日常非日常

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131011 日本の大義 

P7300562
大東亜戦争を支持した日本人の多くが、人種差別を不正で野蛮なことだと見做していました。
アメリカ人の多くが民主主義の大義を信じていたのと同様に、日本人にも信じるべき大義があったのです。
しかし、この大義は甚だ疑わしいものであったのも事実です。
何故なら、人種平等を唱えた日本自身が植民地を所有していたからです。
ちょうど、民主主義の擁護を唱えていたアメリカが国内に黒人差別という反民主主義を抱えていたのと同様に、日本の大義にも欠陥があったのです。
当時の日本が欠陥を抱えていたのは事実ですが、人種平等という大義、理念そのものが誤っていたわけではありません。

現在の日本人は私たちの祖先が戦った戦争に大義が存在していたこと自体を忘れてしまっているのではないでしょうか。
驕慢な日本人が何の理念もなく暴れまわった戦争だったと断罪しているのではないでしょうか。

日本には日本なりの大義があり、理念がありました。
独善的であり、戦術的に拙いものであったとしても、掲げるべき大義の旗があったのです。
そして、その大義そのものは間違っていませんでした。
戦争に対する反省が必要なことを否定するわけではありません。
しかし、日本の掲げた大義があったことを否定してしまうのでは余りに不公平です。
人種平等という理念を掲げた日本の大義をもう一度見つめなおすべきだということを最後に強調させていただきます。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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131010 なぜ開戦を決断したのか 

P7200418
ーーー何故、日本は戦争に追い込まれたのか。
ーーー誰に開戦の責任があるのか。
ーーー日本人はどれほど愚かで傲慢なのか。

戦後,何度も繰り返された問いです。
こうした問いに答えようと多くの歴史学者、ジャーナリスト、評論家が先の大戦を論じてきました。

しかし、私自身は多くの歴史学者たちの著作に物足りなさを感じていました。
歴史学者の問いの立て方そのものに問題があると考えていたからです。
多くの歴史家たちが大東亜戦争を受動的に捉えようとしてきましたが、ここに問題があるように感じていたのです。

確かに、敗北した戦争ですから、どこに敗因があったのかを冷静に分析することは必要です。
何故敗北したのかを問うのが重要な問いであるのと同様に、何故開戦を決断したのかをより積極的な意味で問いかけることも重要なのではないでしょうか。

今となっては知る人も少数ですが、国民の大多数は大東亜戦争を支持しました。
知識人の多くも戦争に賛同していたのです。
軍部に騙されていたのではありません。
大東亜戦争に積極的な意義を見出していたからこそ、国民の多く、知識人の多くが対米開戦を支持したのです。

多くの国民、知識人が大東亜戦争を支持したのは何故なのか。
歴史の大きな流れの中から、この問題に対する答えを導き出そうとするのが本書の目的です。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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131008 父祖が掲げた大義 

P7200417
日本人は侵略のための侵略に明け暮れていたわけではありません。
ナチス・ドイツのように一民族を殺戮し尽くそうなどという野蛮で残酷な計画を立てたわけでもありません。
世界制覇を考えていたわけでもありません。
日本は邪悪で野蛮な国家だったわけではないのです。
しかし、日本人が行ったことが、全て美しく、正しいことであったと言うことも不可能です。
法を逸脱する行為があったのも事実ですし、倫理的に指弾されるべき破廉恥な事件があったのも事実です。

ただ、どうしても強調しておきたいことがあります。
それは、我々の父祖は何の理由もなく闇雲に戦争を始めたわけではないということです。
領土的野心、経済的理由等様々な理由があったのは事実ですが、我々の父祖が立ち上がった大義がありました。
先程述べてきたように、「大義」や「公憤」といったものは、「私憤」から生まれることが多いものです。
日本が大義として掲げた「人種差別撤廃」、「植民地支配の打倒」も、度重なる日本人への侮辱に対する憤りに端を発したものであり、日本が純粋理想のみを追い求め続けてきたとはいえません。

しかし、我々の父祖が掲げた「大義」それ自身に誤りはなかったはずです。
国際機関に「人種差別撤廃」を訴えることは間違ったことではありません。
「植民地支配の打倒」も決して誤った大義とはいえません。

我々の祖国日本の歴史は決して汚辱にまみれたものではありません。
我々の先祖の血の滲むような努力と犠牲によって築き上げられてきたものです。

無根拠に祖国の歴史を貶め、呪いつづけるのは、もういい加減にすべきです。

曇りのない眼でゆっくりと日本の歩みを見つめなおしてみたとき、我々は自然と先祖に対して感謝と畏敬の念を抱くことがでいるはずです。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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131004 大義は歴史に刻まれている 

P7190404
日本人の残虐な行為を実際に見聞し、その非についても十分に指摘した上で、バーモウは大東亜戦争で日本が果たした役割について次のように総括しています。

現在でさえ—植民地の数知れない人々に解放をもたらすために、日本の果たした役割りを何者も抹殺することはできないのだ。
帝国主義と植民地主義の終わりを運命づけた、日本の太平洋および東南アジアでのめざましい勝利、戦時中、日本が設立を助けた民族の軍隊、そしてそれがアジアの多くの地域で生み出した新しい精神と意志、東南アジアの数カ国に日本が樹立した独立国および他の交戦国が自分の植民地内では、独立についての話さえも禁止していた時に、日本が承認した自由インド仮政府、そして最後に、無から新しい大国として立ち上がった時に全日本民族によって示されたアジア精神の不可侵性、これらは、過ぎ去った戦時中の緊張と激情と裏切りをしのいで、歴史の総決算の中に残るであろう。
」       (バーモウ「ビルマの夜明け」太陽出版)


岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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131003 日本が掲げた大義と行動の乖離 

P7190403
日本の戦いの大義は歴史に刻まれている

現実に日本人がどのような態度で戦争に臨んだのでしょうか。

実際にアジア諸国に出征した軍人たちの中には、横暴で冷酷な人々が存在しました。
まことに残念な話ですが、自身の権威、権力を要求し、アジアの人々を奴隷のように使役する軍人がいたのです。
また、自分たちの命令に従わない人々を「平手打ち」にするなど、暴力も横行していました。
かつての植民地支配を行っていた白人たちと変わらぬ姿に失望させられた人々の数は数えきれません。
日本が掲げていた大義と実際の日本軍の行動との間に乖離があったことは認めなくてはならないでしょう。
日本人は全く美しいことしかしなかったというわけにはいきません。

しかしながら、こうした一面のみが過度に強調されることがあってはならないのも当然の話です。
日本人は戦争に際し、自らの大義の旗を掲げて戦ったのです。
たとえ、それが「大義名分」に過ぎないといわれようとも、大東亜戦争とは、何の「大義名分」も立たない戦争ではなかったのです。



岩田 温 著  だから、日本人は「戦争」を選んだ より抜粋




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