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170502 捏造のベースは『朝鮮独立運動之血史』 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

  捏造のベースは『朝鮮独立運動之血史』


実は、「東学党虐殺」に始まる数々の「日本人による朝鮮人大虐殺」という韓国側の主張は、1冊の本がベースになっています。

朴殷植という人物が1920年に書いた『朝鮮独立運動之血史』がその本です(戦後、韓国では『韓国独立運動之血史』と名称が変更されています)。

この本は全編を通して日本への侮蔑意識が溢れ、日本の漢検や軍隊の蛮行がこれでもかとばかり書き連ねてあり、私もこれを読んでそのあまりの偏見と事実歪曲、数字の誇張に絶句しました。



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この本の中で彼は「日本では母子が結婚すると聞いたことがある」と述べ、「日本民族の古来から受け継がれたその野蛮な習慣を我が民族に強制し、倫理を冒涜したことも稀ではなかった」と述べています。

さらに、「絶海の野蛮民族を教導してやったのが朝鮮である」とか、「ふんどし一つの裸であることや淫売の習慣や男女間の風紀の紊乱などを朝鮮人は嘲笑あざわらってきた」とか、「大きいものでは国家、小さいものは個人財産に至るまでみな狡猾に詐欺と暴力によって奪ったもの」など、日本人への偏見と侮辱で満たされたとんでもない本なのです。



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朴殷植は上海臨時政府の二代目”大統領”になった人物であり、この本は彼が日本を攻撃するために悪意をもって著述したもので、このなかの数字や事件は単なる噂をもとに彼の希望事項を記述したにすぎません(金完燮『親日派のための弁明2』扶桑社)。

しかし、戦後の反日教育を推し進めるうえでこれほど都合の良い本はなく、韓国ではこれが正式な歴史書として取り上げられ、そこに書かれた「野蛮な日本による虐殺物語」が「史実」として学校で教えられるようになりました。



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したがって、「命を奪った」に反論するにはこの『朝鮮独立運動之血史』の内容を明らかにして、その歴史捏造を暴くことが何よりも効果的でしょう。



松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃






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170416 韓国にだけ存在する歴史用語「日韓五十年戦争」 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

   韓国にだけ存在する歴史用語「日韓五十年戦争」


韓国では「日本の統治期間中、日本は朝鮮で虐殺の限りを尽くし、何十万人の朝鮮人の命が日本によって奪われた」と主張しています。

本当にそんなことがあったのでしょうか。
人口を見ても日本統治が始まった1910年には1千3百万人だったものが、1945年(昭和20年)には2千5百万人までほぼ倍増しています。

本項では「命を奪った」という主張の誤りを指摘し、逆に日本が朝鮮の人口増にどれほどの貢献をしたのかを明らかにしたいと思います。



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まず、「日韓五十年戦争」についてです。
この戦争を知っていますか?
世界中で韓国だけに存在する歴史用語なので、おそらくほとんどの日本人は知らないでしょう。
日清戦争のきっかけとなった東学党の乱から1945年までの50年間、韓国の歴史観からすると日韓は戦争状態にあり、この期間中に残虐な日本軍は朝鮮人数十万人を虐殺したと教えています。

そして、最後は大韓民国臨時政府軍(光復軍)が勝利して祖国を独立させたそうです。
北朝鮮の「金日成物語」も同じようなものでしょう。



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「日韓の戦い」について、韓国の国定小学校社会科教科書には次のように書いてあります。

「大韓民国臨時政府は中国の諸地域に散在していた独立軍を一つに集めて光復軍を組織した。
そして、日本の軍隊に強制徴用されたが脱出した青年たちも、光復軍に移ってきた。
光復軍は祖国の独立を取り戻すために厳しい訓練をしながら時期を待っていた。
ついに日本が第二次大戦を起こした。
そこで臨時政府は日本に宣戦布告をして、連合軍と連絡を取りながら独立戦争を展開していった。
我が国の独立の意志が広く知られると、世界の国々も我が国の独立を約束せずにはいられなくなった。
このように、民族全体が国の内外で力を合わせて日本に対抗したので、ついに私たちは光復を迎えることができた」



また、国定中学校歴史教科書では次のようになっています。


「日帝が太平洋戦争を起こすと、大韓民国臨時政府は日本に宣戦布告をし、連合軍と手を結び独立戦争を展開した。
光復軍は中国各地で中国軍と協力して日本軍と戦った。
そればかりか、インド、ミャンマー戦線でもイギリス軍と連合して日本軍と戦った」(『入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書』石渡延男監訳、三橋広夫共訳 明石書店)



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あれ? と首をかしげるようなことばかりです。
日本の軍隊に強制徴用されたが脱出してきた青年とありますが、朝鮮人に徴兵令や徴用令が適用されたのは1944年(昭和19年)であり、第二次大戦前に強制徴用されるはずがありません。
日本が第二次大戦を起こしたとは、ずいぶん買いかぶられたものです。
第二次大戦の開始は、ドイツがポーランドに侵攻した1939年です。

歴史歪曲の極め付けは、中学校の教科書で
インド、ミャンマー戦線でもイギリス軍と連合して日本軍と戦ったと、あたかも韓国が第二次大戦の連合国の一員であったかのように教えていることです。

近代において、日本と韓国が戦争したことはありません。
「日韓五十年戦争」も全くの作り話なのです。



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第4章で詳述しますが、日本と朝鮮は支那事変と大東亜戦争を共に戦った「戦友」でした。
さらに、上海臨時政府が連合軍に承認された事実もありません。

もし承認されているのなら、終戦後すぐに独立し、上海臨時政府”金九大統領”をトップとする韓国政府が朝鮮半島を統治できたはずです。

しかし実際には、朝鮮は38度線を境に南北に分断され、北はソ連、南は米国の軍政下となり、韓国は1948年(昭和23年)の総選挙を経て、ようやく建国に至りました。
終戦時、韓国に政府がなかった証拠です。

どうも韓国の教科書は「事実」よりも、「こうであって欲しい」という「願望」が書いてあるようです。
「日韓五十年戦争」も「願望」なのでしょう。
日韓の歴史共同研究などできるわけがありません。




松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




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170408 80%の人が「氏」を創ったのは、多くの朝鮮人が「日本臣民」を希望した結果 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

  80%の人が「氏」を創ったのは、多くの朝鮮人が「日本臣民」を希望した結果


強制もなく、不利益を被ることもない中で、結果的に80%の人々が日本名の「氏」を選択したのは、当時世界五大強国の一つであった日本の、名実ともに臣民になることを多くの朝鮮人が望んだことを意味しています。
まさにそれこそが「創氏改名」の真実でした。



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ちなみに、朝鮮では「同姓めとらず」「異姓養わず」という習慣があり、法律でもそのように規定されていました。

つまり、本貫(一族始祖の発祥地)を同じくする同姓同士の結婚はできず、一方で異姓を婿養子にすることもできなかったのです。

したがって、一つの本貫が大部分を占める姓の場合、娘だけの家では跡継ぎができずに困っていました。

創氏改名に伴う朝鮮民事令の改正で「異姓養わず」がはずされ、異姓の男性を婿養子に迎えることができることになり、大変喜ばれました。

これらの事実は、『朝鮮総督府施政年報 昭和15年版』(国立国会図書館蔵)にも、次のように明記してあります。



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『内鮮一體たらんとするの信念にえ法律上に於いても内地人式氏名をとなえ形貭共に皇國臣民たる榮譽を渇仰する者随所に續出するに至りたると共に朝鮮人閒に於いて永年の宿望たりし婿養子制度に對する要望も愈々いよいよ熾烈と為りたるを以て昭和14年11月10日朝鮮民事令を改正し裁判上の離縁等も民法上の規定によることと定むると共に生前養子の場合には異姓養子を為すことも認め以て婿養子を為すの途を拓き、又「氏」は戸主これを定め同令施行の日より6月以内に府尹邑靣镸に届いずべきものとし以て内地人式「氏」を定る途を拓きたり』



松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




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170330 朝鮮名のままでなんら不利はなかった 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

 朝鮮名のままでなんら不利はなかった


「そうは言っても、日本名を名乗らなければ目に見えない不利を被ったはずだ。これも強制の一種ではないか」と、また韓国は主張するでしょう。

しかし、帝国陸軍には洪思翊こうしよく中将という立派な軍人がいました。終戦時まで朝鮮名を通し、陸軍中将にまで上り詰めています。

陸軍士官学校をでて帝国軍人になった朝鮮人もかなりいて、彼らの多くは朝鮮名で通しました。
もし強制的な雰囲気があったなら、とても軍隊内部で朝鮮名を通すことなどできなかったはずです。



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さらに当時、日本国内では朴春琴が朝鮮名のまま衆議院議員として活躍していました。

朝鮮名を通したのが有名人だけなら「それらは特別な人々であり、日本は広告塔として利用するためにわざと見逃した」と韓国は反論するかもしれません。

しかし「創氏改名」の翌年に朝鮮各地で行われた選挙で、多くの朝鮮名候補者が当選しています。

スポーツ記事でも朝鮮名選手の活躍を賞賛しており、1941年6月20日付京城日報中鮮版一面の「祝 陜川防空飛行大会記念」祝賀広告に至っては、面長(村長)や木工所、酒造会社の社長など、名を連ねている14名全員が朝鮮名です。



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総督府の上級官吏などトップクラスに上り詰めた人々にも、朝鮮名を「氏」とする人が数多くいました。

一般人でも朝鮮名で不利を招くことはなく、むしろ堂々と朝鮮名で通す朝鮮人を頼もしいと歓迎する日本人も多かったのです。




松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




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170320 日本が朝鮮人に日本名を強制した事実はない 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

 5︎⃣「姓名を奪った」への反論

  日本が朝鮮人に日本名を強制した事実はない


韓国側は、自由意志とは言いながら結果的に80%が日本名の「氏」を創設したのは実質的な強制があったからだと主張しています。
しかし、なぜ強制しなければならないのでしょう。

朝鮮人が日本名を名乗ることで日本人には何のメリットもないのは前に書いたとおりです。
たしかに、同じ日本の統治下にあった台湾では日本名に変えた人は2%以下でした。

ただし台湾の場合は、日本語が堪能なこと、親戚に犯罪者がいないことなど、数々の厳しいハードルが設けられており、その結果2%以下しか日本名を名乗れなかったのが実情でした。

これに対し、韓国の場合は「一視同仁」の理念の下、朝鮮人も天皇陛下の臣民とみなされて一切の制限が設けられませんでした。

「創氏改名」は朝鮮人のみに与えられた「皇恩」だったのです。



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この法律が施行されるや、「朝鮮人の願いを聞き入れていただいたご恩に報いるために住民全員が日本名にしよう」という運動が朝鮮のあちこちで起こり、町や村の議会で「全員日本名とする」ことを決議するケースも続出しました。

朝鮮人官吏が「点数稼ぎ」のために日本名を勧めたこともあったようです。

このような雰囲気のなかで、日本名を名乗らないものが朝鮮人の間で非難されることはあったでしょう。
日本名に変えることを拒否して自殺したという話も残っています。

しかし、それはあくまで朝鮮人社会の内部での問題であり、日本側が強制したわけではありません。



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当時の南次郎朝鮮総督はこの朝鮮人の間で起こった「日本名創氏運動」を深く憂慮し、「創氏改名」の主旨が誤解され日本名強制がなされることを危惧して、期間中三度も「強制してはならない」という通達を出しています。
これについては、1940年3月6日付大阪朝日・中鮮版に次の通り報道されています。

「南 総督は5日の局長会議で(略)左のように関係各方面に注意した。氏創設のことに関してややもすれば誤解している向きもあるように聞くが、これは絶対に強制ではなく、一視同仁の大御心から朝鮮同胞に内地人同様の氏創設の道が開かれたのであって、内鮮一体の具現化であり、この点一般にも誤解なきやう主旨の徹底を図って欲しい」

これほど「強制がなかった」ことを証明する証拠はないでしょう。

総督に逆らったら日本人官吏の出世はありません。
逆立ちしても、日本人官吏が朝鮮人に日本名を強制するわけがないのです。




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松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




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