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130902 空の路 鉄の道 

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130901 空と地のあいだ LX7 

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森脇啓好写真展『京都の印象』案内 

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(画像をクリックすると大きくなります)


旭川市在住の写真家・森脇啓好氏の写真展『京都の印象』が旭川銀座ギャラリーで開催されます。
期間は、2014年1月17日〜30日 13時〜17時 土日は11時〜17時 入場無料 です

旭川銀座ギャラリー は、旭川市3条通り15丁目(銀ビル2F)銀座囲碁クラブ内にあります。


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130901 雨の日 E-M5 ZD14-54mmⅡ 

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131223(3)日本政府の調査 

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対立の第三点は、1885年から1895年にかけて日本政府が行った調査の性格についてであり、文献はすべて日本側に属するものであり、批判の筆頭はまた、井上清氏である。

まず、1885年古賀辰四郎が尖閣諸島での活動を認めるよう要請してきたことに対し、明治政府の内務省から、領有にふみきってよいかとの照会が外務省に出た。
これに対し、外務省は、「これらの島は中国の国境にも近く、清国では島名もつけている、清国の新聞などにも、日本が台湾近くの清国の島を占領するとの風説をながし、日本を疑っているものがいる」等述べて、その領有は「他日の機会にゆずり」今は認めないとの見解を示し、結局、領有は認められないことになった (井上清前掲書、108-109ページ)。

しかしながら、それから10年の歳月が流れ、1894年12月27日内務省は「その当時と今日とは事情も違ってきているので」領有を認めてよいかという再照会が外務省に入った。
今度は外務省も1895年1月11日「本省において別段意義これなし」と回答し、1月14日内務省請議案どおりに標杭を立てることが決められた(井上清前掲書、115-117ページ)。

井上清氏は、内務省が言う「事情も違ってきている」とは、この時期の日清戦争による日本の勝利を指す以外にはありえないとしている。
時あたかも、1894年8月の日清戦争の開始以来、日本軍は連戦連勝、12月の大本営会議で、伊藤博文の献策を入れて、威海衛の北洋艦隊を全滅させ、同時に台湾を占領し今後の領有に備えるという作戦が始動している時だった。
尖閣列島の領有は正にその渦中に起きたのである(井上清前掲書、118-121ページ)。


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以上の二種類の文書の存在は、否定しがたいように思われる。
しかし、この二文書があるからといって、日本による尖閣領有の法的正当性が直ちに崩れるとは思えない。
無主先占の法理に立って、清国が実際に領有を主張するに足る主権行使を行なっていないと判断し、日本の領有の権利を主張することは可能と思われる。
国際的にも、例えば、グレッグ・オースティンは、このような日本側の議論を支持している(Austin,pp.169-170)。

以上は、法的側面に焦点をあてた分析であるが、政治的側面からみても、日中の圧倒的な力の差が台湾の併合を帰結している状況で、尖閣諸島の領有に対しだれからの異議をもまねかなかったとみられる。


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しかし、ここに、実に注意を要する側面が残る。
歴史問題としての側面である。
かりに欧米列強がつくった国際法上、日本の尖閣領有が合法的と判示されても、中国人の目からみれば、これは、日本帝国の力の拡大のなかで、日清戦争、台湾併合という、中国にとって最も思い出したくない過去の歴史の中で起きたことである。

清の関心地域という程のものであったとしても、くずれゆく帝国から日本が力に任せて奪っていったという側面に火がつけば、ナショナリズムの爆発につながりうる。
「大部分の中国側の発言者にとって、尖閣の併合は、1894年-95年戦争と……道義的にも不可分にからんでいる」(Austin,pp.169-170)のである。



保阪正康・東郷和彦 著  日本の領土問題 より抜粋




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130803 夏の日 LX7 

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130814 NHKの「従軍作家たちの戦争」を見て 

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火野葦平は、
陸軍の検閲があり
1 日本軍が負けているところは書いてはならない。
2 戦争の暗黒面を書いてはならない。
3 女のことを書かせない。
4 敵は憎々しくいやらしく書かねばならない。
ーという決まりがあった。
と紹介。

石川達三の「生きてゐる兵隊」が掲載された中央公論は発売前日に発禁となった。
発禁となった「生きてゐる兵隊」は一部流出し1ケ月後上海の新聞で翻訳されその後複数の単行本として中国語訳が出版された。

ー持ち出すことができる人が持ち出した、ということだろう。

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内閣情報部ペン部隊の写真に写っていた作家たちとして
丹羽文雄 石川達三 川口松太郎 深田久弥 瀧井孝作 尾崎士郎 岸田國士 林芙美子 久米正雄 白井喬ニ 片岡鉄兵 火野葦平 吉川英治 佐藤春夫 吉屋信子 菊池寛
などの名前がある。

1942年6月 日本文学報国会発会
大東亞文学者大会が開催され、文学を通じての大東亜戦争の完遂が話し合われた。
1945年8月15日 日本文学報国会は戦時中の活動については何の声明を出さないまま解消した。

ーどう声明を出せば良かったというのか。

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馬淵逸雄中佐 報道戦線
宣伝報道は思想戦の一分野であって近代戦に於ける重要なる戦争手段の一つで宣伝部隊の確立を目指す。

フィリピン人への宣伝目的は、大東亜共栄圏の真義に覚醒せしめ米国依存の思想を排除するため。

南方の島々へ行った作家たちとして
高見順 井伏鱒二 海音寺潮五郎 阿部知二 武田麟太郎 石坂洋次郎

の名前が表示される。

バターン半島の捕虜はフィリピン人が大部分であった。
オードネル捕虜収容所では、捕虜への民族教育を3ケ月間精神教育と捕虜教育を行った。
フィリピンはアメリカ占領下で民主主義を経験していた。と、紹介。

菊池寛は、300人の文筆家と共に公職を追放された。
菊池寛「戦後方言 其心記」より
ファッショ的傾向を唾棄しながら之と充分戦はなかったことは相手が強力であったとは云え遺憾千万である。

ーと紹介しているが、どういう意味なのだろうー。

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多くの作家、知識人がこぞって戦争に参加し協力している。
作家や知識人の意識の高さからして自分の意志に反した軍部の強制によるものとは、到底考えられない。
国を挙げてそうしなければならない状況が、当時の日本にあったということを知らなければならない。
太平洋戦争、侵略戦争という認定は西欧列強のものであり、日本を含む東アジアの国々のものではない。
江戸時代から近代までの日本を取り巻く歴史を国は義務教育期間にもっと詳しく教えるべきだろう。




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130731 散歩道 LX7 

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131212 (2) 先占の法理 

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対立の第二点は、先占の法理をめぐる国際法の解釈についてである。
日本側の論拠は、仮に中国側において一定の認識があっても、領有していることを国際法上認めるためには、もっと確かな事実が必要であり、そういうものだなければ、「無主の地」として、第三国が領有してさしつかえないというものである。

これについては、中国の海洋権益についての緻密な分析をした、グレッグ・オースティンの1998年の著作が興味深い。
彼は、1933年常設国際司法裁判所が、東グリーンランドの法的立場について判示したさい、領土主権主張の根拠としては、「主権者として行動する意図と意思があったこと及びそのような権威を現実に示してきたこと」が必要としたことを根拠に、中国の行動はこれらを満たしていないと判断している(Austin,China’s Ocean Frontier, p.164)。
これが、現下の国際法の国際法の相場観といってもよいのではないか。

これに対しては、このような先占の法理は、アジアに対する帝国主義の植民地拡大に都合のよい法理であり、認めるべきでないという反論がある。
井上清氏は、この法理は、帝国主義の植民地支配を合法化する理論であるとし、この法理を正当化しようとした横田喜三郎氏を批判した(井上清前掲書、50-57ページ)。
最近では、孫崎享氏が、大寿堂鼎氏を引用しつつ、「19世紀以前には、漠としてではあっても中国の管轄圏に入っていた尖閣諸島に対して『これ(日本の領有)は”無主の地”を領有する”先占”にあたる』との論理がどこまで説得力があるか疑問である」と批判している(孫崎享前掲書、67ページ)。



保阪正康・東郷和彦 著  日本の領土問題 より抜粋




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131210 (1)清国関与の実態 

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対立の第一点は、歴史上の文書の検討の結果として、清国の支配が尖閣諸島に及んでいたか否かについてである。
中国側は、尖閣諸島を自国領と認識していたと主張。
日本側は、中国側のいう認識は、いずれも領有権を確認するに足るものではなかったと議論した。

時代は、中国は、明の時代、日本は、戦国の時代にさかのぼる。
尖閣諸島が位置する東シナ海は、倭冦が航海し、明の沿岸警備と衝突する時代であった。
中国の王朝は、明から清に変わる。
日本は、安土桃山、関ヶ原の戦を経て、徳川の世に変わる。
この間、中国から琉球に、冊封使が来航し、台湾から尖閣諸島、琉球列島にいたる航海をし、その記録を残している。
中国側が領有権の根拠として主張しているものは、おおむね以下の3点が中心のようである。


①冊封使がこの海域を航海したさい、琉球圏についての認識を示唆する記録があり、それは、久米島以東の琉球36島であり、尖閣諸島は、琉球の一部としては認識されず、中国の一部として理解されていた。
冊封使の記録は、1534年、1562年、1683年などにさかのぼる。
この点は、井上清氏の1972年論考で詳細に述べられている(前掲書、24-42ページ)。

②1556年倭冦討伐総督に任命された胡宗憲は、1561年福建省の5つの海防区域のなかに、釣魚島などを含めた。
この点は、中国政府声明にも述べられた点である。

③更に、1893年西太后が治療に効果のあった薬草調剤師盛宣懐に、薬剤目的のために尖閣3島を下賜する証書を出した。
この点は、1970年8月23日の楊仲揆の論文で提起された(浦野起央『尖閣諸島・琉球・中国(増補版)』84ページ)。


日本側からは、①については、仮に琉球の範囲が久米島までをカバーすることを示していても、「中国側の文献のいずれも尖閣列島が自国の領土であることを表明したものはありません。
これらの文献はすべて航路上の目標として、たんに航海日誌や航路図においてか、あるいは旅情をたたえる漢詩の中に便宜上に尖閣列島の島喚の名を上げているにすぎません(琉球政府声明、浦野前掲書、228ページ)」ということになる。
②についても、むしろ、領域外における利益保護の性格を有するのではないか、「釣魚島が倭冦の防衛対象範囲に入っていたにせよ、それ故に中国の支配がすでに確立していたとは断定できない(浦野前掲書、82ページ)」ということになる。
③にいたっては、この証書の信憑性に疑いがあるなどの反論が提起され、「こうした詔書が盛宣懐に付与されたということはありえないというのが定説である(浦野前掲書、85ページ)」と論述されている。



保阪正康・東郷和彦 著  日本の領土問題 より抜粋




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