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170320 日本が朝鮮人に日本名を強制した事実はない 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

  日本が朝鮮人に日本名を強制した事実はない


韓国側は、自由意志とは言いながら結果的に80%が日本名の「氏」を創設したのは実質的な強制があったからだと主張しています。
しかし、なぜ強制しなければならないのでしょう。

朝鮮人が日本名を名乗ることで日本人には何のメリットもないのは前に書いたとおりです。
たしかに、同じ日本の統治下にあった台湾では日本名に変えた人は2%以下でした。

ただし台湾の場合は、日本語が堪能なこと、親戚に犯罪者がいないことなど、数々の厳しいハードルが設けられており、その結果2%以下しか日本名を名乗れなかったのが実情でした。

これに対し、韓国の場合は「一視同仁」の理念の下、朝鮮人も天皇陛下の臣民とみなされて一切の制限が設けられませんでした。

「創氏改名」は朝鮮人のみに与えられた「皇恩」だったのです。



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この法律が施行されるや、「朝鮮人の願いを聞き入れていただいたご恩に報いるために住民全員が日本名にしよう」という運動が朝鮮のあちこちで起こり、町や村の議会で「全員日本名とする」ことを決議するケースも続出しました。

朝鮮人官吏が「点数稼ぎ」のために日本名を勧めたこともあったようです。

このような雰囲気のなかで、日本名を名乗らないものが朝鮮人の間で非難されることはあったでしょう。
日本名に変えることを拒否して自殺したという話も残っています。

しかし、それはあくまで朝鮮人社会の内部での問題であり、日本側が強制したわけではありません。



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当時の南次郎朝鮮総督はこの朝鮮人の間で起こった「日本名創氏運動」を深く憂慮し、「創氏改名」の主旨が誤解され日本名強制がなされることを危惧して、期間中三度も「強制してはならない」という通達を出しています。
これについては、1940年3月6日付大阪朝日・中鮮版に次の通り報道されています。

「南 総督は5日の局長会議で(略)左のように関係各方面に注意した。氏創設のことに関してややもすれば誤解している向きもあるように聞くが、これは絶対に強制ではなく、一視同仁の大御心から朝鮮同胞に内地人同様の氏創設の道が開かれたのであって、内鮮一体の具現化であり、この点一般にも誤解なきやう主旨の徹底を図って欲しい」

これほど「強制がなかった」ことを証明する証拠はないでしょう。

総督に逆らったら日本人官吏の出世はありません。
逆立ちしても、日本人官吏が朝鮮人に日本名を強制するわけがないのです。




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松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




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170311 差別撤廃の一環だった「創氏改名」 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

  差別撤廃の一環だった「創氏改名」


満州ばかりではなく、半島の朝鮮人からも日本名への要求が出てきました。

「日本人になって30年近く経っても、日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」との不満が朝鮮人の間に高まってきたのです。
無理もないことでした。

たとえば、日本とアメリカが合邦したと仮定して、30年近く経っても日本人が米国式の名前を名乗ることを禁じた法律があれば「差別」となるでしょう。
「アントニオ猪木」も「アームストロング」もダメということになります。

内鮮(内地人と朝鮮人)差別撤廃に腐心していた朝鮮総督府としても朝鮮人の声を無視できなくなり、なんとか良い方法がないか検討を始めました。



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しかし、簡単にはいきません。

朝鮮総督府内部でも日本への密航増加や治安上の問題を憂慮した警務部(警察庁に相当)が反対、これに対して文部部(文部省に相当)は内地人も朝鮮人も天皇陛下の臣民として平等であるという「一視同仁」の考えから賛成し、、侃侃諤諤すったもんだの議論の末に、ようやく1939年(昭和14年)に朝鮮戸籍法の改正にこぎつけたのです。



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では、その改正内容はどのようなものだったでしょう。

朝鮮総督府ではあくまで朝鮮の文化伝統を尊重する立場から「姓」をそのまま戸籍簿上に残し、新たにファミリーネームとしての「氏」を創設することにしました。

「姓」とはあくまで一族の名前であり、朝鮮では男女ともに一族の姓を一生名乗るものとされ、女性は結婚しても姓は変わりませんでした。

したがって、日本のような家族単位の苗字(「氏」)を「姓」以外に設けることにしたのです。



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これにより日本名を希望する朝鮮人は、戸籍上の「氏」を日本名にすることで日本式の苗字を名乗れるようになりました。

これで戸籍簿上には「姓」と「氏」の二つが記載されることになり、これは朝鮮人が「姓」を変えることなく合法的に日本式の苗字を持つことができる妙案でした。

もし「姓」を変えるのであれば「改姓」であり、「創氏」とは言わないはずです。



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「氏」の創設は期間が限られていました。

1940年2月11日より半年間に希望する「氏」を登録することにしました。
日本名を必要としない人は特に登録の必要はなく、その場合は家長の朝鮮式姓がそのまま「氏」に充当されました。

これを「法定創氏」と言い、約20%の人が「法定創氏」を選択しました。



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さらに「せっかく日本人の苗字が名乗れるようになっても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がない。名前も変えさせてほしい」という要望が多く、これに応えるために朝鮮戸籍法を改正する際に、裁判所に申請し裁判所が正当な事由と認めた場合に限り、手数料を支払って名前を変えることも可能としました。

これによって「創氏改名」が実現したのです。



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これらの事実は、朝鮮総督府発行『朝鮮総督府施政年報 昭和15年版』(国立国会図書館蔵)に、次のように明記されています。

「朝鮮戸籍令の改正ありたるも従来の姓及び本貫(一族始祖の発祥地)は依然としてこれを戸籍簿上に存置することとなしたり」

「一家創立の場合のほか自己の姓以外の姓を氏として用うることを得ざるものと為すと共に氏名は原則としてこれを変更することを得ざるものとし唯正当の事由ある場合に限り裁判所の許可を得て之を変更し得ることとなしたり」




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170222 日本名を名乗れるよう要求したのは朝鮮人だった 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

 日本名を名乗れるよう要求したのは朝鮮人だった



日本名禁止だったはずの朝鮮人が、なぜ日本名を名乗れるようになったのでしょう。
きっかけは、朝鮮人満州開拓団からの強い要望でした。
1920年代になると多くの朝鮮人が満州に移住して、新天地の開拓に従事するようになりました。

しかし、このころの満州では馬賊や匪賊が跋扈し、日本人や朝鮮人の開拓村はしばしば彼らのターゲットにされました。

特に、朝鮮人に対する中国人や満州人の侮蔑意識は強く、朝鮮人の村々はたびたび略奪、放火、虐殺など甚大な被害を被っていたのです。



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いくら法的に日本人であっても名前が朝鮮式であるかぎり、中国人も満州人も朝鮮人を日本人とは見なしません。
日本名さえ名乗ることができれば名実ともに日本臣民となり、中国人や満州人から侮蔑されなくなるわけですから、満州在住の朝鮮人から日本人の名前を名乗らせて欲しいとの要望が出てきたのも自然の成り行きでした。

さらに1931年(昭和6年)に長春の北、三姓堡万宝山で水利権を巡った争いがあり、多くの朝鮮人が中国人に殺された事件が発生してからは、「一刻も早く日本名を」という切実な要求が朝鮮総督府に届くようになりました。





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170207 併合直後は日本式の名前を名乗ることが禁止されていた 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

5︎⃣「姓名を奪った」への反論

併合直後は日本式の名前を名乗ることが禁止されていた


1939年(昭和14年)に朝鮮総督は朝鮮戸籍法を改正し、朝鮮人が日本名を名乗ることを可能としました。
これは「創氏改名」と呼ばれるものですが、これによって朝鮮人の姓名を奪われ、無理やり日本人に同化させられたとして、ことあるごとに韓国は日本を非難します。


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韓国の小学校歴史教科書でも「(日本は)私たちの姓や名も日本式に直して呼ばせ、我が民族の精神をなくそうとした」と教えています。

小学校からこう習っているのですから、「日本が統治時代に朝鮮人から姓を奪い日本名を強制した」ことが、今や韓国では「常識」になっています。


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韓国ばかりではありません。
日本の教科書にも書いてあります。

例えば、前出の『新しい社会 歴史』(東京書籍)は、「朝鮮では皇民化の名のもとに、日本語の使用や朝鮮の姓名の表し方を日本式の氏名に改めさせる創氏改名を推し進めました」と、断定的に記述しています。

このような教科書で自虐教育を受けた多くの生徒たちが、これを信じて「名前まで奪うとは、なんと我が祖先は酷いことをしたものだ」と暗い気持ちになり、日本人の誇りを失っていくのです。


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しかしよく考えてみると、朝鮮人が日本名を名乗ることで、日本人に何か良いことがあったでしょうか。

日本人の人口が増える?
確かに「産めよ増やせ」の時代でしたが、当時朝鮮人は法的に日本人になっており、人口を増やす目的でわざわざ名前まで変える必要はありません。

朝鮮人が日本名を名乗っても日本人に何の得もなく、せいを奪う必要などさらさらなかったのです。


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実は、日韓併合直後の1911年(明治44年)に朝鮮総督府は総督府令第124号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を施行し、朝鮮人が日本式姓名を名乗ることを禁止していました。

これは朝鮮の伝統風俗を尊重すると同時に、日本人と朝鮮人を名前で区別できなくなることで発生するであろう各種の不都合に配慮したものでした。



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170128 朝鮮の輝かしい歴史もしっかり教えていたという事実 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 4︎⃣「国語を奪った」への反論

朝鮮の輝かしい歴史もしっかり教えていたという事実


韓国や日本の教科書にある「朝鮮の歴史を教えることを禁じた」との主張は、果たして事実でしょうか。

朝鮮総督府大正13年発行『朝鮮語読本 巻5』(国立国会図書館蔵)に
「慶州は新羅の古い都(中略)古くからの山河は無窮の平和の地域をなし(中略)九百九十余年間の王国の首都として栄えたのは偶然のことではない」
「膽星臺は新羅時代の構造物で総高は29尺に達し、世界的価値がある東洋最古の天文台」
「慶州邑内に入れば為先陳列館が観客を呼ぶ。同館ではこの地方において発見された各種の遺物が保存されており、(中略)新羅文明の卓越した様子が明らかに分かる」
「奉徳寺の鐘は重量が12万斤にて実に朝鮮第一の巨鐘であるのみならず、形状が優美であり彫刻も極に精巧綺麗である」
「石窟庵に入れば穹窿きゅうりゅうたる石窟の中に29体の仏像を周壁に彫刻してあり、(中略)その彫刻の優美さは東洋芸術の誇りである」(原文は漢字ハングル文)

朝鮮総督府が、朝鮮の卓越した歴史を学童達に教え、朝鮮人としての誇りを育むべく涙ぐましい努力をしていたことが、この記述を見てもよくわかります。


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朝鮮総督府は1923年の新教育令で、普通学校の歴史教科書における朝鮮史の記載がまだまだ不十分であるとして、朝鮮関係の分量を増加させています。
『普通学校国史教授参考書』(国立図書館蔵)に、「朝鮮関係事項は朝鮮半島変遷の大要をしらしむるにやや不足なるをもって各巻中に特に朝鮮半島事歴の教材を加えたり」と、はっきり書いてあります。


朝鮮総督府が終始一貫、朝鮮の文化と伝統を尊重しつつ、朝鮮の近代化に尽くしたのは紛れも無い事実でした。



松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




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