なし

韓国人の自己反省
 3-3

これもまた、儒教社会への反省はいいが、なんでもかんでも儒教に罪をかぶせるのはまちがいだし、物事はそう簡単に右から左へと乗り代えていけるものではない、というしかない。
この本の好調な売れ行きをにらんで出版されたのが『孔子が生きれば国が生きる』(チェ・ビョンチョル著、シア出版刊)である。
先の本に反発した儒学者が書いたもだが、とくに儒教思想に基づいた国家再建策を述べたものではない。


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その主張は「孔子を殺して伝統を破壊した末にアメリカ的な自由主義に従う特殊な世界化」が出現しても、ほんとうに人間的な権利を味わうことはできないということと、孔子をおろそかにしたからこそ不正や腐敗や家族解体が蔓延した、ということに集約されている。
「西欧の対立的な構造や機械的な思考だけでは人類は救えない。儒教の世界観は有機体的な調和理論である」(同書)
しかし、そこから先への展開が何もないので、やはり話にならないというしかない。


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また、この本とは正反対に、『私はIMFが好きだ』(キム・ミギョン著、プルンソウル刊)という、IMFをリベラルな社会の象徴と見て、その積極的な受容を説きつつ旧来の儒教的な韓国社会を批判した本もある。
また『大韓民国上流社会』(イ・ソギョン著、ベストセラー刊)では、「IMFその最たる敵は内部にある」として、上流階層の人々の金遣いの荒さをやり玉にあげ、この一握りの贅沢集団こそが韓国が亡ぶまでに至らせた、と主張している。


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以上のような書物がよく売れているのだが、どう見ても、いずれも本格的な韓国の側の「敗戦」の要因に光を当てていこうとするものとはお世辞にもいえない。
これについてはまだまだ時間がかかりそうだ。


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呉 善花 著 「反日」を捨てる韓国 より抜粋


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150604 韓国人の自己反省 2-3 

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150612 日本なくして韓国なし

韓国人の自己反省
 2-3

こうした反省の仕方にまったく意味がないとはいわないが、そこで批判の対象となっているのは不道徳な行為であって、なんら問題の本質ではない。
韓国が朝鮮王朝の悪しき体質から脱却できないままに戦後を歩んできたことはたしかだ。
しかし、それはたんに不正腐敗として指摘できるものではなく、小中華主義、事大主義、侮日観、専制主義などのイデオロギー的、文化的な独善性に深く支えられたものだ。
残念ながら著者の批判はそうしたところへはほとんど届いていないのである。


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考え方や価値観の反省としては『孔子が死ねば韓国が生きる』(キム・キョンイル著、バダ出版社刊)がある。
これは「我が社会の弊害の要因は儒教にある」という立場からのものである。
「儒教文化は政治的欺瞞と偽善、男性優越、若さと創意性の抹殺(目上の者に従うシステム)、死体崇拝(先祖崇拝)を生んだ憂鬱さでしかなかった」(同書)
これが朝鮮王朝の統治イデオロギーとなり、いまなお韓国人の暮らしの中に入り込んでいると著者はいうのである。
そして、もはや儒教の時代は終わった、儒教を捨て「これからは情報化時代にふさわしいアメリカ式に従っていかなくてはならない」と結論する。


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呉 善花 著 「反日」を捨てる韓国 より抜粋


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150607 韓国人の自己反省 1-3 

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150607 日本なくして韓国なし

韓国人の自己反省
 1-3

それでは、韓国人自身による自己反省、あるいは自らの内部に「敗戦」の要因を求める作業はどうなっているのか。
ともかくも韓国人による韓国批判の本が多数出版されている。
そのなかで、歴史的な批判を通して現在を見つめ直そうという立場の典型が、『朝鮮の不正腐敗ーーーその滅亡に及んだ歴史』(パク・ソンス著、キュジャンガク刊)である。


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この著者は、朝鮮末期に国内に蔓延した不正腐敗が日本の植民地支配を招いて国を滅ぼした要因であり、いままた韓国は政治と経済にわたる不正腐敗によってIMFの統治を招いて国を滅ぼしたというのである。
かつての朝鮮王朝とその社会がどれほどひどい不正腐敗を展開していたのか、なぜそうなってしまったのか、ということを検証することによって、過去の失敗の繰り返しを防ごうというのがそのモチーフとなっている。


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「大韓民国50年の歴史は朝鮮王朝500年の歴史の縮小版である。その内容と資質があまりに似ているのである。高宗は朝鮮王朝の最後の王であり、彼を補佐していた臣下はみな無能だった。最近のIMF救済金融時代を招いた大統領の経済閣僚たちも無知で無能で清廉ではなかった。この点で1910年の亡国前夜と1997年の外貨危機前夜は似ている。亡国という結果は、瞬間の失敗と数人の過ちから起きたことではなく、古い長いあいだに腐った慣行といえる不正腐敗の結果から出てきたものである」(同書)

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呉 善花 著 「反日」を捨てる韓国 より抜粋


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