日常非日常

                                        since'11/02/20

130529 日本人の学童を強制隔離せよ 

R0015072

日本人の学童を強制隔離せよ
「独立自尊」を旨とする日本人の誇りを大いに傷つけた問題が人種差別でした。
日本人は劣等人種であるという偏見に基づいたアメリカにおける様々な排日運動は、日本人の誇りを大いに傷つけたのです。
戦前には多くの日本人が移民としてアメリカに渡ることを選択しましたが、この日本人移民がアメリカにおいて凄まじい差別を受けることになったのです。

アメリカにおける日本人差別が表面化するのは、1900年3月、サンフランシスコ市長が日本人及び中国人の居住地区の隔離を発表したことにまで遡ります。
市内に発生した腺ペストという伝染病の拡大を抑えるとの名目でしたが、日本人や中国人がこの伝染病の発生に責任があったわけではありません。

不当に扱われていることに怒った日本人は、アメリカ日本協会を結成し、市長に対して猛烈に抗議をしています。

こうした日本人の動きに呼応し、サンフランシスコでは大規模な反日本人の集会が開かれることになります。
日本人移民に反対する主張とは、「同化を拒む」、「低賃金を厭わず、アメリカ人労働者の生活水準を下げる」、「アメリカ人の受け入れられない生活水準を甘受する」、「民主主義を理解できない」の4点が主要なものでした。
こうした反日本人移民の動きを恐れた日本政府は、日本人移民を制限することを決定したのです。

こうした日本人移民に対する反感が、行政の場で具体化したのが、日本人学童隔離事件です。
1906年10月11日、サンフランシスコの教育委員会は、市内の全ての公立学校から日本人学童を隔離して東洋人学校へ強制的に通学させる決議を採択します。
市内にはおよそ2万5千人の学童が存在しましたが、その中で日本人学童はたったの93名しか存在しておらず、具体的な問題が起こるはずもありませんでした。
こうした教育委員会の決議に対して、日本人は人種差別の匂いを嗅ぎ取り、断固抗議します。

ところで、1906年とは、サンフランシスコに大地震が起こった年でもあります。
4月18日にマグニチュード8クラスの大地震がサンフランシスコを襲ったのです。
地震後の大火災も含めて、多くの人々が亡くなりました。
こうした災害に対し、日本から多額の義捐金が届けられます。
その額は当時の金額で50万円以上にのぼります。
この額は、他の全ての国々から集まった義捐金の合計よりも多く、いかに日本人がサンフランシスコの大災害に心を痛め、被災したアメリカ人に同情していたのかがわかります。
こうした日本人の善意を裏切る形で進んだのが日本人学童に対する強制隔離という措置だったのです。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




trackback: -- | comment: 0 | edit

130528 iMacのマウスのストライキ 

R0015855
iMacのMagic Mouseとトラックパッドを切り替えようとしていたら、どちらも認識しなくなってしまった。とにかくカーソルが動かないので手の施しようがない。
コントロール+コマンド+イジェクトで再起動して窮状を脱した。


trackback: -- | comment: 0 | edit

130527 「独立自尊」という国是 

P1010264
「独立自尊」という国是
激しい人種差別が当然のこととして是認され、植民地支配、収奪が当たり前の時代、開国を迫られた日本人が第一に考えていたのは日本国の独立を守るということでした。
植民地にされてはならないという強烈な愛国心こそが、近代日本の原動力に他ならなかったのです。
関税自主権が認められず、列強の治外法権を容認するという不平等条約を締結した日本は、何としても植民地となることなく、西洋列強と対等な国を作り上げていかねばならぬと必死だったのです。
明治維新による近代日本の建設とは、封建体制のような江戸時代のシステムを抜本的に改め、着物、髷、帯刀という様々な日本文化を捨て去る大改革でした。
それは、昨日までの自分たちの在り方をほとんど否定するような行為に他ならなかったのです。
しかし、様々な困難を経ながらも日本は近代国家を作り上げます。
何とか独立国として生き延びなくてはならぬという情熱こそが近代国家成立の原点でした。

現在では否定的に捉えられることの多い大日本帝国憲法や、国会の開設にしても、素晴らしい偉業であったことを忘れてはなりません。
根本的なわが国のあり方を壊すことなく、ヨーロッパの流儀を受け入れ、西洋列強と対等な先進国として振る舞うために、我々の先祖が血の滲むような努力をした結果が、大日本帝国憲法の制定であり、国会の開設だったのです。
日本は大東亜戦争で敗れるまで、憲法を停止することなく、国家を運営してきました。
「統帥権」の問題等、大日本帝国憲法には様々な瑕疵があったのは事実です。
しかしながら、日本人が憲法を停止することなく、近代国家のルールに則って国家を運営してきたことは誇るべきことだといえます。

日清戦争、日露戦争と行った国難に象徴される重大な危機を何度もくぐり抜け、辛くも独立を保ってきたのが近代日本の歩みです。
繰り返しになりますが、近代日本において最も重要だったのは、日本が植民地にされてしまわないことであり、西洋列強と対等な立場の国家として活躍することでした。
「独立自尊」こそが日本の国是だったのです。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




trackback: -- | comment: 0 | edit

130526 沖縄タイムス社説 元慰安婦証言 

元慰安婦証言
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49450

'13/05/20の沖縄タイムスの社説によれば、
旧日本軍慰安婦韓国人金福童(キムボクトン)さん(87)は、14歳のころ、韓国から連行され、アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。
ーとのことである。

金福童(キムボクトン)さんは、87歳とのことなので、1926年、昭和元年生れで14歳(1940年、昭和15年)のころに韓国から連行され、アジア各地の前線を転々とし、8年間(1948年、昭和23年まで)、「慰安婦」を強いられた。ー ことになる。

1941年(昭和16年)12月8日  大東亜戦争開戦し
1945年(昭和20年)9月2日  降伏文書調印 大東亜戦争終結した。

沖縄タイムスの社説によると、大東亜戦争の開戦1年前から、敗戦後も3年間、慰安婦を強いられたことになる。


trackback: -- | comment: 0 | edit

130514 ふきのとう D200 と E-M5 

DSC_2475

P5142165



trackback: -- | comment: 0 | edit

130514 エンレイソウ D200 と E-M5 

DSC_2472

P5142162





trackback: -- | comment: 0 | edit

130523 日本侵略を防ごうとした秀吉 

P1010254
また、直接日本への侵略を勧める手紙も残されています。
1599年に長崎からペドロ・デ・ラ・クルスという人物が、イエズス会総長に宛てた手紙がそれにあたります。
この手紙で日本への武力征服はキリスト教の布教のために有効な手段であり、実際に日本を制圧することは可能だと論じているのです。
日本を侵略が可能な理由としてペドロ・デ・ラ・クルスは六つの理由をあげています。
六つの理由の概略は次の通りです。

1、日本の海軍力は脆弱である。
2、隣国の大名を恐れている領主は、キリスト教国との連合を歓迎するだろう。
3、日本人は金銭的に貧しいため、僅かなものを与えれば満足するだろう。
4、大名の臣下は隷従状態にある。我々の統治のほうが良い統治だと理解させれば、彼らは進んで服従するだろう。
5、悲惨な状態にある領民にも我々の統治のほうが良い統治だと理解させれば、彼らは進んで服従するだろう。
6、キリスト教に対して非寛容な大名には、莫大な利益をもたらすポルトガル貿易を禁じてしまえばよい。

最後の6番目の理由は直接日本を侵略する理由ではありません。
しかし、海軍力が弱いために侵略が可能であると強調している事実は揺るぎません。

日本を訪れていた宣教師たちは、場合によっては日本を軍事侵略しても構わない、あるいは、軍事侵略すべきだと考えていたのです。
従って、キリスト教の布教を名目に、軍事運略を企んでいると断じた秀吉の感覚そのものが狂っていたとはいえません。
そう考えてみるならば,キリスト教徒に対する秀吉の懐疑心は、日本を守る政治家としては真っ当な感覚であったといえるのではないでしょうか。

日本人奴隷の存在に怒り、キリスト教徒たちによる日本侵略を防ごうとしてきた秀吉は、日本が誇る偉大な政治家であったといえるでしょう。
日本がヨーロッパ諸国の植民地になることがなかったのは、地理的幸運に恵まれていたことがあったのは事実です。
しかし、秀吉のように、キリスト教徒からの侵略を防ごうとする愛国心に溢れた思慮深い政治家が存在したという事実も忘れてはならないでしょう。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




trackback: -- | comment: 0 | edit

130523 キリスト教徒に対する不信感 

P1010259
また、コエリョは秀吉に取り入ろうとして様々な提案をしていますが、こうした提案がキリスト教徒の侵略を恐れる秀吉の猜疑心を刺激する結果になります。

例えば、秀吉が明に攻め込もうと考えていると述べた際、コエリョはポルトガル船の調達やインドからの援軍を要請するなどと話しました。
思慮深い政治家であった秀吉は、こうしたコエリョの提案に対し喜んだふりをし、そうした際には多大の恩恵を与えるとまで約束します。
しかし、秀吉は内心ではキリスト教徒たちに対する不信感を強めていきます。
キリスト教徒たちが提案することによって強大な軍隊を動かせるという点が気にかかったからです。
すなわち、キリスト教徒たちがその気になれば、日本を侵略するための軍隊が派遣される可能性があるのではないかと秀吉は考えたのです。

他にも、秀吉がキリスト教徒に対して不信感を強めた理由があります。
それは、コエリョがキリシタン大名を支援する目的で作った軍艦の問題です。
コエリョは秀吉が九州平定戦のために博多に赴いた際、この軍艦に乗って秀吉に面会を求めたのです。
秀吉は自らその軍艦に乗り込み、仔細に観察、検討しました。
ここでもコエリョに対しては、立派な軍艦であると褒めちぎったのですが、彼の本心が別にあったことはいうまでもありません。
彼は、キリスト教徒たちがこうした軍艦を所有していることに、驚き、かつ不信感を強めたのです。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




trackback: -- | comment: 0 | edit

130521 キリスト教の布教を妨げるものは武力排除 

IMGP3198

キリスト教の布教を妨げるものは武力排除

1585年3月3日、日本の準管区長を務めていたコエリョがフィリピンのイエズス会の上司に対し、興味深い手紙をしたためています。
なお、このコエリョとは、日本人奴隷の問題で秀吉に問い詰められたコエリョと同一人物です。

コエリョは次のように日本への軍隊の派遣を要請しています。


「総督閣下に、兵隊、弾薬、大砲、及び兵隊のための必要な食糧、1、2年間食糧を買うための現金を充分備えた3、4艘のフラガータ船を、日本のこの地に派遣していただきたい。それは、現在軍事力に劣るために抵抗出来ず、他の異教徒に悩まされ、侵犯されている何人かのキリスト教徒の領主を支援するためである」

ここでコエリョが考えていたのは、日本を侵略するための軍隊の派遣ではありません。
日本国内に存在したキリシタン大名を応援するために軍隊を派遣してほしいと要請しているのです。
コエリョは軍隊を派遣した結果、もたらされるであろう利益を三つあげています。

1、キリスト教徒であれば国王の援助を受けられることを知り、一層信仰を強めるだろう。
2、日本人は、軍隊の派遣に驚きキリスト教徒や新たな信仰者に対する迫害をやめるだろう。
3、援助を受けられることを知り、新たに改宗する者が増えるだろう。

キリシタン大名を軍事的に応援することによって、キリスト教を布教しやすくなるというのが、コエリョの考えでした。
結果としては、幾つかの理由からコエリョのこの提案は実現しませんでした。
しかし、日本に住むキリスト教徒が軍事介入を要請していたという事実はしっかりと認識しておくべきでしょう。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




trackback: -- | comment: 0 | edit

130514 オニゼンマイ D200とE-M5 

DSC_2471

P5142161



trackback: -- | comment: 0 | edit