日常非日常

                                        since'11/02/20

130328  11 戦略的占領(3) 

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11 戦略的占領(3)
「アメリカ的行き方(アメリカン・ウエー)」は広く普及した思想である。単なる「宣伝文句」ではなく理想である。そう信じてきた私にとって、占領国日本の現実はショックだった。日本社会を変えることが任務の現場の人間たちは、ほとんど精神分裂症状を呈していた。日本人向けに指令や命令を出すときは、一様に確信に満ちた表情で「民主主義」について語る彼らが、いったん仕事を離れ、寛いで仕事の話をするときには、びっくりするほど口ぶりが違うのだった。そんなときの話題は、昇進という具体的な目標であったり、植民地制度の善し悪しであったりした。

あるいは闇市でどれぐらい儲けたか、とか、厳しい経済政策を緩めてもらうために、日本人がもってくる「プレゼント」(贈り物や賄賂)の話だった。こういう会話に「民主主義」という言葉が入ってきたりすると、気の利いた冗談になった。「骨まで民主化してやろうじゃないの」みたいないい方がユーモアとして受けたのだ。

人道主義と恐ろしいまでの無神経さが、いつも裏腹になっていた。彼らは個人個人の日本人には必ず人道的態度をみせるのだが、絶えず批判と「改革」の対象とされている人たちがどんなに屈辱感を味わっているか、まったく気づいていなかった。それは実に陰険な状況なのだが、その深刻さにも気づいていないようだった。こうした二重人格性は、占領軍内部のほとんど一般的な状況だった。

この二重人格性は占領政策の特徴でもあった。もっとも、政策があるようにみえていただけで、本当にあったかどうかわからない。政策の実施現場にいる人間たちの間には、何をすべきか、ほとんど合意がなかった。それぞれの部門が違った考えをもっていた。違いはほとんどの場合、部門責任者の性格からくるもので、それぞれの部門内では、それぞれの局の責任者が大きな権限をもっていたから、さまざまの局が相矛盾する政策を進めていたようだ。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
1995翻訳
気になるところの抽出メモ




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130328 附箋用紙はお払い箱か 

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iMacを使い始めてから苦労したこと、それは、ショートカットキーを覚えることであった。なんせ本体やアプリケーションプログラムプロダクトに取扱説明書は添付されていないし、市販のマニュアルなんか発売されていない。
アップルのサイトから小さい文字の説明書を探し出してメモしたものを附箋用紙に書いて画面下に貼り付けていたものだ。


CheatSheet

ある雑誌の記事に「Cheatsheet」という無料ソフトの紹介記事があったのだ。現在使っているソフトのショートカットキーがコマンドキー長押しで表示されるというものである。
早速インストールして試用してみよう。良ければ附箋用紙を剥がしてスッキリできるのだ。


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130325  11 戦略的占領(2) 

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11 戦略的占領(2)
アメリカが、国民の望む生活を、原則としてだけでなく、現実に達成するまでは、アメリカはすべての答えをもっているとはいいきれないし、他国の人に信じてもらえるなどと考えるべきではない。日本を「改革」することで、私たちは危険にも自ら目立つ場所に立ってしまった。日本列島とアメリカの条件は、あまりにも違う。だから、アメリカのアメリカ人にとっていいことは、日本の日本人にとってもいいことだ、と考える姿勢は問題である。経済、そして文明を破壊することは、それをつくって動かすより、ずっと簡単なことである。

アメリカ人自身が自分の国の問題、たとえば小作農、黒人、繊維労働者などの恵まれない階層、あるいは学校の教師などに住宅を与え、一応の生活水準を保障するといった問題を解決していないのに、よその国に力で天下って「改革」しようとするのは、きわめて危険な話である。私たちがアメリカの行き方を誇示するために一国の社会を急激に変え、その結果安定も若干の繁栄ももたらすことができなかったら、私たちの経済制度にとって、けっしていい宣伝にはならないのである。

社会・文化改革に関するアメリカの提言も、同じ問題を抱えている。アメリカ社会は日本社会とはまったく違う。だから、ほとんどのアメリカ人は、個人的には、日本社会の気に入らないところが目につく。1935年に私が感じたのも、大方の人が外国文明に対して抱く思いと同じだった。

しかし、旅行者と改革者では立場はまったく違うのだ。旅行者なら、自分の文明、考え方、予見について分析しなくても、その国の欠点をあげつらうことができるが、改革者ともなれば、先生が生徒に対するのと同様、自分にも厳しくしなければならない。1935年当時、私には、アメリカ人がよその国の社会・経済基盤の変革を本気で計画し、しかもそれを「民主主義の実践」と呼ぶなどということは、思いもよらなかったし、1946年のいまでも思いもよらないのだ。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
1995翻訳
気になるところの抽出メモ




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130323  11 戦略的占領 

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11 戦略的占領
1946年、日本にもどってきた私は、東京の占領軍司令部労働局の諮問機関である11人委員会のメンバーとして、労働政策のいくつかの問題について意見をいう立場にある。この委員会の意見は法律となって、何千万の日本人の生活を左右するのである。1935年、アメリカ人のほとんどは、日本やアジアに興味を示さなかった。1946年、アメリカ人は日本人の生殺与奪の権を握り、日々決定を下している。その決定は何世紀にもわたって、間違いなく日本の発展を左右するものである。アジアの発展にもかかわるものである。

ところが、これほどの強権に備えて、私たちが十分な用意をしてきたとはいえないのである。私がメンバーとなっている委員会がいい例だ。委員のうち10人は、経済学者、法律家、統計学者であった。2人が大学教授、1人はヨーロッパの労働問題の専門家として国際的に知られるヨーロッパ人である。1人を除けば全員が政府の仕事をしていた。

しかも、そのほとんどが戦争に関係する機関の仕事だった。彼らは個人的には真摯で、教養のある人たちだった。アメリカでの自分の分野では優秀な人たちだったが、日本に関する本は1冊も読んでいなかった。占領に関する出来事も新聞でフォローしてしなかった。ほとんどが「ポーリー報告」のことを知らなかった。この報告は日本経済の将来、日本の労働者の将来、つまり私たち委員会が助言すべき事柄を決定づけるものなのだ。しかも、彼らは日本のことをまったく勉強してこなかったことについて、何の痛痒も感じていないようだった。

普遍的に正しい経済原則というものがある。この原則と仕事の取り組み方を知っていれば、特定の状況について知らなくても、いかなる経済問題でも解決できる。日本がいままでどうであったか、などということにはまったく関心はない。なぜなら、われわれの仕事は日本をわれわれが考えているように変えることだからである……というのが彼らの基本姿勢だった。委員の1人はいつもアリストテレスとマキアベリの軽裝本をもっていて、飛行機の中でも、しばしば目を通しては基本原則をしっかり頭に入れようとしていた。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
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120808 沼ノ端駅 室蘭本線 

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室蘭本線沼ノ端駅である。

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駅の横には沢山の自転車が置けるようになっている。

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あのガラス張りの建物は自由通路の階段室なのだ。これは特急が停車した記念に建てられたらしい。

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この自由通路の右側に建物があるが旧沼ノ端駅らしい。駅定番の公衆電話と郵便ポストがある。

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自由通路階段室から駅前を見る。

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自由通路から苫小牧側

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自由通路は跨線橋となっていてお客が待っていた。

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ホームに降りるところに時刻表と料金表があり、乗車券自動販売機,改札機がある。

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奥の線路に珍しい車両が停まっている。

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車両に軌道施設工業株式会社の名前が見える。線路を敷く時に使われる車両なのであろうか。

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駅前の商店

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駅前通り

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駅前ロータリーと客待ちタクシー。



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130321 3歩進んで2歩もどる 

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3月20日には雪が溶けてバイクのシートが表れて、もうすぐ乗れると思っていたが……

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なんということだ、昨夜から降り出した雪は15cmも積もってしまってー。






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130320  10 誰のための戦略地域か(6) 

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10 誰のための戦略地域か(6)
今日、日本の委任統治領は、住民が望んだわけでもない戦争の巡り合わせで、アメリカの軍政下に入っている。マリアナ諸島の他の島、カロリン諸島、その他太平洋の無数の島も、米軍に完全支配されることになった。いずれも戦火に焼き尽された島々である。この地域の「戦略的重要性」が増すにつれ、島の将来は暗くなっていく。島民はいてもいなくてもいい存在だが、ときには邪魔になるだろう。1945年、この地域の島を訪れたアメリカの人類学者、ジョン・エンブリーは、島の変わり方を次のように報告している。

「日本人が去り、アメリカ人が取って代わった。……20年間にわたって日本の教育を受けてきた彼は、ある日突然、日本語と日本円が、英語と米ドルの前に価値を失ったことに気づく……日本語はもはや政策決定の言葉ではない……日本人と朝鮮人(島で生まれ、現地人と結婚した日本人まで)が1人残らずいなくなり、経済活動に空白ができた。アメリカはこの地域の経済資源の開発にはそれほど関心をもっていないから、いままでの収入源のかなりの部分が消えてしまった。……サイパンとテニアンでは砂糖の店が消えた。アンガウルのリン鉱山は廃墟のまま放置されている。コプラ集荷の船は出たり出なかったりである。島民たちは輸出する先がはっきりしないのなら、集荷してもしようがない、と思い始めている。民間貿易の中心だった町が、近い将来、再び活動を始める見通しはない……いまや島民にとって主な経済活動といえば、米軍施設で日雇い(食堂の給仕、洗濯など)として働くか、軍の売店に出すお土産をつくるぐらいのものである。」

この事実は、占領国日本との関係で考えると、新たな重要性を帯びてくる。なぜなら、日本人もアジア人もこの事実を知っているからだ。私たちは日本人を「再教育」して、私たちの理想を実践させようとしている。しかし、私たち自身がその理想を実践してみせなければ、再教育はむずかしい。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

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130319  10 誰のための戦略地域か(5) 

P1091498

10 誰のための戦略地域か(5)
政治の面では、完全な軍政だった。グアム島民は合衆国国民ではなく、軍政当局が認める権利以外の市民権は与えられなかった。警察官は海兵隊員だった。陪審裁判がなく、裁判所は軍事法廷で、上級審がなかった。そのうえ、社会的には、肌の色で厳格な差別の線を引いていた。近代以前のスペインは、東インド諸島における現代のオランダと同じように、色による差別はしなかったが、上にへつらい下には威張り散らす階級制度を設け、通貨を区別していた。それでもスペイン人はチャモロの上流階級を社会的に同等と認め、彼らと婚姻関係を結び、場合によって行政上の権限も与えていた。

私たちは、確かに全グアム島民を同一に扱った。白人と原住民の学校をはっきり区別した。学校と官庁では英語以外の言葉の使用を禁じ、ある若い海軍行政官は、英・チャモロ辞典を見つけて、焼いてしまうという極端なことまでしている。別ないい方をするなら、私たちは人種的優位性と支配人種が存在するという考え方を導入していたのだ。つまり、優秀な支配人種はある種の経済的、文化的特権を有するという考え方だ。賃金体系を決めるにさいしても、白人労働者は、能力にかかわらず、同じ職種の現地労働者の2倍の給料を受け取れるようになっていた。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
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1995翻訳
気になるところの抽出メモ




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130314 画家 羽生 輝 

羽生輝

新聞にあの絵の写真が載っていた。
たしか北海道現代具象展で見た絵だ。
やはりそうだった。画家羽生輝氏は実行委員の一人だった。


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130312 ODAって 

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中国に対するODAについてウィキペディアで拾い読みした。
1979年に訪中した大平総理が約束してから2012年まで行われており、2012年度は42億5000万円とのことである。
2003年度末までの累積額は、約3兆472億円なのだそうだ。
日本を超える経済大国になり、アフリカ諸国に資金援助しているまで成長した中国に対し、なぜ、まだ日本が援助しなければならないのか理解できない。
最近では中国に進出した日本企業に対し、不買運動や店舗への破壊活動、略奪行為がなされ、日本の領土をなし崩し的に自分のものにしようとしている。そんな国に対してどうしてまだ支援するのか疑問に感じたのです。

以下、ウィキペディアから抜粋。


ODAとは

ODA(Official Development Assistance)
国際貢献のために先進工業国の政府および政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと。

先進国側が直接、発展途上国に有償、無償の資金などを援助する二国間援助というODAには、
1、有償資金協力 2、無償資金協力 3、技術協力 がある。
日本が二国間援助の累積総額でいちばん援助している国は中国であり、2007年度末までに、有償資金協力(円借款):約3兆3165億円、無償資金協力:約1510億円:技術協力:約1638億円の資金援助を行っており、2007年度までに日本は中国に多国間援助と合わせて約6兆円のODAを行っていることになる。
中国の経済急速発展を理由に、日本政府は対中ODAのうち有償資金協力(円借款)に限り2008年の北京五輪を境に打ち切った。
2003年度末における有償資金協力(円借款)に対する償還額は元利計で約9401億円。


多国間援助
国際連合世界食糧計画(WFP)、国際連合開発計画(UNDP)、国際連合児童基金(UNICEF)、世界銀行(IBRD)、アジア開発銀行(ADB)などの国際機関に資金を拠出して援助すること。


政府開発援助選定基準(ODA大綱)
1、環境と開発を両立させる。
2、軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する。
3、テロや大量破壊兵器の拡散を防止するなど国際平和と安定を維持・強化するとともに、開発途上国はその国内資源を自国の経済社会開発のために適正かつ優先的に配分すべきであるとの観点から、開発途上国の軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出などの動向に十分注意を払う。
4、開発途上国における民主化の促進、市場経済導入の努力並びに基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う。

日本のODA
1954年にビルマと結んだ「日本・ビルマ平和条約および賠償・経済協力協定」での賠償供与が初めてである。
中国やミャンマーなどの非民主的国家に対するODAは、大綱4の項目に違反しているという批判がある。
1979年の大平総理(当時)訪中の際、中国の近代化に対する協力表明以来、対中ODAが始まった。


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