日常非日常

                                        since'11/02/20

121007 志文駅 室蘭本線 

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すべてOLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ


志文駅である。

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普通電車が停車する。

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待合室

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複線なのである。

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ブラインドが下がっている部屋は駅長事務室か。

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駅名板は本場の味サッポロビールの提供

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長い跨線橋がかかっている。

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線路の西側は農地である。

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あの部屋にはやっぱり落書きがある。

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駅前通り。

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駅前の跨線橋の前は小公園みたいだ。

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長い橋

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上に登ると畑が見える。

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駅舎が小さく見える。

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鉄道から国道へかけての住宅街



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121127  4 パールハーバー(2) 

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Panasonic LUMIX DMC-G1 LUMIX G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH/MEGA O.I.S.


パールハーバーの諸要因は政府説明よりずっと複雑であることが、公式調査の過程でわかってきた。政府は公式の対日非難の中で、この攻撃は「千年余に及ぶ内戦の歴史を基盤に、世界征服という唯一の目的で統合された」野蛮な民族の裏切りが引き起こした以外の何物でもないという。

政府説明によれば、アメリカの政策担当者は、日本に侵略目的を思い止どまらせるため、あらゆる手段を講じてきたのだった。そして、ハル国務長官は、パールハーバーが一方的かつ裏切りの奇襲攻撃をかけられる瞬間まで、「天から何かが落ちてきて」東京の「盗賊政府」に侵略計画を思い止どまらせてくれないものか、と祈りつづけていたという。

その後、軍と政府はパールハーバー問題の各種調査委員会における証言の中で、無能ないし職務怠慢とのかかわりを否定する自己釈明に努めるのだが、それによって、政策担当者の公式発表が必ずしも正直ではなかったことが明らかにされた。もっともこれらの委員会は、おおむね、軍事技術的側面を重視していた。つまり、委員会が解明しようとした疑問は、あたかも訓練のように意図的に飛行機、艦船を集結させていた米軍基地が、敵の攻撃に捉えられたのは誰の責任か、ということであった。



アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
1995翻訳
気になるところの抽出メモ




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121002 岩見沢駅 室蘭本線 

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すべてPanasonic LUMIX DMC-G1 
LUMIX G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH/MEGA O.I.S.


岩見沢駅の名前はこの角度からしか見えない。

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駅正面

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駅入り口

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駅はエスカレーターに乗って2階なのだ。

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エスカレーターを降りると待合室

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切符売り場と改札口

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改札口の横に駅長事務室がある。

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改札口にある発着案内表示

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ホームへの連絡通路

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こちらは駅に隣接する跨線橋。

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駅構内をまたいで人と自転車が通れる。

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列車を撮影する人も

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跨線橋から

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どのホームに入線するか調べると意図した写真が撮れる。

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函館本線と室蘭本線が合流する駅なので線路は複雑である。

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駅の反対側の階段ホールの飾り。

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何かと思って近づいた。

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出口の駐輪場と歴史を感じさせる建物

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跨線橋全景

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跨線橋下から駅構内

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跨線橋の駅側にある自転車置き場。たしか有料。

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岩見沢駅正面出入り口から駅前通りを見る。

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岩見沢駅隣の大きな建物

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バスターミナルと岩見沢市コミュニティプラザであった。

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駅前通りの商店街。雪が多いためかアーケードが設置されている。

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駅前に残る石造りの倉庫とおもちゃと人形の店。

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駅側の広場と跨線橋

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広場に敷かれたレンガに刻まれたメッセージ。

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跨線橋の入り口から入ると

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ここも広い駐輪場であった。

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駅前緑地とでもいうのかベンチなども置かれている空間。


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121124 4 パールハーバー(1) 

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Panasonic Lumix DMC-FT1


ヒッカム基地はパールハーバーにあり、パールハーバーは答えのない疑問である。数百万語に及ぶ証拠と新事実を盛り込んだ何種類もの公的調査と報告が出されているにもかかわらず、答えは依然はっきりしない。

大惨事のショックから覚めたアメリカ人は、まずこれは青天の霹靂であると思おうとした。納得いく説明のない神の行為のような、避けがたいものと思ったのだ。しかし、このショックで内向していた緊張と感情が解き放された。そして、それまでの問題と複雑さは、すべて噴出する怒りと憎悪によってご破算にされた。パールハーバーは裏切りの象徴となり、私たちの心に渦巻く憎悪と恐怖、不安と怒りはことごとく日本人に向けられていった。アメリカの責任を問わず、すべてを日本単独の一方的、計画的犯行として、憎まれものの国民を告発する単純な事件説明が、鬱屈した感情を発散させ、開戦の確かな理由づけとなった。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
1995翻訳
気になるところの抽出メモ




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121120 雪が降りました 

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すべてOLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ


気温はカメラパッグにつけた温度計で−1℃
風は雪が斜めに降る程度で、−3℃まで下がった。
カメラはストラップを首にかけ、左手で胸に抱いて持ち歩いた。

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手袋をしてOLYMPUS OM-D E-M5の電源を入れたり設定変更するのは、できない。

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この程度の気温で1時間半くらいの撮影なら動かなくなることはないだろう。
撮影と撮影の間はカメラバッグに入れて運べば、問題はないだろう。

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次回の耐寒試験はやはり−5℃以下で実施したい。
でも、冬山は防塵防滴仕様のカメラでなくとも良いような気がする。
スイッチやボタンが大きいカメラが良い。

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今日は完全に貸し切りであった。


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120907 夕張駅 夕張線 

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すべてPanasonic LUMIX DMC-G1 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

大きなホテルの前にあるのが夕張駅だった。

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駅名より観光案内センター名の方が大きい。

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駅舎の横には飲食店がある。

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店名 ルーチェ・ソラーレってどういう意味?
メニューは、ピザ、オムライス、スパゲティ、コーヒー、ソフトクリームなど

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建物の中は、トイレと案内センター

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案内センターの前にベンチがある。

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線路はここで終わりの車両止め

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ホームの左側には屋台村がある。

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実は、昔の駅舎があると小耳にはさんだので行ってみた。

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かんげいハウス エル・ドラド と看板を上げ

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団体客のレセプションを行う場所として使われているのか・・・

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その前には、夕張希望の丘 と書かれた建物が見える。


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121119 1 フラッシュバック(4) 

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Panasonic Lumix DMC-FT1


日本の場合、近代すべてが危機の時代だった。力の時代を操作するには、日本は心理的、機械技術的、経済的に、あまりにも未熟だった。地理的条件、資源、機械技術、財政面での経験の乏しさなど、かぞえきれないほどある悪条件のもとで、日本は最後には墜落するしかなかったし、ほとんどの日本人はそれをやむをえないこととして受け止めている。この墜落は日本の全近代をヒステリーで彩った。一方、第一次世界大戦とともに醸成され始めた私たちの危機は、第二次大戦を通じて活発で危険な力による急降下へと加速度をつけているが、日本と違い、私たちはすべてに恵まれて、急降下に身を委ねているのだが、力というものは、あまりに大きすぎると、小さすぎるのと同じように危険である。この速度をつづけていったら、墜落の危機は免れないだろう。墜落を防ぐには聡明な計画、抑制の利いた管理、そして運が必要だが、それは奇跡だ。


アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
1995翻訳
気になるところの抽出メモ




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121117 秋の夜長は上原ひろみ「MOVE」 



上原ひろみ とても素晴らしいジャズピアニスト ほとばしる音の粒立ち。
ゆったりした曲も聴いてみたい。


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121111 スーパーシェルパ冬眠 

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RICOH Caplio GX100

今年もシェルパの冬眠の時が来た。
ワコーズのフユーエルワンをガソリンタンクに入れる。
これを入れると、ガソリンが通るところ、キャブレターの中が掃除されるのだ。


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RICOH Caplio GX100

車体カバーを3枚かけて,その上からブルーシートで覆って雪を待つ。



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121116 1 フラッシュバック(3) 

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Panasonic Lumix DMC-FT1


日本帝国の彗星のような出現と消滅は危険な徴(しるし)だが、その意味についてはまだ十分に議論されていない。戦争中は、戦時特有のヒステリーからくる感情論が日本の歴史と社会の姿を歪めて描き出し、問題をわかりにくくした。しかし、近代に入ってわずかな間に、平和な鎖国主義から軍事大国主義へ急転換した日本の歴史は、4世紀にわたる西洋世界の歴史の縮図なのである。私たちは日本をを客観的に研究することによって、私たちが生きる激動の時代の問題と矛盾を明らかにすることができる。そこではじめて、私たちは未来への流れをはっきりと方向づけることができるのだ。

日本はほんのわずかな間、アジアを席巻した。その進出は軍事的要素より、政治・経済的要素が強かったのだが、日本人の侵略性なるものが強調されすぎたために、このきわめて重大な事実が覆い隠されてしまった。日本は、第一に、近代において大国として認められた最初のアジアの国であり、第二に、その存在は「白人のアジア支配」に対する挑戦であった。第二次世界大戦の最大の皮肉は、日本がアジア解放の旗手として登場したことである。



アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
1995翻訳
気になるところの抽出メモ





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