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160623 中国人の対日恐怖心の淵源 4-4 

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4 矛盾を深める中国人の対日意識

中国人の対日恐怖心の淵源
4-4

歴史教育/愛国教育「悪玉説」は、同時に、「中国から共産党という要素を排除すれば、日中関係はよくなる」という説にもつながってゆく。
しかし、1972年の国交正常化の当時も、それ以降も、中国国内にある反日感情を抑えて日本との関係を進めてきたのはむしろ共産党政権であった。
もちろん共産党政権が日本に好意を持っていたという意味ではない。
背後に迫ったソ連の脅威と向き合うために日本を必要としたというだけの話ではあるがーー。


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実際、中国国内で今もくすぶる「民間賠償問題」(国家間の賠償は1972年に決着したが、民間の賠償はこれとは別だとして直接裁判を起こす民間の動き)について共産党政権は極めて冷淡で、尖閣問題で有名な中国民間保釣連合会など、一部の反日活動家たちの不満をかってきた。
また小泉政権時代に高まった靖国神社公式参拝問題をめぐる反日デモの後に、盧溝橋にある抗日記念館の展示物を入れ替えるということもあった。
展示物の最後に、旧日本軍による中国人への拷問を再現した蝋人形があったのだが、それがいきなり小泉首相と胡錦濤国家主席が笑って握手している大きなパネル写真に変えられたのだ。
この180度ともいえる入れ替えには、わざわざそれを見に行った私も相当に驚かされた。


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私は1986年から2005年まで、反日と名前のつくデモはほとんどすべて現地で取材してきたが、デモ参加者たちが日本の歴史をよく理解しているなどと感じたことは一度もない。
むしろ逆に、あまりにも日本のことも日中関係も知らないことに驚かされるのが常だった。
彼らの多くはせいぜい「日本はかつて中国人に酷いことをした」という漠然としたイメージを持っているだけで、満州事変も盧溝橋事件も、南京虐殺すら具体的には語ることができなかった。
ただ「日本人が酷いことをした」というイメージだけは、確固とした思い込みとして、刻み込まれている。


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では、そのイメージは学校での歴史教育によるものかといえば、多分違うだろう。
教科書というものは、例外なくどこの国でも退屈なものだ。
中国においても、歴史の授業が面白くて仕方がないと感じる学生がそれほど多いはずがない。
しかも、共産党政権下で進められた歴史教育は、中国共産党がいかに悪辣な侵略者である日本を追い出したかということに重点が注がれているのだ。


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一方、歴史問題においては、日本人が一つの言葉を間違えただけで、親しい中国人が烈火のごとく怒り始めるということが起きるが、それは日本を”トラ”と捉えるような”恐怖”を彼らが抱えているからである。
”恐怖”というものは、論理や知識で醸成されるものでなく、ある事象が直接、感情を刺激することによって生まれる。
分かりやすくいえば、”肌で感じる”ということである。


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従って、日本人に対する恐怖感がどうして生まれたかは、日本の保守派の論者や政治家が指摘するような歴史教科書よりも、それ以外の何かだったと考えるほうが自然である。
私は、そこに映画やテレビドラマといったソフトパワーの影響を加えるべきだと考えるのだ。
特にテレビが普及する前、建国からしばらくの間は、映画が担っていた役割は決して小さくない。




富坂 總 著  中国人は日本が怖い! から抜萃




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160620 中国人の対日恐怖心の淵源 3-4 

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4 矛盾を深める中国人の対日意識

中国人の対日恐怖心の淵源
3-4

そもそも多くの中国人の心の中に「日本人は怖い」というイメージが一体どのようにして刻みこまれたのか。
そこに大衆文化の果たした役割が同じように見えてくるからだ。
前章では最近の抗日テレビドラマの変容に触れたが、それ以上に大きな存在であったのが、50年代から60年代にかけて盛んに公開された抗日戦争映画なのである。
中国人の心に根深い「反日感情」を植え付けた最大の原因は何かという話になったとき、中国共産党が行ってきた「歴史教育」と江沢民時代に進められた「反日教育」だというのが、日本の知識人の一般的認識である。
ちなみに反日教育と呼ばれるものは、民主化を求めて天安門に座り込んだ学生や市民を人民解放軍が武力で排除したため、国際社会から制裁を受け孤立した時代、共産党政権が国民に団結を呼びかける目的で行った教育で、正確には「愛国教育」と呼ばれている。


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この愛国教育推進の背景には、中国が西側による和平演変(武力を使わないで政権を転覆させるというもくろみ)を真剣に警戒したという事情があり、必ずしも日本だけをターゲットにしたものではない。
ともあれ、「反日教育こそ、いわれなき反日感情を中国人に根付かせた最大の要因である」との説が、日本社会に定着してしまったのは、周辺国に謝りつづけることに倦んだ日本人が、自らをイノセントだと思いたい心理と共鳴した結果だろう。
愛国教育=反日教育となったのは、中国共産党が自らの政権の正当性を強調すれば、自然と、中国を侵略した帝国主義者たちを追い出したという歴史を強調することになり、最大の侵略者が日本であったからである。


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アヘン戦争を仕掛け、中国が世界から寄ってたかって植民地化されるようになる1番大きなきっかけを作ったのはイギリスである。
そのイギリスを差し置いて、日本が侵略者代表とされるのはいささか公平さを欠くのではという不満も感じるが、ここには明確に人種差別的問題が横たわっている。
なにしろエリザベス女王は天安門の英雄記念碑に献花しているほどの厚遇を受け、しかもイギリスが過去の侵略について中国に謝ったことは一度もないのだ。
しかし、日本人がそれをいっても切なくなるだけであり、共に連合国として戦ったからであろうと納得するしかない。


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ただ繰り返しになるが、愛国教育が反日感情のすべての元凶であるとの考え方には、やはり無理がある。
その根拠はいくつかあるが、まず指摘しておきたいのは江沢民時代に、愛国教育の1つの目玉として、百数十の抗日戦争記念館/博物館が各地に建設されたが、それらは大半が有料で、館内に展示された出所不明の残酷写真は、私が留学していた頃は、バス停など公共の場所でも普通に接することができた、よくある見慣れた代物ばかりなのである。
また、中国の歴史教育における日本に関する記述は、年々ボリュームが少なくなってきているのだが、一方で反日感情や、反日に絡む暴動などは、逆に年を追うごとに増加してきているのだ。
明らかに教育とは別のベクトルが存在するということだろう。




富坂 總 著  中国人は日本が怖い! から抜萃





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160619 中国人の対日恐怖心の淵源 2-4 

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4 矛盾を深める中国人の対日意識

中国人の対日恐怖心の淵源
2-4

日本人としてどう考えるかは別にして、憲法改正問題にしろ、靖国問題にしろ、純粋に捉えれば、日本の国内問題である。
だから、中国からの過干渉を日本人がうとましく感じるのは当然なのだが、中国政府による過干渉を生む根源が、一般の中国人が日本人に対して持つ”恐怖”であるとしたら、その共振をいかにして和らげていくかも、日本にとって重要な外交的課題に違いないのだ。


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もちろん政治的アプローチとして、1972年の国交正常化以降、日本は中国に対し、ずいぶん手を尽くしていきたといえる。
国としての正式な謝罪も、20回以上も行ってきた。
謝罪について、一部の保守論者は否定的であるが、私は外交上、あって然るべきだと思う。
国際関係において堂々と新たな価値観に依拠することは、むしろ重要なのである。
にもかかわらず、日本国として公式に表明した歴史認識を、重要閣僚や大物政治家がいとも簡単に覆す発言をする愚を繰り返してきた。こうした日本自身のオウンゴールが”飛んで火に入る夏の虫”とばかりに中国共産党の宣伝にいいように利用され、日本が再び謝罪と譲歩を迫られるというバカげた連鎖を生んできたのである。


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その結果、日本国民には「何回謝らせれば気が済むのだ」という不満が芽生え、一方、中国国民の多くに「なぜ日本はいまだにきちんと謝らないのか」という驚くべき思い込みが根付いてしまったのである。
改めて思うのだが、政権のコンセンサスとなった政治表明を、閣僚が「俺は違う」と否定するのは、幼児性の表れではないだろうか。
国益を追求する政治決定は、時に個人的信念や思い込みを超えた先にある。
強い組織こそ、それは徹底され、決定までに議論が尽くされたにしても、一度決まった政策にはきちんと従う。
国益を売り払っても自分の意見を開陳したいという政治家の幼児性や個人的利益のために、日本はこれまでずいぶん大きな犠牲を払ってきたといえなくもない。


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さて、こういう事情で、政治的なアプローチがもはや行き詰まってしまったという印象の強い日中関係において、どうしたら新たな突破口が開かれるのか、と考えた時、重要になってくるのは、やはり”文化”という視点ではないだろうか。
日中ジャーナリスト交流会議のセッションの中で凍りついた雰囲気が、かつて中国で大流行した日本の映画やドラマの話を始めると一気に緩んだという話は既にしたが、当然のこととして逆の現象も存在したのである。




富坂 總 著  中国人は日本が怖い! から抜萃




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160618 中国人の対日恐怖心の淵源 1-4 

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4 矛盾を深める中国人の対日意識

中国人の対日恐怖心の淵源
1-4

いまやGDPで日本を上回りーーこのことはメディアが喧伝するほどの意味があるとは私には思われないのだがーー核ミサイルと空母を保有し、アメリカに対し太平洋を二分して統治しようともちかけるほどの大国となった中国が、「日本が怖い」などといったところで、日本人が現実感を持って納得できるはずがないのは当たり前だ。
海洋進出の意図を隠そうとせず、軍備を拡張する一方で、国際社会からの要請を無視して秘密主義を貫き通しているのだから、日本人の普通の感覚からすれば「怖いのは日本じゃなくて中国のほうだろう!」となるはずだ。
だが、日本人の頭の中を「?」で満たしたとしても、中国人が日本人をどこかで恐れているというのは、決してポーズでもなければ冗談でもない。


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例えば、日本人に対する蔑称としてよく知られている「日本鬼子」という言葉がある。
日本では、「鬼子」(クィ・ズ)とは「幽霊」ぐらいの意味だろうと理解されているが、より近いのは西洋におけるドラキュラやフランケンシュタインのような怪物のイメージなのだ。
こういえば「いずれにしても蔑称なのだから、幽霊でもドラキュラでも同じだろう」という声が聞こえてきそうだが、そこにある違いは、実は意外なほど重要な意味を持っている。


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日本人を指す「鬼子」は、まず超人的な能力を持っていて、その能力を使って人々を苦しめる存在でなければならない。
いつの場合も、悪事は働いても能力は高いという設定なのである。
かつては西洋人を「鬼子」といっていた。
つまり、中国人はその「鬼子」の能力の高さを認め、密かに恐れているのだ。
こうした話をする時に、よく引き合いに出される隣国・韓国に対する中国人の反応と比べてみると、よりはっきりする。
中国人が韓国人を罵る時に使う蔑称は「高麗棒子」(ガオ・リー・パン・ズ)という言葉だ。
日本語に訳せば「トウモロコシ野郎!」ということになるだろうか。
日本人を呼ぶ「日本鬼子」と比べると、明らかに蔑みの種類が違っている。
朝鮮半島の人々には申し訳ないが、中国人にいわせれば「高麗棒子」こそ、蔑み以外に何もない言葉だという。


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本題からは少しズレてしまったが、要するに中国人にとって日本は相変わらず”恐怖”の対象であるという事実は、たとえそれが日本の実情とどれほどかけ離れていても、また、日本人がどれほど心外だと感じたとしても、中国は外交問題や他の折衝せっしょうにおいても、それを根底に秘めて対峙してくるということだ。
そのことを、まず認識しておく必要がある。


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富坂 總 著  中国人は日本が怖い! から抜萃




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160614 領土問題で日本は有利になった 2-2 

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領土問題で日本は有利になった 2-2

ひるがえって中国の現状はどうだろうか。
今や世界的にも知られることだが、中国は深刻な少数民族問題を抱えている。
日本における沖縄問題と、中国の少数民族問題を同列に語ることはできないが、中国が沖縄の歴史という視点に立ち、沖縄のために日本の領有が問題だと主張するのであれば、話は違ってくる。
中国における少数民族問題の代表といえば、チベットとウイグルの問題が真っ先に挙げられる。
現在はそれぞれチベット自治区と新疆しんきょうウイグル自治区として中国の一部とされているが、1959年のチベット動乱に代表されるように、人民解放軍が武力を行使して強引に領土に組み入れたとする見方は依然として根強い。
さらにインドにはチベット亡命政府が存在し、世界に中国政府の無法を訴えている。
またウイグル自治区では漢人よるエスニック・クレンジングが進んでいるとの噂が絶えず、デモや暴動が頻発している。


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中国の少数民族政策が成功しているとは、間違ってもいえない状況なのだ。
本来なら、沖縄県人の自由度と比較して、「中国でも一応、全国人民代表大会(全人代)にそれぞれの地域から代表が送り出されているが、その選挙は普通選挙とは言い難いものだ」などと指摘したいところだが、実際のところはそれ以前の状況と言わざるを得ないのである。
もし、それらを理解した上で、なおかつ沖縄を中国に近づけるような選択をしようとする沖縄の政治リーダーがいるとすれば、その人物は将来、自分の子孫たちからひどく恨まれることを覚悟しなければならないだろう。
いずれにせよ日本は、この問題が中国から出された時点で、民主主義国家として両国間にある大きな”差”を、きちんと明示しておくくらいのことはやっておくべきだった、というのが私の考えだ。


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実際、中国も国際世論には敏感な側面があり、普通選挙の権利さえ保障されていない国に近寄って行く人や地域があるはずがないということも、中国自身がよく理解している。
1997年に返還された香港に対し、鄧小平は「一国二制度」というアクロバティックな政策を約束し、現在も曲がりなりにもそれを守り続けているのだ。
もし香港市民が、自由が失われたとして反旗を翻し、騒擾そうじょうや内乱でも起これば、中国が最大の命題としている台湾統一など、夢のまた夢となる。
それだけではない。
香港内乱にチベット、ウイグルが呼応すれば、年間20万件といわれる群体ぐんたい事件(暴動)もさらに大規模なものとなって政府に押し寄せるだろう。
力に頼るだけの民族や地域の支配が、いかに簡単でないかということを、中国自身が今世界に向けて証明しているのではないだろうか。


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つまりこういうことだ。
力では簡単には達成できないことを、併呑の過程は決してスムーズとはいえず、負の歴史を背負っている沖縄において、日本は達成しており、そのことにもう少し自信を持ってもよいはずだ、といいたいのである。
これこそが”価値”の力なのである。
力による支配は、一見「早道」のようであっても、それは根本的に問題を解決するものではない。
力が弱まれば、それでおしまいになる。




富坂 總 著  中国人は日本が怖い! から抜萃




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