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130425  2 攻撃と反攻(6) 「日本への経済制裁」 

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2 攻撃と反攻(6) 「日本への経済制裁」
日本はアメリカに特使を送り、こうした厳しい措置の緩和を要請した。しかし、日本には、アメリカは両国間の対立を解決する意思をもっておらず、戦争は不可避と考えているようにみえた。会談の公式記録を読んでみると、アメリカは日本がそう疑うだけの根拠を与えている。だから、アメリカはヨーロッパの戦争がある程度めどが立ち、自国の「防衛」計画を整備するまでの時間稼ぎをしている、と日本が思ったのは当然である。アメリカの政策(イギリスと蒋介石政権を支援し、日本を経済制裁する)は正しかったというのもいいだろう。しかし、私たちの政策ではなかったと、真面目な顔でいうのはおかしい。なぜなら、政府は各種の公式声明で、あれはアメリカの政策だったと言明しているからだ。

日本の立場でいえば、こうである。イギリスとオランダが禁輸したインドネシアとマレーの物資を力で奪いにいく決意を固めた。そこで、アメリカが両国の陣営に加わらないよう、奇襲によって出鼻をくじく必要があった。パールハーバーはのるか反るかの賭けだった。

いずれにせよ、パールハーバーを攻撃した日本の罪状は、私たちが告発し懲罰の根拠にしようとしている犯罪とは違うものなのだ。

「満州事変」以来企んでいた「世界制服」の「陰謀」という告発もいささか乱暴である。アメリカの世論は満州における日本の行動を何の疑いも抱かずに非難している。日本の満州進出は誰が見ても明らかな侵略行為だからだ。しかし、満州「事変」をめぐる米日、米中関係の記録を詳細に調べると、一般国民にはっきり見えることと、国際関係における複雑でうさん臭い行動とは、まったく違うことがわかる。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
1995翻訳
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130420 2 攻撃と反攻(5) 「国益」  

R0015338 (1 / 1)
2 攻撃と反攻(5) 「国益」
私たちが「国益」としているものの上に、外交政策を立てているなら、日本に対する私たちの裁判はかなり調査が必要となってくる。日本の政策は一貫して、国益の上に据えられてきたからだ。私たちが「国家の存亡にかかわる利益を守るために戦う」のは、私たちの権利であると主張する以上、同じように主張してきた日本を何で罰することができるのか。「世界制服」を企てたという理由で、日本を公正に罰することができるというのも理解できない。現にアメリカの公式調査報告は、そのような意図はなかったという日本の反論を記録にとどめているのだ。

パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んで仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。パールハーバーは青天の霹靂ではなく、然るべき原因があって起きたのだ。原因は、1941年7月25日にアメリカ、イギリス、オランダが打ち出した「凍結」令である。三国は自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融関係をすべて断絶した。日本は輸入必需品の80パーセントを「凍結」地域に頼っていたから、三国の行動は日中戦争の泥沼化だけでなく、国内経済の窒息を意味するものだった。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
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130418  2 攻撃と反攻(4) 自衛のための戦争 

R0015333
2 攻撃と反攻(4) 自衛のための戦争
日本の指導部はなぜ満州と中国が「国家の存亡にかかわる利益」であると信じていたのだろうか。開戦前に、ルーズベルト大統領が出した声明を読み返せば、ある程度は理解できるだろう。たとえば、1941年5月28日、ルーズベルト大統領は次のようにいっている。

「・・・『攻撃』という言葉をつかうときは、現実的でなければならない。・・・『敵がわれわれの海岸に上陸するまでは、自衛のための戦争はしない』というのは愚かな考えである。われわれがアメリカ諸国の独立と国家の存在を尊重するなら、そのために戦うだけの決意が必要である。それは、本土の海岸を守るのと同様、重要なことである」

同年9月11日には「・・・われわれが自衛上死活の重要性をもつと考える水域に、枢軸国の潜水艦ないし爆撃機が存在すれば、そのこと自体が攻撃である」と語り、そして同10月27日には「・・・もし、われわれの政策が交戦の不安に左右されるなら、わが国の全艦船と米州諸国の全船舶は自国の港に繋いでおいたほうがいい」といっている。

アメリカの「存亡にかかわる利益が脅かされた」と判断したら、大統領は世界のどこであれ、その国あるいは国々を攻撃する権利をもつというのだ。日本にとっては、その点が肝心なのだ。米大統領は、アメリカの存亡にかかわる利益とその侵犯者を決める権利をもっているというが、自国の国益を定義し、それを誰が脅かしているかを決める権利がアメリカにあるなら、日本にも同じ権利があるはずだ。もしないなら、なぜないのか。しかもアメリカは「敵が自国の海岸に上陸してくるまで」待つつもりはないといっている。それなら、日本が「国家の存立」を守るために、どこで、いつ、誰と戦うかを決める権利も許されると、日本が考えてもおかしくないだろう。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

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130417 2 攻撃と反攻(3)日本は「国家の存亡にかかる利益」のために 

R0015331 (1 / 1)
2 攻撃と反攻(3)
1932年からパールハーバーまでの10年間、駐日大使だったグルー氏から米戦略爆撃調査団のメンバーにいたる公的立場のアメリカ人はすべて、日本の指導者は終始「国家の存亡にかかる利益」のために戦っていると考えていた、と証言するのだ。グルー大使は、1932年9月3日、東京で自分の日記に次のように書いている。「日本は…(満州における)全行動を国の存亡にかかわる至上命令、あるいは自衛手段の一つ、と考えている。彼らはこの考えに立って、戦争も辞さない覚悟を固めている」

日本の戦争指導部から事情を聴取した米戦略爆撃調査団が1946年7月、大統領に提出した報告は次のようにいう。

「日本の指導部が国家の存亡にかかわる利益のために戦っていると固く信じて、戦争を始めたことは明らかである。これに対して、アメリカは単に自分たちの経済的優位と主義主張を押しつけようとしているのであって、国家の存亡にかかわる安全保障のために戦ったのではない、と彼らは信じていた」





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

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130415 2 攻撃と反攻(2)私たちが罰する日本の犯罪とは何か 

P1020338 (1 / 1)
2 攻撃と反攻(2)
私たちが罰する日本の犯罪とは何か。簡単にいえば、私たちの告発理由は「殺人」である。「世界征服」の一段階として、アメリカに対し「一方的かつ計画的攻撃」をかけたというパールハーバーの定義が告発の基礎なのだ。アメリカの最後通告では、日本の指導部は「日本国民を欺き、世界征服の誤った道を歩ませた」という表現がつかわれている。

日本はこの起訴事実に対して「無罪」を主張する。世界を征服することも、あるいはアメリカ合衆国を征服することも、まったく企図していなかったし、望んだこともない、満州あるいは中国の征服さえ考えたことはない、と罪状を否認する。そして検察側の私たちが「一方的かつ計画的攻撃」と呼ぶ行動は、あくまで「自国の安全保障」のためであったと主張する。もちろん、殺人を犯したことは認めているが、それは計画的殺人ではなく、あくまで「正当防衛」だったというのだ。

初めて被告の弁論を聞くアメリカ人は、きわめて不愉快な思いをするだろうが、彼らのいい分を根拠のないでたらめな反論と決めつける前に、双方の証拠をもっとよく調べてみる必要がある。たとえば、アメリカは経済封鎖によってパールハーバーを「挑発」したという日本側の主張には、それなりの根拠があるのだ。私たちがイギリス、オランダと共同して行った対日経済封鎖は、アメリカの「防衛」とヨーロッパで戦うイギリスを支援するためだった。東京裁判で日本側は「封じ込め」を逆非難し、「正当防衛」を主張した。これには強力な裏づけがあったために、私たちはパールハーバーを中心訴因から外し、「少なくとも、いわゆる満州事変の発生時の1931年から」日本が企てていた「世界征服」の「陰謀」まで訴因を拡大せざるを得なくなった。





アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司 訳

1948出版
ホートン・ミフリン社の日本語版出版許可申請を1949/08/06ダグラス・マッカーサー却下
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