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131128 尖閣諸島の戦後処理 

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日本が敗北し戦後処理の時代が始まった。
日本による台湾併合は終わり、台湾は中華民国の統治の下におかれた。
このことは、法的には、第二次世界大戦の終了に関する一連の国際的な文書(とりわけ、カイロ宣言とポツダム宣言)に従ったものであり、実態的には,日本の敗戦にともなう国民党軍の台湾への進駐によって実証された。

他方尖閣諸島は、米軍政下におかれ、沖縄の一部として推移する。
このことを法的・実態的に示しているのが、1951年のサンフランシスコ平和条約と1971年の沖縄返還協定である。

サンフランシスコ平和条約では、第2条(b)で、「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定された。
他方、同条約第3条は、「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)……を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」と規定されている。
「尖閣諸島」はいずれの条文にも明示されていないが、この二つの条文の規定振りと、その後の条約運営の実態からして、第3条の下で扱われたことは、疑義の余地がない。
米軍は旧沖縄県の行政地域をそのまま引き継ぎ、「尖閣諸島」についても、島名を列記して沖縄県の範囲としてあつかった(芹田健太郎『日本の領土』111ページ)。

この間、戦争の結果勝者の立場に立った中華民国も中華人民共和国も、尖閣を日本の(潜在)主権の下に置くことについていかなる抗議を行ったこともない。
中国側は後になって、抗議をしていたという論証をしているが、私の承知する限り、ここで紹介すべき説得力のある論拠は提示されていない(芹田健太郎前掲著110ページ、112ページ:孫崎享『日本の国境問題』ちくま新書70ページ)。

更にこのことを明確に示したのが、1971年の沖縄返還協定である。
条約第1条2は、返還されるべき「琉球諸島及び大東諸島」の定義を設け、更にそれを法的に確定させるために「合意された議事録」が設けられた。
そこに第1条2の沖縄の領土の範囲は「平和条約3条に基づく米国の施政下にある領土で、1953年12月25日付の民生布告第27号に指定されているとおり」として、その範囲を緯度・経度で明確に確定した。
尖閣諸島はその中に入っているのである(外務省HP)。

戦後処理の過程で、尖閣諸島が日本領として扱われてことには、疑義の余地がない。



保阪正康・東郷和彦 著  日本の領土問題 より抜粋




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130828 都会の神社 LX7 

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130828 胃内視鏡検査 LX7 

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胃癌検診を受けた。胃癌検診には二種類の方法がある。バリウムというものを飲み込んでX線撮影をして胃の内部の異常を発見する方法。バリウムを飲み込む時、喉から胃までバリウムが通っていくのを透しで見て食道の異常も確認するという。

もう一つは、食道から胃、十二指腸へ直接内視鏡を入れて観察するというもの。バリウムはその排泄に苦労するが、胃カメラはその心配はいらない。




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内視鏡検査でもふた通りあって、喉の麻酔だけで検査するのと、加えて鎮静剤を静脈注射して患者の不安感を軽減するのとがある。

鎮静剤を打たないと検査中の胃の内部はモニターで自分で見ることができる。鎮静剤を打つと私の場合マウスピースを加えた途端に意識がなくなり眠ってしまう。そして約1時間後に気持ちよく目が覚める。

目が覚めてから医師から写真に撮った胃の内部をモニターを見ながら、ポリープ切除の後は綺麗になっているなどと説明がある。



その後、病院レストランで美味しい昼食を食べるのである。これがまた楽しみである。





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131119 スポーツ実況放送アナウンサー 

バレーボール
OLYMPUS OM-D E-M5 Olympus ZD14-54mmⅡ

スポーツ実況放送アナウンサーはどうあるべきなのだろうか。
バレーボールが好きでテレビ放送を良く見るのだが「なんとかの守護神◯×△!」「怒濤の三連続得点!」とか・・・
選手がどうしたこうしたの前に大仰な形容詞が付く。
あるいは、この試合に勝てば◯メダルですーとか・・・聞いていて楽しくないし選手に対しても失礼だと思うのです。
どうしたこうしたと言うことは、ラジオじゃあるまいしテレビなんだから見ていれば分かるのです。
アナウンサーなんだから何か言わないといけないのなら、過剰な形容詞や勝ったらメダルがどうとか、劇的な言葉で視聴者の興奮を高めようとかしないで、試合の観戦に、技の理解に役立つ情報などをさりげなく呟いたらどうなんでしょうね。
解説者の言葉は聞きたいので、アナウンサーの音声をカットできる方法はないものでしょうか。

私は音声を出さないで映像だけ見るようにしています。


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130828 グンゼの下着 

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最近なにかにつけて原産国を確認するようになった。
食品だと国内産は安い品物の3倍の価格がついているものがある。国内の農業を守るために私ができることは国内産のものを買うことである。日本の農家が農業を辞めたら全ての農産物は外国産となり、かの地が不作の時は輸出まで手が回らないだろう。
世界のどこかでは順調に生育しているだろうから、その時だけはそこから輸入すれば良いという考えの人がいるだろうが、それで良いのだろうか。

量販店で日本製と目立つように朱書したグンゼの下着を見つけた。もちろん買って帰った。


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131123 尖閣諸島の歴史的経緯 

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尖閣諸島は、沖縄諸島と台湾の間に位置し、現在、五島をもって一体の島々として扱われている。
中心は、台湾に最も近い魚釣島(うおつりじま)であり、その東方に北小島と南小島が隣接している。
北東に少し離れて、久場島(黄尾嶼きびしょ)と大正島(赤尾嶼せきびしょ)があり、大正島が沖縄諸島の西端にある久米島に最も近い。
正確に言えば、さらに、魚釣島の東方の海域に、沖の北岩、沖の南岩、及び飛瀬という三つの岩礁も付属している。

日本政府が「無主の地」として、尖閣の領有を認めたのが1895年1月14日。
この日の閣議決定は、魚釣島と久米島とに標杭をたてることについて決定しているが、これは、五島全島をカバーするものと認識されている(井上清『「尖閣」列島ーー魚釣諸島の史的解明』第三書館、117ページ)。
また、1907年琉球政府声明が尖閣の範囲について詳細に説明している(浦野起央『尖閣諸島・琉球・中国(増補版)』229ベージ)。

このあと、台湾を併合した下関条約が署名されたのが1895年4月18日。
下関条約では、三ケ月前に日本の一部とした尖閣諸島について、個別の合意をしたという形跡は残っていない。
したがって、法的な処理としては、尖閣諸島の日本領土編入と台湾の併合はきりはなされて行われたということになる。

尖閣諸島及び台湾に対する日本の領有は、 1945年8月15日の日本敗北まで国際的にも承認された形で継続された。
尖閣諸島は、開拓の請願者古賀辰四郎氏に対し四島の30年無償貸付として、その後は私有地として付与された(大正島をのぞく)。
古賀氏の事業は、アホウドリの事業の成功により、明治末期には、99戸248人が尖閣諸島の島々に住んだという。
しかしその後事業は下降線をたどり、息子善次氏の時代の1940年島は再び無人島となった(西牟田靖『誰も国境を知らない』336ページ)。



保阪正康・東郷和彦 著  日本の領土問題 より抜粋




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131122 安全保障上最大の脅威 

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問題を提起してから約20年間中国指導部は、これを日中間で喫緊に解決すべき争いとして提起することをしなかった。
東西冷戦の時代に、日本側がこのアプローチを認めたことにより、この問題が日中間の主要問題として扱われたことはなかった。

しかしながら、冷戦が終了した1990年代から、問題は徐々に両国政治関係の中でその重みを加え、2010年9月の中国漁船の領海侵入とその処理をめぐって、日中の最大の政治問題化し、むしろ、安全保障上の最大の脅威になりかねない状況となった。
その後この問題を巡る扱いは小康状況に入っているが、問題の深刻さは、非常なものがある。



保阪正康・東郷和彦 著  日本の領土問題 より抜粋




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131120 武力衝突の危険をはらむ尖閣諸島問題 

P8270700
尖閣諸島問題の本質的な意義

日本にとっても、中国にとっても、尖閣諸島問題は、「今のところ」、領土問題であって、歴史問題ではない。

しかし、中国にとって、この問題が、歴史問題に転化する危険性はある。
そうならないように、この問題を、領土問題として処理し、政治的に無害化することが求められているのではないか。
日本政府がそのための施策を今採っているとは私には思えない。

北方領土と竹島に比べ、尖閣諸島問題が日中間で争われるようになったのは、最近のことである。
中国と台湾が、尖閣問題について日本に対しその領有を主張し始めたのは1971年であり、この年が、国際法上の争いが発生したことを決定する日(クリティカル・デート)となる。

北方領土問題も竹島問題も、それぞれ、1945年のソ連軍による占領と朝鮮の独立をもって、クリティカル・デートと考えるなら、それに遅れて25年以上たってから国際法上の争いが発生したことになる。

しかもなお、問題を提起してから約20年間中国指導部は、これを日中間で喫緊に解決すべき争いとして提起することをしなかった。
東西冷戦の時代に、日本側がこのアプローチを認めたことにより、この問題が日中間の主要問題として扱われたことはなかった。

しかしながら、冷戦が終了した1990年代から、問題は徐々に両国政治関係の中でその重みを加え、2010年9月の中国漁船の領海侵入とその処理をめぐって、日中の最大の政治問題化し、むしろ、安全保障上の最大の脅威になりかねない状況となった。
その後この問題を巡る扱いは小康状況に入っているが、問題の深刻さは、非常なものがある。



保阪正康・東郷和彦 著  日本の領土問題 より抜粋




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130826 ひかり LX7 

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防犯灯


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131119 3 日韓正常化交渉における竹島問題 

P8270701
3 日韓正常化交渉における竹島問題

日韓正常化のための交渉は、サンフランシスコ平和条約調印の直後から予備交渉が始まり、1952年2月の第一次交渉開始から、1965年6月の一括妥結まで足掛け14年に及ぶ大交渉であった。

竹島問題は始めから困難な問題として登場したが、この間、日韓それぞれの見解を表明した4往復のやりとりがあり、そこで、法的・歴史的問題に関する日韓間における見解の対立が明確になった。
主要な論点は、①歴史的権原に関する主張、②日本による編入の効力・国際法上の領土取得要件などに関する主張、③第二次世界大戦後の連合国の措置などをめぐる主張の三点であった(池内敏「竹島/独島論争とは何か」、「歴史評論」2011年5月号所収)。

いずれの点についても、双方の見解の差はうまらず、竹島問題は、交渉の最後までもつれこんだ。
日本側は、ICJ提訴による決着を、韓国側は交渉すべき問題は存在しないという立場を貫いたようである。

結局この問題は、「両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかった場合は、両国政府が合意する手続きに従い、調停によって解決を図る」とする「紛争解決に関する交換公文」で紛らわすことに両者が合意した(玄大松「領土ナショナリズムの誕生」127ページ)。
「紛らわす」という意味が正確に何を意味するかは、解明されていない。
結局日韓は、いわゆる同床異夢によって当座の解決をしたように見える。
8月3日李東元(イドンウオン)外務部長官は韓国の国会で「独島問題は紛争の対象でないから交換公文の適用対象ではない」と述べ、8月9日の参議院予算委員会で椎名悦三郎外相は「竹島問題以外に紛争問題はない、したがって竹島を除くと言わない以上、紛争問題は竹島問題であることは理論的帰結である」と答弁したのである(玄大松前掲書、128ページ)。



保阪正康・東郷和彦 著  日本の領土問題 より抜粋




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