日常非日常

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141231 植民地体験者の生の声を聞きたい 3 

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私だけが人一倍、日本への関心が強かった。
いまから思えば、それは日本というよりは、「海の彼方の世界」そのものへの関心だったと思う。母が話した日本のことも、母が口にした日本語の単語も、私だけが覚えていたのである。
そのため、私が日本に渡ったとき、韓国の姉の間では、
「あの子は子どものころから、日本語の単語をよく覚えて、日本、日本といっていたからねえ」
といった納得の仕方をしていたそうである。
当時の本人としては、そんなことはすっかり忘れていたのだったが。


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母が教えてくれた日本語は、アワビ、ワカメ、フネ、サカナなどの簡単な20ほどの単語だった。
日本は当時の私にも母にも「海の彼方」がキーワードだったから、自ずと海に関する単語が多かったようだ。
済州島の村では、たびたび海岸近くで民俗行事が行われる。
ムーダン(韓国の巫女さん)が行う祭事で「クッ」と呼ばれている。


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当時の済州島ではそれが最も大きな行事で、私たち子どもはその賑わいの日を楽しみにしていた。ある「クッ」の日に、祭事が一通り終わったあと、ムーダンのおばさんが私を呼んで「日本語をやりなさい」というのである。

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そのころ、私が母から口伝えで覚えた日本語を、大人に会えばいってみせて得意になっていたので、私は村で「日本語のうまい子」といわれていたのだった。
私は「任せなさい」とばかりにしゃしゃり出で、母との間で掛け合い歌のようになっていたリズムで、韓国語ー日本語の単語を並べてみせる。


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「パダーウミ、ムルコギーサカナ、ペーフネ、チョンボクーアワビ・・・」
拍手喝采だった。
シャーマンのおばさんは、「よく覚えたね、賢い子ね」と笑顔を満面にうかべ、私にお菓子をくれる。
鼻高々の私。
それ以来、村の「クッ」ではちょくちょく私の「日本語」をやることになった。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋



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141230 植民地体験者の生の声を聞きたい 2 

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理性的な判断のかぎりでは、私は宙ぶらりんのまま判断停止の状態に陥ってしまった。
しかしながら、それはそれでいいと思った。
かんじんなことは、つまり私が知りたいことは、統治者の側に立った日本人の気持ちだった。
もちろん人によって違うだろうが、直接体験者が当時どんな気持ちでいたのか、それを知りたかった。


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歴史的な価値判断については、国際的な視野でみるかぎり、そう簡単に結論を出せるものではないと感じた。
そうした、とりあえずの勉強で得たその当時の私の結論は、実際の植民地体験のある日本人は、朝鮮統治に関するさまざまな思いや気持ちを、ことさら表だっていいたてることなく、墓場まで抱えていこうとしているのではないか、ということだった。
ふつうの日本人とは、そういう人たちではないのか。


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そう思えてきたのは、書店で手に入るかぎりでは、朝鮮統治の日常を体験した日本人の口から、その気持ちを伝えるものが、ほとんど皆無に等しかったためである。
そして、まだ学校教育を受ける以前、幼かったころのことを思い出してみると、私の母をはじめ、日本人の悪口をいう者はそれほど多くはなく、かえってよい印象を語る大人たちがかなりいたことに気づいた。


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光と影があったに違いない。
私はこれまで、その影の部分だけを見ようとしてきたのではなかったのだろうか。
何としても、いつか光の部分に触れてみなくてはならないと思った。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋



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141228 植民地体験者の生の声を聞きたい 1 

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第一には、右から左まで、いろいろな思想の持ち主がいるにせよ、およそ日本人のすべてが、朝鮮統治については何らかの形で罪の意識を持っていることである。
はっきりと認めている人なんて、おそらく一人もいないだろうと思えた。
重要なことは、そこをベースにさまざまな考え方がある、ということだ。
日本人が一枚岩だというのは、まったくの誤りであることを知った。


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第二には、欧米人が日帝時代に触れた文章では、李朝のすさまじい政治的な堕落ぶりを痛烈に批判し、同時に日本の朝鮮統治をある意味では国際的な自然の流れと表現する文章がけっして少なくなかったことである。

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第三には、日本人のなかにも欧米人のなかにも、戦前を帝国主義時代、植民地時代としながら、日本だけを一方的な侵略者として糾弾するのではなく、帝国主義と帝国主義が激突したものとして両者を批判する考えがかなりあったことである。
しかも、欧米人のなかにすら、日本の戦争をアジア諸国の植民地からの解放と独立に一定の役割を果たしたと評価する考えがあったことである。


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世界にこれほど多様な見方があることなど、私はまったく知らなかった。
そして、深く考えさせられたことは、私が朝鮮統治の問題を、「日本民族による朝鮮民族の支配」という、自民族にふりかかった災難という観点だけで考えていたことに対して、私が日本で読んだ本のすべてが、いずれも世界史的な観点、人類史的な観点から書かれていたことだ。
そして、いずれも本も韓国では翻訳されていないことを知った。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋



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141223 「日帝36年」についての無知を悟る 2 

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これまでにも、多くの日本人から、あの朝鮮統治について「悪かった」という言葉をたびたび聞かされていた。
その言葉にはじめて接したときは、大きなショックだった。
なぜならば、韓国では日本人は戦前のことをまったく反省していない、日帝36年の支配はあくまで正しかったと思い続けている、と教えられてきたからである。
だから、当初はそういう日本人の言葉を信じなかった。
嘘をついてその場をごまかそうとしているのだと思っていた。


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しかし、会う日本人のほとんどが、私が日帝問題をもち出そうともち出すまいと、「我々日本人は、戦前は韓国の方々に大変な迷惑をおかけした」という意味のことを一様に述べるのである。
なかには、韓国人なみの日帝批判をしてみせる日本人も少なくなかった。


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ただそれらの場合、多くがきわめて情緒的に態度・姿勢を示すことにとどまり、韓国人の私をことさらに意識して、韓国人の気に障ることを極力いわないようにしていることがよくみてとれた。
しかし、この会のメンバーはまったくそうではなかった。
だからこそ、議論になったのだし、私自身自らの無知を知らされたのである。


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結局のところ、私のほうにあったのは、帝国主義者とその犠牲者、侵略者と被侵略者、植民地支配をした者とされた者、加害者と被害者、道徳的な悪と道徳的な善、といった建前の枠組みだけだった。
その具体的な内容にしても、世界史上の客観的な事実としての意味も、韓国の教科書で教わったこと以外には、全くもってとらえきれていなかったのである。
そして、それは私以外の大部分の韓国人についてもいえることなのだった。


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何はともあれ、歴史の勉強をするしかなかった。
近世から近代にかけての日韓関係史の勉強をするしかなかった。
これには大変な時間がかかり、いまも勉強中なのだが、その過程でいくつかすぐに気づいたことがあった。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋



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141221 「日帝36年」についての無知を悟る 1 

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私にはよくも悪くも、物事を総合的に一挙に把握したいという欲望がある。
それはいまもなお変わってはいないが、このころは、そうした欲望を極力抑え、具体的に物事に対して、個別に一つひとつできるかぎり実際的に向き合っていくことを心がけた。
そうやって、個々具体的な場面で動く日本人の気持ちを知っていこうとしたのだが、そうしたことのなかで、どうしても避けては通れないだろうと思える問題があった。
それはいわゆる「日帝36年の支配」、つまり日本による朝鮮統治の歴史である。


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この問題については、例の会合で日本人ビジネスマンたちと盛んに議論をした。
彼らは私が韓国人だからといって遠慮をすることがない。
しかし冷静に、具体的に、理路整然と話をすすめる。
それに対して私も冷静に話そうとするのだが、いつしか興奮してしまい、大声を出して韓国人お決まりの「日帝批判」を型通りしてしまうこともたびたびだった。


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これでは日本人の気持ちなどわかりようもない。
ただ、彼らとの議論のなかで、私があまりにも日帝時代の歴史事実を知らないことを思い知らされた。
それと同時に、この問題については、日本人のほうもどこか歯切れが悪く、「日本が悪かった」と認めるところが多々あることを知った。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋


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141218 神社への抵抗感 3 

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どんな宗教にも、神から与えられる試練というものがある。
また宗教は、人間の内面の悩み苦しみの解決と無関係ではない。
キリスト教では、神の前で真実の告白をして許しを請う。
そうやって、自らの孤独な魂を真にいやしてくれるのは、かぎりない神の愛のほかにはない。


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それが信仰というものではないかと考えていた私が、内面の傷を癒すものとも思えないただお願いだけの宗教なんて、そんなもの宗教でも何でもないと感じたのは無理もなかった。
宗教の問題というより、これは人間の本質にかかわる問題だと思った。
日本人と神社との間にあるいい加減な宗教観ーーーそうとしか思えない日本人の信仰なるものが、たまらなく嫌だった。


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しかし、不思議で理解しがたい日本人の謎をとくかぎは、もしかするとそこにあるのではないかとも思った。
ここがわかれば日本がわかる、ここがわからなければ日本はわからない、そんな感じがして、嫌な思いでいながらも、神道や神社にはずっと関心をもち続けていた。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋


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141217 神社への抵抗感 2 

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神社は薄暗くてとても気持ちが悪かった。
一つには、神社が私の故郷・済州島の巫女たちがやる、「クッ」という一種のシャーマニズムのお祭りをやる祭場を思い出させるからである。
そこは、決められた祭りのときにしか入ることができず、ふだんは悪霊が憑くからと、だれも近寄ることをしなかった。


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「クッ」の祭場は街から離れた海岸の岩屋であったり、深い山のなかにあったりして、ふだんはだれも近づかない。
子どものころ、そんなところに迷い込むと、朽ち果てたしめ縄や薄汚れた白い紙(日本の御幣ごへい)がたれ下がっていて、背筋がゾッとしたものである。
そんな記憶が日本の神社にオーバーラップしてくる。


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ところが、知り合いの日本人たちは、たしかに神社は神聖な場所であるが、暗いイメージはないという。
それどころか、正月にお参りに行くとか、子どものお宮参りや七五三の祝いに行くとか、出店なども出る楽しいお祭りの場、晴れの場所だというのである。
「クッ」の祭場には死のイメージがつきまとっているが、多くの日本人にとって死と神社はなぜか結びついていない。


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神社は一般的には、家内安全、商売繁盛、無病息災などをお願いする場だという。
とくに自分のほうから宗教的な義務を果たす必要もなく、とにかく晴れ晴れとした心でいいことばかりを祈ればよいようなのだ。


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そんな宗教なんてあるものか、と私は反発していた。
本当にそうなら、まさに、私が悩んでいる日本人の冷たさに通じるというものだ。
友だちとはニコニコした楽しい部分だけで付き合おうとし、こちらの悩み事の相談には、容易に耳を傾けようとはしないーーーそんなふうに日本人を感じていたから、まさに神社は日本人そのものだとも思えた。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋


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131028 虹を見たかい D200 

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141215 神社への抵抗感 1 

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東京、この超近代的な都市のいたるところに神社がある。
アルバイトをするようになって、1年経ったころから私が住むようになった新宿・歌舞伎町の繁華街にも小さな神社があった。
この神社の存在が、わけのわからない日本人をそのままあらわしたように感じられ、長い間私を悩ませていた。


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私がクリスチャンであることも、神社を忌避したい感覚をもった原因の一つだったと思う。
私の通っていた新宿の教会では、神社はキリスト教の敵であり、悪魔の巣窟である、この神社を排除して、そのあとに十字架を立てることが神さまから私たちに与えられた使命であると教えられていた。
そのため、日曜日ごとに教会で、神さまどうか日本の神社を葬って下さい、とお祈りをしたものである。


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韓国教会の牧師からいわれたそのままに、「日本には八百万やおよろずの邪鬼がいる、これを追い出さないと日本の未来はない、それが日本にいる私たちの使命だ」と、真剣に考えていたのである。

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当時私が住んでいたマンションは、窓を開けるとたくさんの緑が目に入り、夏にはセミの鳴き声が聞こえ、とても気持ちがよかった。
しかし、そこは神社の境内たったので、これが悩みの種ともなっていた。


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そこで、教会に通う韓国人の仲間たちが私の住居に来れば、窓を開けて神社の境内を見下ろし、みんないっせいに「悪魔よ、出て行け」と叫びながらお祈りするものだから、管理人さんに「どうか静かにして下さい」と何度も頼まれていた。

  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋


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141212 「韓国人差別」の誤解の構造 2 

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ここに一人、日本人と仲良くしたいと願っている韓国人がいるとしよう。
この人は外国に来て、同国人のいない環境に置かれているので、人間関係をつくるにはまわりの日本人とでなければならない。
そこで、まず韓国式の「仲良しになる方法」をぶつけることになる。
いわばなれなれしい態度をとろうとするのだが、そうすると日本人は、サッと身をかわすのである。
そして、その韓国人に一定の距離を置くようになる。
そこで、その韓国人は「やはり日本人は私たちを差別しているのだ」と思うのである。
これが、韓国人が感じる「日本人の韓国人差別」の誤解の構造だといっていいだろう。


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つい最近のことだが、ある日本人が私に紹介したい韓国人がいるからと、一人の女性を連れてきた。
彼女は日本語学校を出て大学の研究生になったばかりだという。
彼女は同国人だという安心感からだろう、私に会うや、ベラベラと自分の悩みや生活の苦労について話し出した。
まったく昔の自分を見る思いだった。
客観的にいえば、話の内容はとりたてた苦労話でもなく、日本に飽きたとか、生活がどうもおもしろくないとか、どうでもいいことで、他人に聞かせるような話ではないのである。


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ああ、これだ、私がかつての上司に愚痴をいうなといわれたのは、と思った。
自分としては、深い悩みや心の秘密を話しているつもりなのだが、実際にはまるっきり愚痴なのである。
私が彼女にいったことは、「もう少しがんばって日本生活を続けてみて下さい。必ず日本人との理解が深まり、開けてくるから」であった。


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彼女も当時の私同様、誤解や思い違いの連続から、「日本人はみんな韓国人を差別している。絶対に日本人の仲間には入ることができない」と思っているようだった。
韓国で、「日本人は外国人に対して閉鎖的な民族だよ」といわれていたことが、「ほら、ごらん」という感じで、彼女の心を占拠しているに違いなかった。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋


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