日常非日常

                                        since'11/02/20

141029 習慣の違いへの生理的な嫌悪感 1 

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まもなく大東文化大学外国語学部英語学科に入学。
英語を一から勉強し直し、また北米地域の文化や社会の勉強に精を出そうと、日本での大学生活のスタート切った。
日本語学校には韓国人が大勢いたが、大学では私が英語学を専攻したため、まわりに韓国人は一人もいなかった。
大学生活を楽しく過ごすには、まずは同じクラスの日本人と仲良くしていかなければならない。
日本語の会話もかなり上達して、普通に話が通じるようになってきてもいた。


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日本に来て、2年過ぎていたから、自分のほうから積極的に人間関係をつくっていかなくてはならない、と思いはじめるころである。
日本と日本人との本格的な接触がはじまる時期である。
こうしてしだいに日本人との深まりが生まれてくると、さまざまな行き違いがよりいっそう切実味を帯びていくことになる。


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仲良くしていこうと一歩足を踏み出せば、踏み出しただけズレを体験する。
「どうも日本人とはうまくいかない」という感覚がジワジワと湧き出てくる。
それらのズレの大部分は、まことに些細な日常行為に属するものだが、その小さなことが心的な体験としては大問題となってくるのである。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋


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141027 八百屋さんの誇り 2 

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それらからまもなく私は十条を引っ越した。
以後、十条のことはあまり考えないようにしていったこともあって、それらの嫌な体験はいつしか記憶から消え去っていった。
私がようやく十条での体験の意味を理解することができたのは、それから数年後のことだった。
そのきっかけは、当時と似たようなシチュエーションで、ある韓国人がとった振る舞いや発言に、私自身が実に嫌な気分をもったことだった。
その韓国人に私は当時の自分を見たのである。


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あのころの私は、八百屋さんに行けば「いい野菜を下さいね」「新鮮なものを下さいね」、美容院に行けば「きれいにして下さいね」「かっこうよくして下さいね」などと声をかけるのが常だった。
韓国ではそれが店の人への親しみの表現であり、ごく普通の挨拶みたいなものだった。
しかし日本人にはそんな感覚は通用しない。
店に来るたびに「いい野菜を」「新鮮なものを」といわれ続ければ、なんて厭味なやつなのか、ということになる。
同じことが美容院や寿司屋についてもいえただろう。
また八百屋さんでは、韓国流にいちいち品物に触って見る癖が生理的な反発を感じさせもしたことだろう。


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韓国では、物をつくる人、物を売る人を一段下に見て蔑視する風潮がある。
また、つくる人や売る人のほうにも、いい加減なものを平気でつくったり売ったりする傾向が強い。
そのため、商人は信用できないというのが世間の常識となり、品質について念を押したり、自ら商品に触って確かめるふりをしたり、というやりとりが一般的なのである。

おそらく十条時代の私は、親しさを示しながらも、無意識のうちに一段上に立ったような姿勢や態度を同時にあらわしていたと思う。
八百屋さんのご主人や美容院の人は、そんな私の態度に、いたくプライドを傷つけられたのである。
それがこうじて、販売拒否の態度に出たのだったと思う。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋


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141024 八百屋さんの誇り 1 

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日本に来てからの1年ほどの間は、日本人との直接接触は近所での買い物と日本語学校の先生たちにほとんどかぎられていた。
そうした日常生活のいろいろな場面での体験から、表向きの日本人はとても良心的でいい人たちだな、という印象をもって、だいたいは最初の1年が過ぎて行く。
そして、だんだんと日本人との行き違いでぶつかるようになるのは、2年目に入ったころからである。


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十条のアパートの近くに小さな八百屋さんがあった。
店のご主人が親切に対応してくれるので、野菜を買うときはいつもその八百屋さんから買っていた。
ある日、私はその八百屋さんに白菜を買いに行った。
キムチをつくってアパートの隣の部屋の日本人の御夫婦や留学生の友だちにあげようと思ったのである。


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私は店先に山と積まれた白菜を一つ、また一つと触って品定めをしながら、
「おじさん、今日は白菜をたくさん買いますからね、いいのを選んで下さいよ」
といった。
すると店のご主人は、いつもの笑顔はどこへやら、急に怒りだしたのである。
「悪いけど、うちのものはあなたには売りませんよ」
いったい何が気に障ったのか、私にはわけがわからない。
いつも私の買う量が少ないから売るのを嫌がっているのかな、とも思った。
「なぜそんなに怒るんですか」
と私。
するとご主人は、
「朝鮮人にはものを売りませんよ」
といってプイと横を向いてしまった。


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親しいと思っていた人にいきなり後ろから殴られたような、実に不快な気持ちに襲われた。
日本人に怒られたのは、日本に来てはじめてのことだった。
また面と向かって「朝鮮人」といわれたのもはじめてのことだった。
私は「これがよくいう日本人の朝鮮人差別というものなのだな」と思った。


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そのころ、八百屋さん以外でも、近所の店の人から嫌な気分を与えられることがいくつかあった。行きつけの美容院の人たちがなぜかよそよそしくなり、声をかけても口をきいてくれなくなったのもその一つだった。

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またあるとき、お寿司屋さんで板前さんに「おいしいものを下さいね」といったら、いきなり怒り出して「うちにはおいしいものは何もないんだよ!」と怒鳴られたこともあった。
当時の私としては、いずれも理由はわからなかったが、そんなことが続いて、十条での生活がだんだんと嫌なものになっていった。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋


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141021 教育で知る日本と実際に知った日本との大きな落差 

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戦後世代の韓国人は例外なく反日教育を受けてきたが、私の世代は1960年代後半から漢字教育が廃止されていき、やがてハングル教育だけとなり、民族教育が一層強化されていった最初の世代である。
そのため、ハングル世代、反日世代と呼ばれてきたが、小学生のころから、日本人といえばそれこそ悪魔だと教えられ、最も強固に反日意識を植えつけられた世代だといってよいだろう。


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ところが、日本に来て実際に生活をしてみると、どこにも悪魔はいないのである。
それどころか、天使に近い印象を与える人すらいるではないか。
いったい、これはどういうわけなのかということが、日本に来て間もない同世代の留学生たちの間では自然に話題となっていく。


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留学生どうしで集まって話してみると、大部分の者が日本人からはだいたい親切な扱いを受けている。
それに対して、身内の韓国人からは嫌な思いをさせられることが少なくない。
だいたいがそんな感想をもっていることがわかってくる。
そこで話は、韓国人のこんなところが悪い、こんなところがずるい、そもそも教育がなっていないのだ、といった方向へしだいに発展することになる。


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日本人を知っていくにしたがって、韓国人の悪いところのほうが目立って感じるようになる。
と同時に、韓国で日本について知らされていたこと、教えられていたことは間違っているのではないか、という疑問が心に芽生えはじめていく。
私たちよりも一世代前の韓国人が日本に来ても、私たちのようなショックはそれほど受けないという。
ショックは当時では、20歳代、30歳代の私たち反日教育世代特有のものだった。
受けた教育と現実とのギャップがあまりにも大きいため、その間でどうしても悩むことになってしまうのだ。


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たしかに、私をふくめて同世代の留学生の多くが悩んで落ち込んでいた。
当時の韓国はまだまだ情報閉鎖国だったから、いまでいえば北朝鮮の人々が韓国や日本の現実を知って、大きなショックを受けるのと、それほど変わるものではなかったといえるだろう。
こうして私は、国の政府や世間から聞かされてきたことには、たくさんの嘘が含まれていたことをはっきりと知ることになったのである。


  

呉 善花 著 私は、いかにして「日本信徒」となったか より抜粋


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141014 「売国奴」となっても、わが道を行く 2 

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それは、われわれの求めた理念と理想に対する侮辱だけではない。
今に生きる私たちに対する嘲弄ちょうろうだけではない。
それはあからさまに、17年前の「血の日曜日」において、理念と理想のために、祖国と国民のために命を捧げた、私たちの同志の亡霊に対する冒瀆なのである。
だからこそ、それを決して許してはならない。


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そんなインチキな「愛国主義」に騙されるつもりは毛頭ない。
天国にいる同志たちの名誉を守っていくためにも、彼らの志を無駄にしないためにも、そして私たち自身の尊厳と知性が恣意的に踏みにじられないようにするためにも、少なくとも私自身は、このようなウソ偽りのイデオロギーに戦いを挑まなければならない、と考えたのである。
もちろん、今の中国では、このような挑戦はまったく、孤独な戦いになることを覚悟している。
わが同胞の中国人で、おそらくこの私を応援してくれるような人間は、一人も出てこないと思う。


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現に、以前北京大学で肩を並べて民主化運動を共に戦った親友の一人は、90年代に再会した時には、すでにバリバリの「愛国主義者」となって、教職の傍ら「富国強兵策」の研究に没頭しているようである。
そして前章でも記述したように、私が好きな甥でさえ「愛国青年」となったがゆえに、私という「ニセ日本人」に軽蔑のまなざしを向けてきたわけである。
「13億総愛国者」となった中で、私は独りぼっちなのだ。


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それどころか、趙薇さんのような国民的アイドルでさえ、ちょっとした不注意を「売国行為」として取り上げられ罵倒されるようなご時勢だから、「反日」に異議を呈して、「愛国主義」にも弓を引こうとする確信犯の私は、ゆくゆくとわが中国人民から糾弾され憎悪されるような、「売国奴」となってしまうのがオチであろう。
しかしそれでも、私はやはりわが道を行くつもりである。



石 平 著 私はなぜ「中国」をすてたのか から抜粋


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141013 「売国奴」となっても、わが道を行く 1 

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言うまでもないことだが、私自身はもちろん、中国の現代的流行となった、このような薄っぺらで病的な「愛国主義」に対して、常に批判の目を向けている。
いや、「批判の目」云々よりも、むしろ一種の強烈な嫌悪感さえ持つものである。
その理由は簡単である。
このような「愛国主義」もどきのものは最初から、政権党が自らの党利党略と欺瞞によって、人為的に作り出した一つの虚構だからだ。


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かの毛沢東が、「共産主義の理想」という虚偽の世界観をもって、われわれの世代を洗脳したように、かの鄧小平が、「政治改革」という方便としてのウソをもってわれわれの世代を騙したように、「三代目」の江沢民共産党政権は、またもや、「愛国主義」という都合の良い狂言を持ち出して、われわれを、次の世代の若者たちを、中国の国民全員をあざむこうとしているのである。

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もちろん、今の胡錦濤政権もこの大いなるウソを受け継いで、13億の民を永久に騙し続けていく魂胆のようである。
私には、それがどうしても許せないのだ。
一度騙されて、二度騙されて、そして三度までも騙される馬鹿がいるのかと、怒り心頭なのである。
特に許し難いことは、江沢民政権が標榜したこの「愛国主義精神」という名の偽りのイデオロギーは明らかに、われわれの世代が80年代を通して求めてきた民主主義の理念に対するアンチテーゼであり、われわれの世代の情熱と理想に対する完全な否定と、冷酷な抹殺なのである。


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つまり、前述した「国恥教育」の徹底によって、「中華民族対外敵」という虚構としての対立構図が出来上がった中で、われわれの求めた民主主義の実現が、二の次になるだけでなく、「西側の民主主義理念」を叫ぶ私たち自身は、まさに「民族の敵」の手先か追随者と見なされるようになった。
言ってみれば、共産党政権が自らのけ保身のために弄したこの世紀の手品によって、祖国のために、民主化運動に青春をかけた私たちは逆に、全国民から嘲笑されるべきピエロに仕立てられた、ということである。



石 平 著 私はなぜ「中国」をすてたのか から抜粋


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141011 「国恥教育」で屈辱を追体験 

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そこで用いられたテクニックの一つは、すなわち「愛国主義精神高揚運動」において盛んに行われている「国恥こくち教育」というものである。
その内容はいとも簡単明瞭である。
要は中国という国がかつて受けた「国恥」を、「教育」を通じて現在の中国国民に、もう一度認識させることである。


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そして、この「国恥」とは、すなわち近代史や現代史において、中国が列強国の侵略や圧迫から受けた、屈辱の体験を指しているのにほかならない。
要するに、現在の中国国民に、かつて中国が列強国から受けた屈辱を、追体験させることによって、あるいはこうした屈辱への民族的記憶を喚起させることによって、彼らのナショナリズム的情念を高めていくというのが、この国恥教育の狙いである。
言ってみればそれは、昔の傷痕をもう一度痛めつけることによって、自らを奮い立たせるという苦肉の策だったのだ。
こうした苦肉の策から生み出されたのが、すなわち「愛国主義精神」という名の集団的異常心理である。


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つまり、列強たちに恣意的に虐められて侮られたという、中華民族がかつて被った心の傷を追体験させることによって、現在の中国国民にこうした侮辱や、侵害に対抗するための精神的防衛策としての、過剰な自己意識を植え付けることであった。
その結果、別に虐められやすい立場にあるわけでもない現在の中国国民は、あたかも過去の屈辱の時代に後戻りしていった。
一種の被害妄想に囚われて、外部世界に対する過剰な警戒心を持ち、自らの「尊厳」や「感情」に対する異常な執着心を持つようになった。


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その結果、13億の中国人民たちは、ファッションとしての一着の「軍旗服」を目にしただけで、集団的ヒステリーを起こしてしまうほどの、滑稽にして病的な国民に自ら成り下がったのである。


石 平 著 私はなぜ「中国」をすてたのか から抜粋


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141008 13億の人民を束ねる「神話」4 

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天安門事件後の国内情勢に対応して、崩壊の危機から共産党政権を守ろう、という単純な内政上の理由から、その政権の正当性に対する新たな根拠づけとして打ち出されたイデオロギーであるだけに、それは完全に、内向きの問題に対応する内向きの防衛策でしかない。
つまり、愛国主義やナショナリズム意識高揚の本来の意味も、その現実の根拠も、そこには完全に欠如している、ということである。
現実の面から見れば、この時代において、中国という国が外部からの攻撃や侵略にさらされたり、そういう危機に直面していたわけでもないことは、おそらく誰の目にも明らかなことであろう。
中国を取り囲む国際環境からしても、それは「民族の危機」や「国難」などの言葉とは無縁の、平和そのものの時代といえる。


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だとすれば、江沢民共産党政権が、その党利党略から行った「愛国主義教育運動」とは、最初から本当の意味の愛国主義や愛国心とは何の関係もない、悪質な情報操作にすぎないのであり、それによって人為的に作り上げられた、「愛国主義精神の高揚」やナショナリズム意識の台頭は、所詮現実の根拠を持たない、一種の虚構なのである。

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実は、90年代における、「愛国主義精神高揚運動」の虚構性とその時代錯誤こそ、現在における中国のウルトラ・ナショナリズムの異常性を生み出した最大の原因ではなかろうかと思う。

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外部からの攻撃という、ナショナリズムを生み出す現実の根拠がほとんどなかったにもかかわらず、全く内政上の理由から、ナショナリズムの大看板を打ち立てなければならないのは江沢民共産党政権の宿命であったが、その場合、現実に根拠のない、時代錯誤的なナショナリズム意識を国民に浸透させるのには、かなり手の込んだテクニックが必要となるのである。


石 平 著 私はなぜ「中国」をすてたのか から抜粋


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141006 13億の人民を束ねる「神話」3 

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このような新しいパラダイムと、民族の敵に対する新しい対立構図において、共産党による独裁政治体制は、当然、当面の問題の焦点ではなくなった。
逆に「富国強兵のために」の大義名分があれば、こうした政治体制の強化さえ主張できた。
そして今度、愛国の情念と民族の敵に対する敵愾心に燃える90年代以降の知識人や若い学生たちにとって、共産党政権はもはや敵ではなくなった。
全国の人民を束ねて「来るべき」民族闘争を勝ち抜く、という最優先目標の達成のためには、かつての抗日戦争を闘い抜いたと言われる彼ら共産党は、むしろ中華民族の大黒柱として、その強力なリーダーシップを期待される身となったのである。


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しかし、このようなパラダイムの転換としてのイデオロギー作りは、最初から欺瞞であった。
一国における愛国主義精神の高揚や、ナショナリズムの急速な台頭は普通の場合、その国が外部からの攻撃や圧迫によって何らかの国難に直面し、あるいは民族存亡の危機にさらされた時に起きることである。
それは、国家あるいは民族という有機体が、外部からの攻撃に対して引き起こす、一種の防衛反応のようなものである。
つまり、外からの挑戦に対する外向き反応こそ、ナショナリズム意識高揚の本来の姿であり、その根拠なのである。


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しかし90年代の中国における、愛国主義精神の高揚やナショナリズム意識のにわかな台頭は、全く性格が異なった。


石 平 著 私はなぜ「中国」をすてたのか から抜粋


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141004 13億の人民を束ねる「神話」2 

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そして、90年代を通して江沢民政権がとってきた一つの戦略は、すなわち「愛国主義精神高揚運動」の宣伝キャンペーンと教育運動を持続的に展開させることで、ナショナリズムのイデオロギーを全面的に打ち立てることであった。
死の床にある共産主義のイデオロギーにとって代わる、13億の民を束ねていく神話として、「愛国主義精神」という名のナショナリズム意識と感情の浸透が、徹底的に図られたのである。


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その結果、中国共産党政権にとって、たいへん望ましい局面が生まれてきた。
天安門事件以前の80年代を通じ、自由主義と民主主義が知識人や学生たちに浸透すると、中国において、「民主と自由の理念」対「共産主義イデオロギー」の対立構図ができあがった。
このような構図の中で、共産党による一党独裁の政治体制は対立の焦点となり、そして対立の爆発として天安門事件が起こった。


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しかし、その後の江沢民共産党政権は、愛国主義精神の高揚とともに、中国の人権問題に「干渉」してくるアメリカや、「軍国主義の野心」をいまだに捨てていないという日本などの国々を、中国の主権と中華民族の尊厳を侵害しているという仮想の「民族の敵」として仕立て上げることによって、こうした対立構図の組み替えを図っていった。

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その結果、ナショナリズムの理念に基づく民族対立のイデオロギーが打ち出され、民主・自由の理念に基づき共産党の一党独裁を打破する、という80年代のパラダイムにとって代わったのである。
「富国強兵」によって、民族の敵を圧倒するという90年代のパラダイムを確立したわけである。



石 平 著 私はなぜ「中国」をすてたのか から抜粋



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