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130630  人種差別の問題 

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人種差別の問題

日米紳士協定を遵守してきた日本は、国務省に対し、「考慮」を求め、必死に動き回りましたが、結局徒労に終わります。
紆余曲折を経た結果、「帰化資格のない移民」が全面的に禁じられることが決定します。
表面的には「帰化資格のない移民」とされていますが、該当するのが日本人しかいない以上、まさしく日本人を排斥することを目的とした法律が制定されたのです。
以後、日本人移民は全面的に禁止されます。
なお、このとき成立した1924年移民法は、トルーマン大統領が1952年に排日条項を撤廃する日まで継続し続けることになります。

排日移民法は,カリフォルニア州など、アメリカのごく一部の州で決定した法律ではありません。
アメリカ全体の法律です。
従って、極少数の良識派がいたことは事実ですが、多くのアメリカ人が日本人の排斥を望み、そうした政策を支持したといって間違いありません。

それは根本的には、肌の色が異なるという人種の問題に帰着する人種差別の問題だったのです。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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130609 電動歯ブラシ 換えブラシ 

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電動歯ブラシの換えブラシを買った。

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使い始めて6カ月にもなるが、まだブラシの交換サインが現れない。

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しかし、ブラシが開いてきたので交換時だろう。

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今回は連れ用の舌苔除去ブラシも注文した。

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生産国はドイツであった。




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130629 排日移民法の制定 

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排日移民法の制定

日米紳士協定等により、日本からアメリカへの移民は年間250名程度と極めて少数でした。
しかし、愚かしい人種差別に凝り固まり、排日運動に血道をあげる勢力にとって、日本人排斥の法制化は、至上命題だったのです。

「アメリカ在郷軍人会」、「カリフォルニア州労働連合」、「カリフォルニア州農業連合」、「輝かしき西部の息子たち」の四つの組織からなる「カリフォルニア州合同移民委員会」は、排日移民法の制定を求める急先鋒で、盛んに排日の機運を高める運動を展開し、議会におけるロビー活動を展開しました。

移民帰化委員会は、「帰化資格のない移民」の入国を禁じ、日本国民の移民を一切認めない法案の成立を促す報告書を提出します。
提出された報告書には次のように記載されています。


「同化しない人種の端的な例が東洋人移民であり、彼らはアメリカの社会、政治、経済にとっても脅威となりかねない存在である。そのため現行の移民法によってすでに排斥されている東洋人移民だけではなく、日本人移民の完全な排斥も必要である」

そもそも、肌の色の違う日本人はアメリカ社会に同化することが出来ない。
そして、彼らは放置しておけば必ずやアメリカに対する脅威となる。
これがアメリカ人の認識だったのです。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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130627 全米に拡大する排日運動 

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全米に拡大する排日運動

カリフォルニア州で過酷な排日土地法案が成立したのは以上の通りですが、このカリフォルニアの排日運動は、アメリカ全土にまで拡大することになります。

1922年11月13日、「帰化資格のない者」に関する連邦最高裁の判決が下ります。
この判決は、この後の排日移民法の問題を考える際に極めて重要な判決ですし、先程までその過程を眺めた排日土地法を考える上でも重要な判決です。

この判決は、「タカオ・オザワ」という日本人に対して下された判決です。
オザワはカリフォルニア・バークレー高校を卒業し、カリフォルニア大学バークレー校で3年学びました。
自分自身はもはや日本人ではないと考えており、アメリカ人になりたいと望んだオザワは、アメリカの市民権を要求します。
市民権を求めたオザワに対して、最高裁は拒絶する判決を下します。
拒絶する理由は、「自由な白人」ならざる日本人のオザワは、アメリカ市民権を持つことが出来ないというものでした。
すなわち、日本人とは、どれほどアメリカに居住しようとも、永久に市民権を持てない人種であると断定する最高裁判決が下ったのです。

こうした日本人を差別する判決に対し、日本国内では憤激の声があがります。
しかし、こうした日本人の憤激を尻目に、さらなる日本人差別が法制化されることになるのです。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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130624  住民投票で排日土地法案可決 

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住民投票で排日土地法案可決
下院議員の座を狙っていた共和党上院議員のインマン、同じく共和党員で次期州知事の座を狙っていた会計官のチェンバースが「排日」運動を大々的に展開します。
彼らは「カリフォルニア州排日協会」を結成し、紳士協定の破棄や日本人移民の子供に国籍を与えぬよう憲法を改正することなどを目指しました。

こうして民主党、共和党の両党が排日運動に加担することになったのです。
彼らは、抜け穴の多かった排日土地法に満足しなかった州民の期待に応えるべく、更に過激で過酷な排日土地法の成立に邁進することになります。
従来の排日土地法の抜け穴を全て塞ごうとしたのです。
農地の所有を禁止するだけでなく、借地権も認めず、日本人が半分以上の株を持っている会社による所有も禁止するように法律を改正し、日本人の農業を禁止しようと企んだのです。

しかし、ここで思わぬ横やりが入ります。
スティーブンズ知事が排日土地法案に反対したのです。
スティーブンズはインマンやフィーランに対して懐疑的で、彼らの「手柄」を作るような真似はしたくなかったのです。
すなわち、スティーブンズは、自らの良識や常識から、第二次排日土地法の成立に反対したというよりも、個人的な政治的動機から、法案の成立に反対していたのです。

また、当時ヨーロッパではパリ講和会議が開催されており、そうした折に排日法案が成立することは、国際関係上好ましいことではありませんでした。
そこで、当時国務長官を務めていたランシングは、排日法案を成立させないよう、スティーブンズに圧力をかけていたのです。

州知事が排日法案に対して、非協力的な態度を貫いたために、過酷な排日土地法案が成立することはないように思われました。
しかし、カリフォルニア州には住民による「直接投票」によって法案が成立するという方法がありました。
排日勢力は、この「直接投票」によって排日土地法案を成立させることを目指したのです。
カリフォルニア州憲法では、住民投票によって成立した法案を政治家が覆すことは出来ませんでした。

1920年11月2日、住民投票が行われた結果、668,483票対222,086票という大差で排日土地法案は可決されてしまうのです。
当時のカリフォルニア住民たちが、いかに排日運動に熱心であったのかが理解できます。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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130606 胃内視鏡検査 

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年に一度、胃の内視鏡検査を受けている。病院の玄関にこんな作品が飾ってある。

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どういう意図かは分からないが、病院らしい。

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新しい建物なので、素っ気ないといえば素っ気ない。暗くはないが無機質で技術の確かさを漂わせる。

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今までは舌の上にキシロカインゼリーを3分程度乗せて麻酔していたが、今回は検査台に横になってからキシロカインをスプレーされ、瞬く間に喉が痺れてしまった。
ジアゼパム注10mgが静注されると鎮静作用により眠りに入り、内視鏡の入る感覚や胃の内部での動きなどまったく感じない。
検査後、1時間余も眠っていたようだ。次回から量を減らすと言っていた。気持よく眠っているのだから減らさなくてもよいのに。
検査後、病院の食堂でカツカレーを喰うのがお決まりのコース。


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どこかに薬の残りを感じながら電車に揺られて帰路につく。

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座席に座れない人はデッキで本を読んだりスマートフォンを見たりしている。

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バス停で待つ生徒もみんな覗き込んでいる。町のなかの風景は、ここ数年で変わってしまった。




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130622 「排日」を掲げなければ選挙に勝てない 

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「排日」を掲げなければ選挙に勝てない

州民の間で「反日」、「排日」の機運が高まっていたことを政治家は見逃しませんでした。
自らの政治的野心のために「反日」、「排日」を利用する政治家が続出したのです。

サンフランシスコ市長を務めたこともある民主党上院議員のフィーランは、1920年に来る選挙において再選することを熱烈に望んでいました。
しかし、民主党に対する支持は広がらず、情勢は極めて厳しいものでした。
フィーランは、形勢を逆転するために排日運動を利用したのです。
「カリフォルニアを白く保とう!」という露骨な排日スローガンを掲げ、日本人移民に対する嫌がらせ運動の先頭に立ったのです。
彼は日本人移民が太平洋沿岸の占拠を狙っていると妄想し、日本人は「ずる賢くて、危険」だと訴えたのです。

民主党議員が「排日」運動に突き進んだのを受け、共和党の政治家も「排日」運動を開始します。
すべての「排日」勢力が民主党を支持してしまうという事態を恐れたからです。
当時のカリフォルニアでは、政治家は「排日」の旗を掲げていなければ選挙で当選できなかったのです。
それほどまでに、カリフォルニア州民の間で人種偏見は根強かったのです。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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130619 「日本軍は慰安婦狩りを行った」と最初に言い出したのは日本人 

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「日本軍は慰安婦狩りを行った」と最初に言い出したのは日本人

吉田清治という人物が1983年(昭和58年)に『私の戦争犯罪』(三一書房)という本を出版し、そのなかで彼は「済州島で9名の兵隊と共に約200名の朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」と「告白」した。

この本は1989年(平成元年)に韓国語に翻訳され、内容を知った韓国の人々は驚愕し、激怒した。

朝日新聞は1992年1月23日付夕刊「窓・論説委員室から」で吉田の話を取り上げ、「一つの村から3人、10人と連行して警察の留置所にいれておき、予定の100人、200人になれば下関へ運ぶ。女性達は陸軍の営庭で軍属の手に渡り前線へ送られた。吉田さんが強制連行した女性は少なくとも950人はいた」と何の証拠も根拠もないまま、日本軍や警察が「慰安婦狩り」をやったと書たて、韓国人の怒りを煽った。

済州島には「慰安婦狩り」の話が伝わっておらず、吉田の本に疑問を持った地元紙「済州新聞」の記者、許栄善が詳細を聞き取り調査したところ、島民たちからは「慰安婦狩り」の証言は全くなく、反対に「でたらめだ」と一蹴された。同氏は調査結果を、1989年8月14日付紙上で次のように発表している。

「法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちは『でたらめ』だと一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている・・・郷土史家の金奉玉も『1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる』と憤慨している」(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮選書)

これらの調査結果を突きつけられた吉田も、創作だったことを認めたと伝えられている(杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』展転社)。

前述の朝日新聞の記事は、これらの調査結果すら全く無視している。



松木国俊著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! より抜粋


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130606 白い季節 

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130618 それでも日本人は農地を増やした 

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それでも日本人は農地を増やした

排日土地法には抜け穴がありました。
そもそも農地を3年にわたって借用することが可能でしたから、広大な農地を借用しながら農業活動に従事することは可能でした。
また、アメリカ国籍の「出生地主義」を利用する抜け穴もありました。

アメリカに移住した日本人に対し、帰化資格が与えられていなかったことは、先に触れた通りです。
しかし、日本人の血が一滴でも入っていればアメリカ国籍を取得できなかったというわけではありません。
アメリカの国籍は先程触れた「出生地主義」に立って決定されます。
国籍に関する「出生地主義」とは、ある子供がその国で生まれた瞬間に国籍が付与されるという方法で、両親の血統を重んずる「血統主義」と対立する国籍付与方法です。
それゆえに、日本人移民としてアメリカに移り住んだ日本人移民には国籍は与えられませんが、その子供たちは、生まれた段階で国籍を持っていることになります。
すなわち、両親は「アメリカ国民」になることはできませんでしたが、日本人移民の両親を持つ子供たちは、生まれたときから「アメリカ国民」であったのです。
したがって、アメリカに移民してきた日本人移民が土地を所有することはできませんでしたが、自分たちの息子や娘の名義にすれば、土地を所有することが可能でした。

農業に従事している人間が日本人であろうとも、その土地は紛れもなく「アメリカ国民」の所有地だったのです。
他にも会社を立ち上げ、会社の株の51%を所有し、実質的に農地を所有することも可能でした。
日本人移民たちは違法行為に手を染めることはありませんでしたが、何とか法の網目をかいくぐって農業を継続したのです。
1913年の排日土地法案は、いわば、「ザル法」に等しい法律でした。
しかし、名目上においても、「日本人の土地所有を禁じた」という一事が、排日勢力にとっての悲願の成就に他ならなかってのです。

抜け穴が残っていた排日土地法の施行以後、実質的に日本人移民の所有する土地面積が減少することはありませんでした。
逆に、日本人移民の耕作する農地は増加し続けました。
こうした日本人のやり方に対し、人種偏見に囚われたカリフォルニア州民は、苦々しく思っていたのはいうまでもありません。
とりわけ白人農家は、日本人の耕作地が増え続けることに強い不満を抱いていました。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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