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170806 柳寛順は拷問死ではなかった 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

   柳寛順は拷問死ではなかった


韓国で三一運動の英雄とされている柳寛順については、東京書籍中学校教科書にも「16歳の少女柳寛順は、三・一独立運動への参加をよびかけたために、日本軍にとらえられ、きびしい拷問を受けて命をうばわれました」と書いてあります。

これも朴殷植の「血史」がもとになっています。

朴殷植はこのなかで「逮捕されて拷問にかけられたものは10万人に達した」、さらに「逮捕された女学生は裸体で十字架に張り付けられ、髪を引っ張られると髪の毛も皮膚もともに剝げ落ちて血が溢れるように流れ、大地を染めた。日本の野蛮人どもは大笑いしてこの残虐を楽しんだ」と書いています。

これではまるで変質者です。



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しかしあろうことか、韓国の教科書や日本の教科書はこれをそのまま信じて、三一運動を呼びかけたために残虐な拷問で殺された「ジャンヌ・ダルク」として柳寛順を描いているのです。

実際にはこの時代、すでに拷問は禁止されており、金完燮は『親日派のための弁明2』(扶桑社)のなかで「当時憲兵警察6人と警察2人を殺害し、官公署を破壊放火した朝鮮人被疑者に対しても拷問を加えなかったという日本政府の記録から見て、1年6カ月の軽犯罪である柳寛順を拷問したというのが虚偽捏造であることは明らかだ」と、断言しています。

彼女の死因は、デモ現場での負傷や獄中での反抗による体力消耗などが原因だったそうです。

三一運動と柳寛順については、一つ一つ反駁するのも疲れるほどいろいろな作為的嘘が韓国中に広がっています。



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そこで最後に一つ、決定的な事実を指摘しておきます。

三一運動では柳寛順のみならず、三一運動に加わったという理由で逮捕された人は1人もいなかったのです(金完燮『親日派のための弁明』草思社)。





松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃




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170724 三一暴動処理で示された日本の司法の公正さ 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

  三一暴動処理で示された日本の司法の公正さ


朴殷植の『朝鮮独立運動之血史』には、三一運動を含む独立運動への憲兵警察の対応について、次のように書いています。


「憲兵警察の朝鮮民族に対する彼らが行なった数々の犯罪について、これをいちいち例証するならば、万巻の書をもってしても不可能であろう(中略)およそ警察が犯罪者だと目すると、彼等は朝鮮人に限り、司法上決められた手続きによらずして、ただちに逮捕を行い、当事者だけに限らず、その親族や朋友にまでるいを及ぼし、事実の有無、事の軽重などは少しも頓着なしに、無差別な拷問を加えた。その上で尋問をし、その後数10回に及ぶ非人道的拷問がくりかえされ被疑者が人事不省におちいり、すてばちになり自暴自棄の心理状態に陥いること数日(中略)彼等の調査に一度引っかかると間違いなくそのまわりの人々が累災にあい、重罪に処せられた。(中略)刑事被告人には20種以上の責め道具で拷問を加え、自白をすれば犯罪調書を偽造し、絶対に被疑者等の免罪を再審することが出来ないように仕組まれていた」


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時代考証がまったくできていないフィクションです。

親族にまで累を及ぼす「連座制」は、日本では江戸時代の1742年(寛保2年)、公事方御定書くじがたおさだめがきでとっくの昔に廃止されています。

朝鮮では日韓併合によって最終的に廃止されました。

日本が統治する20世紀の近代法治国家で、「連座制」などあるはずがないでしょう。

また後に述べるように、拷問も行われておらず、「20以上の責め道具で拷問」したのは李朝時代の話なのです。



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では、実際に日本は三一暴動をどのように処理したのでしょうか。

金完燮『親日派のための弁明2』(扶桑社)によれば、三一暴動で検察に送検された被疑者は1919年5月8日時点で1万2,668人、このうち3,789人が不起訴処分で釈放され、6,417人が起訴されています(残りは調査中)。

その後、一審で3,967人が有罪判決を受けましたが、日本人の憲兵6名と警官2名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑は1人もおらず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人にすぎませんでした。

3年以上の懲役刑を受けた者も最高裁判所の判断で内乱罪は適用されず、保安法と出版法しか適用されなかったために大幅減刑され、実際にこの事件で3年以上の懲役刑はほとんどありませんでした。



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しかもこれすら、1920年の大赦免で刑期が半分以下となったのです。

極刑を嫌う日本人の加える罰は極めて軽く、朝鮮人は近代的な司法制度のもとで公正な裁判を受けたのでした。

このとき逮捕された三一運動の主要リーダー崔麟、李光洙、崔南善、朴煕道たちは日本の裁判のあまりの公正さに感激し、やがて強烈な日本ファンとなって、1930年代の言論界をリードすることになります。





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170712 水原堤岩里事件は日本側の正当防衛 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

  水原堤岩里事件は日本側の正当防衛



ここで水原堤岩里事件について反論しておきます。

朴殷植は次のように書いています。


「4月15日午後、日本軍の一中尉の指揮する一隊が、水原郡南方の堤岩里に出現。
村民に対して論示訓戒すると称して、キリスト教徒と天道教徒30余名を教会に集合させた。
そして、窓やドアをきつく締め、兵隊が一斉射撃を開始した。
堂内にいたある婦人が、その抱いていた幼児を窓の外に出し、”私は死んでも良いが、この子の命は助けてください”と言った。
日本兵は無残に子供の頭を刺して殺した」



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しかし、4月24日付英国紙「モーニング・アドバタイザ」の京城特派員は、「殺害されたキリスト教信者12名、天道教信者25名全員が男性」と記述しています。

婦人も幼児もいなかったのです。(木原悦子『万歳事件を知っていますか』平凡社)。

朴殷植は日本憲兵警察の残虐性を強調したいあまり、余計なエピソードを書いて自滅しています。



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水原堤岩里事件については、金完燮がその顛末を著書『親日派のための弁明2』(扶桑社)に詳しく述べていますが、要約すれば次の通りです。

三一暴動の主役となったキリスト教(監理教と天道教)の信者が水原地域で大規模なデモを行い、警察署を襲撃し巡査2人を殺して凌辱(遺体から鼻と耳をそぎ落とし陰具を切断)し、小学校を燃やし日本人の家も襲撃した。

付近の日本人や朝鮮人から小学校に火をつけた犯人を捕まえて欲しいという要請が殺到し、憲兵隊が被疑者40人を教会に集めて尋問したところ彼等はひどく抵抗した。

わずか10人の憲兵隊は正当防衛で止むを得ず発砲し、また警告にもかかわらず被疑者が逃走したことから発砲して死者が出た。

少数部隊が圧倒的な数の暴徒に包囲された状況で彼らが反撃して逃走しようとするならば、発砲は正当な行為であった。



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朴殷植が「日本の官憲が耳をもぎ鼻をそぎ取った」と書いているのは、実際には朝鮮人暴徒が警官に対してやったことでした。

いずれにしても、犯人逮捕のために武器を使用することは今の日本でも認められています。

韓国側の「水原堤岩里で日本の官憲が虐殺した」という主張は、尖閣列島で「中国漁船が日本の巡視船にぶつけられた」という中国の主張と同じ次元の歴史の歪曲なのです。





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170630 教科書に載っているのは朴殷植が捏造した話 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

  教科書に載っているのは朴殷植が捏造した話



では、なぜ教科書には日本の蛮行のように書いてあるのでしょうか。

じつはこれも、朴殷植の『朝鮮独立運動之血史』がもとになっているのです。

「血史」によれば、三一運動に対する日本官憲による弾圧は悪逆非道を極め、水原堤岩里の虐殺からはじまり、狩川と花樹里の惨殺、江西の虐殺、大邱の虐殺、蜜陽の虐殺、陜川の虐殺、天安の惨事、義州の惨殺、江界の惨殺、郭山郡の惨殺、その他全国各地で朝鮮人の虐殺、惨殺が次々に行われたそうです。


たとえば、普州の虐殺については次のように書いています。

「日本の守備隊は、馬に乗り剣をふるって横行し、デモ隊を乱撃した。人の目を刺し、人の耳をもぎ、人の腕を切り落とし、人の鼻をそぐなどの残虐性を発揮したが、どれだけの人が被害を受けたか数えきれないほどである」




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これはまだ軽いほうであり、子供や老人や女性に対する残虐行為など、あまりに酷すぎて引用するのもはばかられる記述が延々と続いています。

詳細をお知りになりたい方は国会図書館で是非ごらんください。

ただし、1週間は食欲がなくなります。

そして散々書いた挙げ句に、彼はこう述べています。

(水原堤岩里の虐殺のように、西洋人が視察しておおやけに伝えた事件はその真相を天下にさらした。しかしそのような西洋人の足跡の及ばない土地でも、村落の湮滅いんめつ、人命の殺傷など、水原より酷い例はたくさんあるにちがいないが、その実際を明らかにすることはできない」




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何ということでしょう。
水原堤岩里以外は、全部想像で書いたことを朴殷植が自分で認めています。

彼自身が空想の世界で、最も残虐な方法によって朝鮮人の大量虐殺を行ったことになります。

ホラー作家などと持ち上げてしまいましたが、これではサディストの小説としか言いようがありません。
「朝鮮人の命を大量に奪った」のは日本人ではなく、朴殷植の小説だったのです。




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しかし恐るべきことに、朴殷植が書いた内容がそのまま韓国の教科書に書かれています。

先に引用した教科書にある犠牲者の数もこの本を根拠にしたものです。

韓国の高等学校歴史教科書には『韓国独立運動之血史』からの引用として、地域ごとの犠牲者数のグラフまで掲載されています(『韓国の高校歴史教科書 高等学校国定国史』三橋広夫訳 明石書店)。

実際は朝鮮総督府の発表によると、3カ月間でデモに参加した者は延べ人員106万人、死亡者は553人、負傷者は1409人であり、鎮圧過程で憲兵と警察官8人が暴徒により殺害され、158人が負傷したとなっており、韓国側の数字がいかに誇張されているかがわかります。




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170613 「三一運動」に関する弾圧の歪曲史 

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第2章 韓国が糾弾する「7奪」を論破!

  6︎⃣ 「命を奪った」への反論

   「三一運動」に関する弾圧の歪曲史



韓国は民族独立運動である「三一運動」を日本は残虐な手段で弾圧し、多くの朝鮮人を捕らえて拷問にかけ虐殺したと主張しており、日本の教科書にもそのように書いてあります。

「三一運動弾圧」は日韓近代史の大きなテーマとなっているため、ここに取り上げてその歴史の歪曲を指摘し、きっちりと反論しておきます。



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三一運動とは第一次大戦後、アメリカ合衆国ウィルソン大統領が打ち出した民族自決思想に刺激された在日朝鮮人留学生が、1919年(大正8年)2月、東京で決起集会を開き、独立要求書を日本政府に提出しようとしたことから始まりました。

第一次大戦後、パリ講和会議で日本は国際連盟の規約に「人種差別撤廃」を盛り込むことを提案しましたが、これを拒否したのが議長を務めていたウィルソン大統領でした。

ウィルソン大統領は人種差別主義者であり、彼が唱えた民族自決も「白人の民族独立」だったのですが、朝鮮人留学生たちは有色人種も対象であると考えて、独立要求書を出そうとしたのです。



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この動きはすぐに朝鮮半島にも伝わりました。
同年3月1日、京城(ソウル)のパゴダ公園に宗教家33人(天道教代表15人、キリスト教16人、仏教2人)が集まって独立宣言が読み上げられ、非暴力・無抵抗主義を標榜ひょうぼうして、街頭で「万歳デモ」が行われました。

ところが、これに商人や労働者が加わると様相が一変し、デモはまたたく間に全国的暴動に発展しました。

朝鮮全土で暴徒による破壊、放火、殺人、掠奪りゃくだつが行われたのです。



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しかし、韓国ではこれをすべて日本の憲兵・警察がやったと教えており、韓国の国定教科書は次のように記述しています(金完燮『親日派のための弁明2』扶桑社より)。

万歳デモが拡散すると、日帝は憲兵警察はもちろん軍人まで緊急出動させ、デモ群衆を無差別殺傷した。晴州、砂川、孟山、送安、南原、陜川などの地では日本軍警の銃撃により数十人の死傷者を出し、堤岩里では、全住民を教会に集合させた後、監禁して火をつけ虐殺した。また、デモに参加したという理由で無数の人々が投獄され、日本警察に非人道的な刑罰を受け多くの人々が命を失った。当時万歳デモに参加した人員は二百万余人であり、日本軍警に殺された人は7500余人、負傷者は1万6千余人、逮捕された人は4万7千人であり、壊されたり燃やされたりした民家は720余戸、教会が50カ所、学校が20カ所だった


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また、韓国小学校社会科教科書は次のように書いています。

日本は独立万歳を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。彼らは太極旗を持って万歳を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家や教会、学校に火をつけ、はなはだしくは一村の住民すべてを殺してしまったこともあった。柳寛順をはじめ、数多くの人々が死んだり投獄されたり、あらゆる拷問で苦しめられた


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さらに、国定中学校国史教科書には、こうも書いてあります。

10歳にならない少女と婦女子、そして女学生らが自分の祖国のため情熱を注ぎ、独立を叫んだという単純な罪名で、恥辱的な扱いを受け、体をなぐられた。幼い少女たちも残酷になぐられ、7歳以下の幼い少女ら300余名が既に殺害されたと知らされた


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右の韓国の教科書の記述に対して、金完燮は『親日派のための弁明2』(扶桑社)のなかでこう反論しています。

学校の教科書では(日本に関連した他の部分も同じだが)事実を概して糊塗し捏造している。まるで平和なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警が無差別に虐殺したかのように述べている。もし日本軍警がそのように対応したとしたら、万歳デモは初期に鎮圧され、全国に拡散さえしなかっただろう。当時の日本軍警は、平和的なデモに対してはデモ隊を保護し、殺人と破壊を行う暴徒や鎮圧軍警を攻撃するデモ隊に対してのみ、治安維持と正当防衛の次元で武力を行使したのである。堤岩里事件についても『全住民を教会に集めて虐殺した』という主張はとんでもない


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金完燮が指摘しているように、当時すでに近代的法治国家であった朝鮮で、教科書に書いてあるような蛮行が行われるはずがありません。
主要都市から地方に広がったこの騒動は、農民たちが武装して村役場、警察・憲兵事務所、富裕地主等を襲撃するという凶悪な行動へと発展していきました(鄭材貞『新しい韓国近現代史』石渡延男・鈴木信明・横田安司訳 桐書房)。

さらに、学校への焼き討ちに加え、在鮮日本人に「日本に帰れ」と投石をもって強迫行為行なった事実はテロそのものであり、決して一般大衆から支持されたものではありませんでした。



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三一運動はそれが拡大するにつれて、当初の旗印は忘れ去られ、黄色人種間の分裂を図る欧米宣教師にあおられた朝鮮人キリスト教徒たちが暴徒と化し、これに近代化で特権を喪失した両班や旧軍人などの不満分子が乗っかって広がった全国規模の破壊活動であり暴動だったのです。


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地方の朝鮮人も暴徒を恐れて憲兵や警察に保護を求めましたが、駐在所や憲兵分遣隊の兵力は10人から多くても20人しかおらず、数が圧倒的に足りません。

社会秩序を維持し、暴徒から住民を守るために、憲兵や警察は止むを得ず武器を使用したのであり、全国的な騒擾そうじょうの渦中で若干の被害者が出るのは、いたしかたのないことでした。




松木国俊 著 ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った! から抜萃






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