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170613 「三一運動」に関する弾圧の歪曲史 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

   「三一運動」に関する弾圧の歪曲史



韓国は民族独立運動である「三一運動」を日本は残虐な手段で弾圧し、多くの朝鮮人を捕らえて拷問にかけ虐殺したと主張しており、日本の教科書にもそのように書いてあります。

「三一運動弾圧」は日韓近代史の大きなテーマとなっているため、ここに取り上げてその歴史の歪曲を指摘し、きっちりと反論しておきます。



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三一運動とは第一次大戦後、アメリカ合衆国ウィルソン大統領が打ち出した民族自決思想に刺激された在日朝鮮人留学生が、1919年(大正8年)2月、東京で決起集会を開き、独立要求書を日本政府に提出しようとしたことから始まりました。

第一次大戦後、パリ講和会議で日本は国際連盟の規約に「人種差別撤廃」を盛り込むことを提案しましたが、これを拒否したのが議長を務めていたウィルソン大統領でした。

ウィルソン大統領は人種差別主義者であり、彼が唱えた民族自決も「白人の民族独立」だったのですが、朝鮮人留学生たちは有色人種も対象であると考えて、独立要求書を出そうとしたのです。



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この動きはすぐに朝鮮半島にも伝わりました。
同年3月1日、京城(ソウル)のパゴダ公園に宗教家33人(天道教代表15人、キリスト教16人、仏教2人)が集まって独立宣言が読み上げられ、非暴力・無抵抗主義を標榜ひょうぼうして、街頭で「万歳デモ」が行われました。

ところが、これに商人や労働者が加わると様相が一変し、デモはまたたく間に全国的暴動に発展しました。

朝鮮全土で暴徒による破壊、放火、殺人、掠奪りゃくだつが行われたのです。



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しかし、韓国ではこれをすべて日本の憲兵・警察がやったと教えており、韓国の国定教科書は次のように記述しています(金完燮『親日派のための弁明2』扶桑社より)。

万歳デモが拡散すると、日帝は憲兵警察はもちろん軍人まで緊急出動させ、デモ群衆を無差別殺傷した。晴州、砂川、孟山、送安、南原、陜川などの地では日本軍警の銃撃により数十人の死傷者を出し、堤岩里では、全住民を教会に集合させた後、監禁して火をつけ虐殺した。また、デモに参加したという理由で無数の人々が投獄され、日本警察に非人道的な刑罰を受け多くの人々が命を失った。当時万歳デモに参加した人員は二百万余人であり、日本軍警に殺された人は7500余人、負傷者は1万6千余人、逮捕された人は4万7千人であり、壊されたり燃やされたりした民家は720余戸、教会が50カ所、学校が20カ所だった


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また、韓国小学校社会科教科書は次のように書いています。

日本は独立万歳を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。彼らは太極旗を持って万歳を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家や教会、学校に火をつけ、はなはだしくは一村の住民すべてを殺してしまったこともあった。柳寛順をはじめ、数多くの人々が死んだり投獄されたり、あらゆる拷問で苦しめられた


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さらに、国定中学校国史教科書には、こうも書いてあります。

10歳にならない少女と婦女子、そして女学生らが自分の祖国のため情熱を注ぎ、独立を叫んだという単純な罪名で、恥辱的な扱いを受け、体をなぐられた。幼い少女たちも残酷になぐられ、7歳以下の幼い少女ら300余名が既に殺害されたと知らされた


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右の韓国の教科書の記述に対して、金完燮は『親日派のための弁明2』(扶桑社)のなかでこう反論しています。

学校の教科書では(日本に関連した他の部分も同じだが)事実を概して糊塗し捏造している。まるで平和なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警が無差別に虐殺したかのように述べている。もし日本軍警がそのように対応したとしたら、万歳デモは初期に鎮圧され、全国に拡散さえしなかっただろう。当時の日本軍警は、平和的なデモに対してはデモ隊を保護し、殺人と破壊を行う暴徒や鎮圧軍警を攻撃するデモ隊に対してのみ、治安維持と正当防衛の次元で武力を行使したのである。堤岩里事件についても『全住民を教会に集めて虐殺した』という主張はとんでもない


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金完燮が指摘しているように、当時すでに近代的法治国家であった朝鮮で、教科書に書いてあるような蛮行が行われるはずがありません。
主要都市から地方に広がったこの騒動は、農民たちが武装して村役場、警察・憲兵事務所、富裕地主等を襲撃するという凶悪な行動へと発展していきました(鄭材貞『新しい韓国近現代史』石渡延男・鈴木信明・横田安司訳 桐書房)。

さらに、学校への焼き討ちに加え、在鮮日本人に「日本に帰れ」と投石をもって強迫行為行なった事実はテロそのものであり、決して一般大衆から支持されたものではありませんでした。



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三一運動はそれが拡大するにつれて、当初の旗印は忘れ去られ、黄色人種間の分裂を図る欧米宣教師にあおられた朝鮮人キリスト教徒たちが暴徒と化し、これに近代化で特権を喪失した両班や旧軍人などの不満分子が乗っかって広がった全国規模の破壊活動であり暴動だったのです。


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地方の朝鮮人も暴徒を恐れて憲兵や警察に保護を求めましたが、駐在所や憲兵分遣隊の兵力は10人から多くても20人しかおらず、数が圧倒的に足りません。

社会秩序を維持し、暴徒から住民を守るために、憲兵や警察は止むを得ず武器を使用したのであり、全国的な騒擾そうじょうの渦中で若干の被害者が出るのは、いたしかたのないことでした。




撮影機材
Nikon F801


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170528 東学党30万人虐殺と日露戦争時の民間人虐殺の嘘 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

  東学党30万人虐殺と日露戦争時の民間人虐殺の嘘



東学党の乱は、もともと李氏朝鮮の圧政に耐えかねた農民たちの一揆だったのですが、韓国では「日本軍による東学党大虐殺」をもって日韓50年戦争の勃発となっています。

それは、『朝鮮独立運動之血史』にある次の記述がもとになっているのです。
「東学党は、鎌や鋤などの農具を武器にして蜂起し、政府軍や日清軍と交戦すること9カ月以上にも及んだ。支社30余万人を数え、民族史の上に古今未曾有の惨状を極めた」

しかし、これは変です。
なぜなら、清と締結した天津条約に基づいて在留邦人保護のために日本軍の本隊が朝鮮半島に上陸したのは、東学党の乱が朝鮮政府軍や清国軍隊によって鎮圧された後です。

それまでは大使館を護衛するための二個小隊しか朝鮮にいませんでした。

9カ月も東学党と戦う兵力など、日本軍にはなかったのです。




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ところが、この「血史」の歴史歪曲が自家中毒して、韓国では「東学党が近代式装備で訓練された日本軍に敗退し、30〜40万人の犠牲を出して幕を下ろした」(宋建鎬『日帝支配下の韓国現代史』風濤社)ことになっています。

すると、二個小隊で反乱軍40万人をやっつけたことになります。

生身の人間なら物理的に不可能です。

帝国陸軍はスーパーマンの集まりだったのでしょうか。

いずれにせよ、日本軍と東学党との間にほとんど戦闘らしきものはなかったのですから、「東学党30万人虐殺」など全くの濡れ衣です。

それにしても、死者30万人というのもとんでもない数字です。

当時の人口が約800万人、男子が約400万人として、老人と子供を除けば300万人以下となります。
その人口の10%以上が東学党として死んだなど信じられるでしょうか。




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朴殷植の『朝鮮独立運動之血史』には、日露戦争時に日本が朝鮮に対し、次のような暴虐を働いて婦女子まで虐殺したとあり、そのまま韓国の正式な歴史となっています。

「わが民衆を日露戦争の軍用務労働者として徴用しはじめ、これを拒否したものはロシアの間諜として罪におとしいれ、あるいは拘束し、あるいは拷問を加え、はなはだしくは惨殺した。そして男子を殺すときは、十字架を立ててその上に首を架け、その足をくくりつけて歩かせた。またあるいは、その四肢を十字架に縛り付けてこれを銃殺した。しかし1発で即死しない者は、苦痛にたえず、悲しい叫び声が山野をふるわせた。婦女子を殺すときは、その頸を路上にかけて往来の衆目に晒した」

これには何の根拠もありません。

朴殷植は、フィクション作家として売り出すべきでした。

「朝鮮人を軍用務労働者として徴用」というのもとんでもない話です。

「徴用」とは、大辞林によれば「戦時などに国家が国民を強制的に動員して、兵役以外の一定の業務につかせること。日本では1939年国民徴用令が制定され、敗戦まで行われた」とあります。

前述のように、1904年代にしかも他国である大韓帝国の国民を「徴用」できるはずがありません。



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むしろ、日露戦争では一進会の人々を中心に多くの朝鮮人が手弁当で駆けつけ、日本軍の武器の輸送や鉄道建設などに協力してくれたのです。

「露探」と呼ばれたロシア側のスパイを処刑したことは事実ですが、スパイ行為は重罪であり、捕まればどこの国でも死刑になります。

それが戦時における常識であり、ロシア軍に捕らえられた日本側の間諜も銃殺されています。

スパイの処刑は戦時国際法に則った合法的なものであり、日本軍の蛮行呼ばわりされる道理は絶対にありません。




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さらに唐突に婦女子殺害の話が出てきますが、軍規厳正な日本軍が罪もない婦女子をどうして殺すでしょう。

「1発で即死しない者は、苦痛に耐えず、悲しい叫び声が山野をふるわせた。婦女子を殺すときは、その頸を路上にかけて往来の衆目にさらした」と、ここまでくれば朴殷植はフィクション作家どころではなく、猟奇ホラー小説家のレベルに十分達しています。




松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃






撮影機材
Nikon F801




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170502 捏造のベースは『朝鮮独立運動之血史』 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

  捏造のベースは『朝鮮独立運動之血史』


実は、「東学党虐殺」に始まる数々の「日本人による朝鮮人大虐殺」という韓国側の主張は、1冊の本がベースになっています。

朴殷植という人物が1920年に書いた『朝鮮独立運動之血史』がその本です(戦後、韓国では『韓国独立運動之血史』と名称が変更されています)。

この本は全編を通して日本への侮蔑意識が溢れ、日本の漢検や軍隊の蛮行がこれでもかとばかり書き連ねてあり、私もこれを読んでそのあまりの偏見と事実歪曲、数字の誇張に絶句しました。



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この本の中で彼は「日本では母子が結婚すると聞いたことがある」と述べ、「日本民族の古来から受け継がれたその野蛮な習慣を我が民族に強制し、倫理を冒涜したことも稀ではなかった」と述べています。

さらに、「絶海の野蛮民族を教導してやったのが朝鮮である」とか、「ふんどし一つの裸であることや淫売の習慣や男女間の風紀の紊乱などを朝鮮人は嘲笑あざわらってきた」とか、「大きいものでは国家、小さいものは個人財産に至るまでみな狡猾に詐欺と暴力によって奪ったもの」など、日本人への偏見と侮辱で満たされたとんでもない本なのです。



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朴殷植は上海臨時政府の二代目”大統領”になった人物であり、この本は彼が日本を攻撃するために悪意をもって著述したもので、このなかの数字や事件は単なる噂をもとに彼の希望事項を記述したにすぎません(金完燮『親日派のための弁明2』扶桑社)。

しかし、戦後の反日教育を推し進めるうえでこれほど都合の良い本はなく、韓国ではこれが正式な歴史書として取り上げられ、そこに書かれた「野蛮な日本による虐殺物語」が「史実」として学校で教えられるようになりました。



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したがって、「命を奪った」に反論するにはこの『朝鮮独立運動之血史』の内容を明らかにして、その歴史捏造を暴くことが何よりも効果的でしょう。



松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃






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170416 韓国にだけ存在する歴史用語「日韓五十年戦争」 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

   韓国にだけ存在する歴史用語「日韓五十年戦争」


韓国では「日本の統治期間中、日本は朝鮮で虐殺の限りを尽くし、何十万人の朝鮮人の命が日本によって奪われた」と主張しています。

本当にそんなことがあったのでしょうか。
人口を見ても日本統治が始まった1910年には1千3百万人だったものが、1945年(昭和20年)には2千5百万人までほぼ倍増しています。

本項では「命を奪った」という主張の誤りを指摘し、逆に日本が朝鮮の人口増にどれほどの貢献をしたのかを明らかにしたいと思います。



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まず、「日韓五十年戦争」についてです。
この戦争を知っていますか?
世界中で韓国だけに存在する歴史用語なので、おそらくほとんどの日本人は知らないでしょう。
日清戦争のきっかけとなった東学党の乱から1945年までの50年間、韓国の歴史観からすると日韓は戦争状態にあり、この期間中に残虐な日本軍は朝鮮人数十万人を虐殺したと教えています。

そして、最後は大韓民国臨時政府軍(光復軍)が勝利して祖国を独立させたそうです。
北朝鮮の「金日成物語」も同じようなものでしょう。



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「日韓の戦い」について、韓国の国定小学校社会科教科書には次のように書いてあります。

「大韓民国臨時政府は中国の諸地域に散在していた独立軍を一つに集めて光復軍を組織した。
そして、日本の軍隊に強制徴用されたが脱出した青年たちも、光復軍に移ってきた。
光復軍は祖国の独立を取り戻すために厳しい訓練をしながら時期を待っていた。
ついに日本が第二次大戦を起こした。
そこで臨時政府は日本に宣戦布告をして、連合軍と連絡を取りながら独立戦争を展開していった。
我が国の独立の意志が広く知られると、世界の国々も我が国の独立を約束せずにはいられなくなった。
このように、民族全体が国の内外で力を合わせて日本に対抗したので、ついに私たちは光復を迎えることができた」



また、国定中学校歴史教科書では次のようになっています。


「日帝が太平洋戦争を起こすと、大韓民国臨時政府は日本に宣戦布告をし、連合軍と手を結び独立戦争を展開した。
光復軍は中国各地で中国軍と協力して日本軍と戦った。
そればかりか、インド、ミャンマー戦線でもイギリス軍と連合して日本軍と戦った」(『入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書』石渡延男監訳、三橋広夫共訳 明石書店)



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あれ? と首をかしげるようなことばかりです。
日本の軍隊に強制徴用されたが脱出してきた青年とありますが、朝鮮人に徴兵令や徴用令が適用されたのは1944年(昭和19年)であり、第二次大戦前に強制徴用されるはずがありません。
日本が第二次大戦を起こしたとは、ずいぶん買いかぶられたものです。
第二次大戦の開始は、ドイツがポーランドに侵攻した1939年です。

歴史歪曲の極め付けは、中学校の教科書で
インド、ミャンマー戦線でもイギリス軍と連合して日本軍と戦ったと、あたかも韓国が第二次大戦の連合国の一員であったかのように教えていることです。

近代において、日本と韓国が戦争したことはありません。
「日韓五十年戦争」も全くの作り話なのです。



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第4章で詳述しますが、日本と朝鮮は支那事変と大東亜戦争を共に戦った「戦友」でした。
さらに、上海臨時政府が連合軍に承認された事実もありません。

もし承認されているのなら、終戦後すぐに独立し、上海臨時政府”金九大統領”をトップとする韓国政府が朝鮮半島を統治できたはずです。

しかし実際には、朝鮮は38度線を境に南北に分断され、北はソ連、南は米国の軍政下となり、韓国は1948年(昭和23年)の総選挙を経て、ようやく建国に至りました。
終戦時、韓国に政府がなかった証拠です。

どうも韓国の教科書は「事実」よりも、「こうであって欲しい」という「願望」が書いてあるようです。
「日韓五十年戦争」も「願望」なのでしょう。
日韓の歴史共同研究などできるわけがありません。




松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




撮影機材 Nikon FA




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170408 80%の人が「氏」を創ったのは、多くの朝鮮人が「日本臣民」を希望した結果 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

  80%の人が「氏」を創ったのは、多くの朝鮮人が「日本臣民」を希望した結果


強制もなく、不利益を被ることもない中で、結果的に80%の人々が日本名の「氏」を選択したのは、当時世界五大強国の一つであった日本の、名実ともに臣民になることを多くの朝鮮人が望んだことを意味しています。
まさにそれこそが「創氏改名」の真実でした。



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ちなみに、朝鮮では「同姓めとらず」「異姓養わず」という習慣があり、法律でもそのように規定されていました。

つまり、本貫(一族始祖の発祥地)を同じくする同姓同士の結婚はできず、一方で異姓を婿養子にすることもできなかったのです。

したがって、一つの本貫が大部分を占める姓の場合、娘だけの家では跡継ぎができずに困っていました。

創氏改名に伴う朝鮮民事令の改正で「異姓養わず」がはずされ、異姓の男性を婿養子に迎えることができることになり、大変喜ばれました。

これらの事実は、『朝鮮総督府施政年報 昭和15年版』(国立国会図書館蔵)にも、次のように明記してあります。



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『内鮮一體たらんとするの信念にえ法律上に於いても内地人式氏名をとなえ形貭共に皇國臣民たる榮譽を渇仰する者随所に續出するに至りたると共に朝鮮人閒に於いて永年の宿望たりし婿養子制度に對する要望も愈々いよいよ熾烈と為りたるを以て昭和14年11月10日朝鮮民事令を改正し裁判上の離縁等も民法上の規定によることと定むると共に生前養子の場合には異姓養子を為すことも認め以て婿養子を為すの途を拓き、又「氏」は戸主これを定め同令施行の日より6月以内に府尹邑靣镸に届いずべきものとし以て内地人式「氏」を定る途を拓きたり』



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撮影機材 Nikon FA




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